NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/30


北精進ケ滝 Kitashoujiga-taki 

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 長野県に隣接する山梨県北杜市(ほくとし)は平成の大合併によって生まれた、山々に囲まれた市である。その武川地区に東日本最大の北精進ヶ滝(しょうじがだき)がある。
 神仏祈願のために、この滝を浴びて身を清めたことがその名の由来となっており、南アルプス南側にあるドンドコ沢の、南精進ヶ滝に対して名付けられたともいわれている。
 北精進ヶ滝は、南アルプス北側に連なる鳳凰三山のひとつ、地蔵ヶ岳を源流としている石空川(いしうとろがわ)に懸かる滝である。石空川渓谷には大小五つの滝があるが、中でも北精進ヶ滝は落差が一二一mもある堂々たる姿で、日本の滝一〇〇選にも選ばれている。
 滝見駐車場から滝までは遊歩道が整備されている。鉄の梯子や吊り橋、丸太橋などがあり、美しい自然の彩りを楽しみながら変化に富んだ道を進んでいくと、壮大な滝が姿を現す。
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2007/11/20


香炉 Kouro 

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 香炉(こうろ)とは、香を焚き、楽しむための器であり、上面、または側面に大きく開口した筒、椀、箱、皿状の容器である。
 インドに起源をもつ香炉は、中国・朝鮮を経て、仏教の伝来後、間もない時代に日本にも渡来したとされている。
 香炉は、金属・陶磁器などで作られており、インドでは臭気を消すために利用されていたが、日本に伝わってからは、仏具として多く使われるようになった。
 焼香は人間の悩みを乗り越えて精進する事を意味し、また、塗香(ずこう)という、香りを身体にあてて清める方法があり、これを持戒として正しい生活を送る事を、仏道では釈迦が諭している。
 仏具としてだけでなく、工芸品としての香炉も存在し、居間や寝室でも香の香りを楽しめる。
 香炉は、香を焚くための仏具であり、伝統的な工芸品道具である。
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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/5/17


谷汲山 華厳寺 Tanigumi-san Kegon-ji 

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 延暦一七(798)年創建と言われ、西国三十三箇所の第33番札所である華厳寺。「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれている。
 会津の豪族であった大口大領は夢の中で観音菩薩から授かった榎の霊木を持って京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらったが、会津まで運ぶ途中、ここ谷汲村で仏像がぴたりと動かなくなってしまった。「ここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこにお堂を建て、観音菩薩像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困る事は無かったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音様に華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名が付いた。
 満願の寺なので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがあり、「精進落としの鯉」など西国巡礼をやっと終えた人だけが知る喜びの標に満ちていて、観光参拝客もその雰囲気に引き込まれる。
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2007/4/9


防府天満宮御神幸祭 Houfu-tenmangu-gojinkousai 

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 防府天満宮御神幸祭は、毎年11月、山口県防府市、防府天満宮で行われる祭事である。
 菅原道真公が、防府に立ち寄った際に送迎を行ったことが起源とされ、別名を裸坊祭とも言われる。
 これは、祭事に供奉が許されなかった民衆が参加したいと願い、裸になり精進潔斎することで参加を許されたことが始まりである。
 天満宮の拝殿で開始され、雪崩れ込んだ裸坊により、御分霊が行われた先頭神輿、第二神輿、御網代輿が引き出され、参道の大石段を滑り落とす。同時に裸坊が駆け下り、触れれば所願が叶うとする御網代輿に触れようと争う。
 石段を降りた神輿は、御旅所を巡り、再び石段を上り天満宮への宮入を果たし、最後に大きな掛け声の一本閉めを行い、祭りを終える。
 勇壮極まる防府の秋祭りとして、多くの参加者を呼んでいる。
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2007/2/15


奈良 大願寺 Nara Daigan-ji Nara Daigan Temple

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 大願寺は奈良県宇陀市大宇陀区に位置する真言宗御室派の寺院。山号は薩垂山(さったさん)。別名を七福寺。
 聖徳太子の命により、蘇我馬子が建立したと伝えられる。江戸時代には宇陀松山藩により保護され、隆盛を誇った。
 本尊は神亀元(724)年に作られた十一面観世音菩薩像、明治十八(1885)年に火災にあいながらも土の中から見つかったことから「焼けずの観音」として知られ、火災、災難除けに御利益がある。
 境内には奈良では珍しい仏足石や、森野旧薬園の園主であった森野好徳の筆塚などが安置されている。
 近隣で採れた薬草を使った精進料理が食べられることでも有名。
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2007/1/30


鋳金 Chuukin Osawa Komin's Chukin Metal Casting

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 鋳金(ちゅうきん)は金属を溶かして鋳型に注入し、器物を鋳造する金工技術。弥生時代以来の長い歴史を持ち、鋳型の造形法は惣型(そうがた)、蝋型(ろうがた)、砂型(すながた)、焼型(やきがた)などに分類できる。作ろうとする形状によってこれらの造形法を使い分けねばならず、すべての工程に経験と高度な技術が求められる。
 昭和16年、銅器産業の地、富山県高岡市に生まれた大澤光民氏は「鋳金(ちゅうきん)」の重要無形文化財保持者(人間国宝)。焼型(やきがた)鋳造に精通し、新たに独自の「鋳ぐるみ技法」という、器の表面に模様を表す技法を研究、独自の作風を確立してきた。
 伝統の技術を受け継ぎながらも時代に合った感覚や、美しい自然をみずみずしくとらえる感性を大事にし、「初心にかえり、たゆまず精進」と、鋳金の世界に今なお挑み続けている。
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