NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/4


早稲谷鹿踊 Waseya-shishi-odori 

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 早稲谷鹿踊(わせやししおどり)は、宮城県気仙沼市の早稲谷地区に伝わる伝統芸能である。
 宮城県内から岩手県南方にかけて見られる八つ鹿踊り(やつしかおどり)の一つとされ、文政十(1827)年、岩手県大原山口の喜左衛門という人物から、現在の気仙沼市八瀬地区にあたる月立八瀬に住む林蔵に伝承されたものだといわれている。
 竹を削って結束した、長さ3m以上になるササラを背中に立てた八人の踊り手が、腰太鼓を打ちながら唄い、勇壮に踊り跳ねる。
 祖先の霊を供養する行事として始まり、現在では毎年の旧暦六月二十四日に、地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典で、災厄や疫病を払う魔除けの踊りとして奉納されている。
 仙台藩祖、伊達政宗公から「仰山(ぎょうさん)なり」と賞詞されたという言い伝えから「仰山流」と称するその踊りは、その名のとおり鹿の動きを大げさに、しかし優美なまでの舞として今に伝え、我々を楽しませてくれている。
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2007/10/11


宇和津彦神社 Uwatsuhiko-jinja 

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 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は延暦一一(792)年創建といわれる古社で、大国主命(おおくにぬしのみこと)と宇和津彦命(うわつひこのみこと)を主祭神とする。藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬を受け、南与地域の人々からは「一宮さま」と呼ばれ親しまれてきた。かつて社殿は宇和町内にあったが、伊達藩による宇和島城下の造成で現在地に移されたといわれている。本殿の様式は切妻造、檜皮葺。境内から見る宇和島城の姿が美しい。
 毎年一〇月二九日には宇和津彦神社秋季例大祭が行われる。この例大祭では、八ツ鹿踊り、牛鬼、獅子舞、槍振りなどの伝統芸能が繰り広げられる。特に、伊達氏とともに東北から伝えられ市の無形民俗文化財に指定されている八ツ鹿踊りが奉納されると、氏子らに代々受け継がれてきた牛鬼の先導する神輿が町を練り歩き、祭は佳境を迎える。
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2007/8/31


清水目 八ッ鹿踊 Suzunome Yatsushika-odori 

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 清水目八ッ鹿踊(しずのめやつしかおどり)は、一迫(いちはさま)に伝わる伝統芸能で、長い「ささら」をつけて踊るのが特徴である。「ささら」とは、竹や木などを束ねて作製される道具のことをいい、舞踊などの時、装身具の一部としても用いられる。
 大変迫力のある踊りで祖霊供養を主とし、魔除の踊りでも知られている。伊達政宗の時代から一門の白河家より「おかかえじし」として保護育成された。
 古典的で勇壮な踊りとして、昭和四六(1971)年に県の民族芸能文化財に指定された。
 牡鹿の背には「行参」と書かれた文字が書いてある。仙台の藩祖伊達政宗がこの踊りを大変気に入り、毎年青葉城に来て踊るようにと「行参」という二字を賜ったからだ。また、伊達一門の九曜の星の紋を許され、格式の高い郷土芸能として受け継がれている。
 鹿踊(ししおどり)は福島・宮城・岩手・山形県に共通し、盆の祖霊供養に集落の各戸を巡ったという。
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鶯沢八ツ鹿踊り Uguisuzawa-Yatsushika-odori 

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 宮城県栗原市の鶯沢八ツ鹿踊り(うぐいすざわやつしかおどり)は、旧・鴬沢町に約二百年前から伝承されている郷土芸能である。
 その昔、鹿撃ちの猟師である勘太郎が、鹿好きの息子を誤って撃ってしまい、以後息子と鹿の霊を弔うため、この鹿踊りを伝承したといわれている。
 鹿踊りには「庭回り」「墓踊り」「案山子踊り」「縄引き舞い」「女鹿隠し」などがあり、目的により演じ分ける。素朴な動作の中に込められた、先祖への思いと郷土への愛情。そして迫力ある動きに圧倒される。
 栗原市では鶯沢八ツ鹿踊りのほか、旧・一迫町に伝わる八ツ鹿踊りなど、さまざまな鹿踊り保存団体が後世にこの踊りを受け継いでいる。
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2007/8/20


早川流八ツ鹿踊り Hayakawa-ryuu Yatsushika-odori 

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 早川流八ツ鹿踊り(はやかわりゅうやつしかおどり)は、伝統芸能が豊富な東北地方の中でも、最も古典的で格調高い踊りとされている。
 この踊りは約四〇〇年前、伊達領内に住む猟師、山立勘太郎が岩倉山に狩猟に出かけた際に、八頭の鹿が連れ立って腹を叩いて踊る様子を見て創作したとされており、八人一組が木彫の鹿頭に鹿の角、3・6mのささらを腰に差し、鹿の姿になって舞う。
 リズミカルな太鼓と笛の音、ストーリー性を重視した躍動感のある踊りは、仙台藩主伊達政宗公の心をもつかみ、毎年青葉城へ来て踊るようにと「行参」の2文字と伊達家の紋「九曜の星」が授けられた。
 祖霊供養と、魔よけの意味も込められた貴重な郷土芸能として今も変わらず伝承されている。
 昭和四六(1971)年に、宮城県指定無形民族文化財に指定された。
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2007/8/10


三浦天満神社 五ツ鹿踊り Miura-tenman-jinja Itsu-shika-odori 

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 愛媛県宇和島の三浦天満神社で行われる秋祭りの中で舞う鹿踊。
故あって隠れてしまった雌鹿を雄鹿たちが苦心して探し出す様を踊りで表現している。鹿は神に仕える神聖な動物であり、その鹿がその土地を訪れ幸運を祈って帰っていくことが鹿踊の原点にある。
 鹿踊は初代宇和島藩主の伊達秀宗が仙台よりもたらしたものと言われている。現在も仙台地方に伝わる鹿踊・獅子踊りと共通する部分が多々見受けられる。
 鹿の数は五頭から八頭があり、同じ宇和島にある宇和彦神社の秋祭りは「八ツ鹿踊」である。
 三浦天満神社の鹿踊は子供が担うものであったが、少子化のため、現在では成人が担当するようになった。他の練りは子供が担当し、三浦天満神社の練りは県の無形民俗文化財に指定されている。
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宇和津彦神社 八ツ鹿踊り Uwatsuhiko-jinja Yatsushika-odori 

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 延暦一一(792)年以前に創建という歴史をもつ宇和津彦神社。ここで一〇月二九日に行われるのが宇和津彦神社秋季例大祭である。
 この例大祭では、牛鬼、獅子舞、槍振りなどの伝統的な芸能や行列と共に、市の無形民俗文化財に指定されている八ツ鹿踊りが有名である。
 七人の雄鹿たちが一人の雌鹿を探し出し、皆で喜び合う「めじしかくし」という踊りが起源とされ、もともと宮城県各地に普及していたものである。
 それを仙台、伊達政宗の庶長子秀宗が宇和島藩の領主としてこの地方を治めた関係で、宇和島に伝えられ定着し、現在に至ったとされている。
 鹿の頭をつけ紅染の布で上半身を覆い、七人の雄鹿と一人の雌鹿に扮した一二歳~一三歳の少年八人が、胸もとにある太鼓を叩きながら舞を舞う。
 手甲、脚半(きゃはん)、草履ばきといった姿で、ゆったりと優雅に踊られる姿は、観光客の目を楽しませている。
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2007/8/3


佐沼鹿踊 Sanuma-shishi-odori Sanuma Deer Dance

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 佐沼鹿踊(さぬまししおどり)は、宮城県登米市の迫町、南方町、瀬峰町に伝わる民俗芸能である。県の重要無形文化財に指定されている。
 迫町、南方町、瀬峰町がかつて佐沼郷と呼ばれていた頃、毎年交代で鹿ヶ城(ししがじょう)に鹿踊りを奉納していたという。
 木彫の鹿頭に鹿の角、腹に太鼓、3・6mのささらを腰に差して鹿の姿を擬し、8人1組で踊る事から八ツ鹿踊りとも呼ばれる。獅子芸能の一種とされる。
 伊達政宗がこの踊りを愛好し、毎年仙台城で踊るようにと「行参」の2文字と伊達家の紋「九曜の星」を授けたといわれる。
 昭和初期には姿を消し、幻の郷土芸能となっていたが、平成八年に復興した。
 佐沼鹿踊は、格式高い貴重な郷土芸能として今日まで伝承されてきた踊りである。
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