NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


石尊様の裸祭り Sekison-sama-no-hadaka-,atsuri The Naked Festival at Sekison Shrine

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 宮城県栗原市若柳の武鎗(むやり)地区で、毎年三月の第二日曜日、石尊様の裸祭り(せきそんさまのはだかまつり)が開催されている。
 まだ冬の寒さが残る朝、腰わらにわらじ、白いはちまきを身に着けた裸の厄男たちが水を体にかぶりながら地域を練り歩き、各家に立ち寄って盛大に水をかけて回る。これは火伏せを祈願したものだ。
 およそ2キロ、120世帯の家全てをまわり、威勢の良い掛け声で水をかけると、見物人からは拍手や歓声があがった。
 石尊神社は室町期の大火の際に火勢を鎮めた事から由縁し、防火の守り神としての信仰されている。ご利益にあやかって里の人がこの裸祭りを始め、室町期から続く伝統行事となった。
 この祭りが終わると寒さが和らぎ春が訪れる。
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2008/2/29


ちょいのちょい Cyoi-no-cyoi 

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 ちょいのちょいは、鹿児島県指宿市小牧地方に伝わる民俗芸能である。
 第一七代島津家藩主・島津義弘(1535~1619)が、朝鮮出兵する際の凱旋祝いとして唄い踊られたとか、朝鮮出兵後、帰国祝いとして始めたと伝えられ、今でも祝い事やイベントの時に踊られている。
 唄は、戦国時代の武士の唄らしく、勇ましくて男らしい曲調が感じられる内容である。
 踊りは、色物の着付に鉢巻・たすき・手甲・足絆・足袋・草鞋・刀・扇子の派手な出で立ちで、太鼓や鉦をならしながら、2人1組となって踊る。
 棒踊のように打ち合わず、二人一組で身ぶり・手ぶりを交えて踊るのが特色とされる。
 ちょいのちょいは、いかにも戦国時代から伝わるものらしい、勇壮な郷土芸能である。
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お田植踊り Otaue-odori Otaue Dance Festival

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 鹿児島県南さつま市金峰町のお田植踊り(おたうえおどり)は、毎年四月二九日に尾下南方神社(おくだりみなみかたじんじゃ)で行われる、五穀豊穣を祈願する郷土芸能の祭りで、約四〇〇年にもなる長い歴史がある。
 この金峰町の七、八地区の集落の、総勢一五〇人程の男子が踊り子となり参加する。衣装や鉢巻き、踊り方は集落によって少しずつ異なっている。
 尾下南方神社から出発し、鎌踊、薙刀踊、棒踊、金山踊等の踊り行列を作り町内を練り歩く。口伝えである古老の唄と、真っ赤な纏(まとい)の地突き音に合わせて力強く舞い、観客たちは、夕方近くまで行われるこの風流な踊りに歓声をあげる。昔は夜を徹して踊られていたという。
 お田植踊りは、現在でもしっかりと伝統を受け継ぎ、人々の手で守られている踊りである。
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2008/1/30


小僧不動の滝寒中みそぎ Kozou-fudou-no-taki-kanchuu-misogi Waterfall Purification at Kozo-Fudo Sui Shrine

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 毎年旧正月にあたる一月一五日、宮城県栗原市一迫長崎地区の小僧不動水神社では寒中みそぎが行われている。
 参加者は厄年や成人を迎えた男性。夜一九時頃、ふんどしにわらじ、白はちまき姿で俵みこしを担ぎながら登場する。この時の外の気温は零下8度前後。みそぎ中の安全を祈願すると小僧不動の滝に向かって走り、気合いを入れ滝つぼに入る。10メートル上空から落ちてくる滝に打たれ、胸まで水につかると肌が見る間に真っ赤に。家内安全、無病息災、厄祓い、五穀豊穣、合格等を祈願する。
 みそぎを終えると体から湯気をだしながら再び神社に参拝し、行事が無事に終了したことを報告する。見物に訪れた人たちからは歓声と拍手が沸きあがる。
 その後暖かいどんと焼きの前で、甘酒を飲みながらほっと息をつき、足早に家路に着く。
 身を清め、同時に心が清められる清々しさを感じることができると、参加者には実はなかなか好評だ。
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2007/12/3


四天王寺 どやどや Shitennouji Doyadoya Shitennou-ji Doya-doya Festival

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 四天王寺(してんのうじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある和宗総本山の寺院である。本尊は救世観世音菩薩で、西国三十三箇所番外、摂津国八十八箇所25番、聖徳太子霊跡1番札所とされている。
 推古天皇元(593)年、聖徳太子自らが建立した古刹である。
 どやどやは、天長四(827)年に修正会(しゅしょうえ)をはじめたのが起源とされ、日本三大奇祭に数えられている。
 元旦から始まる修正会は、その年の吉祥を祈り、天下泰平・五穀豊穣を祈願するもので、毎年一月一四日が結願日となっている。
 赤と白の二組に分かれた、鉢巻きとまわしをしめた裸の若者達が護符を奪い合う勇壮な行事で、その後に護符を受けようと、どやどやと群衆が集まる事から「どやどや」と呼ばれるようになった。
 四天王寺のどやどやは、今日でも盛況な伝統の神事である。
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2007/11/8


東京無地染 Toukyou-mujizome 

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 東京無地染(とうきょうむじぞめ)は、古くから武蔵野国で生産されてきた染織物である。
 無地染とは、白い布地を一色の無地に染め上げる事で、古くは縄文時代から行われていた、染織物の中でも基本的なものだ。
 奈良時代になると、仏教の伝来と共に藍や紅花が渡来し、大きく発展を遂げ、鎌倉時代に入ると草木染や鉄媒染(てつばいせん)など技術も進展を遂げ、今につながっている。
 その中でも東京無地染は、武蔵野に自生した紫草の根から取れる染料を使用して染め上げたもののことを称し、江戸染めまたは江戸紫ともいわれていた。
 当時、上方きっての名歌舞伎役者であった市川団十郎演じる助六愛用の鉢巻ということもあり、庶民に大いにもてはやされることとなる。
 現在では東京都の伝統工芸品にも指定されており、古来よりの伝統を重んじながら、客の要望に沿って様々な色を生み出し、今も人々に愛される逸品を染め上げ続けている。
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2007/9/14


門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

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 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
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2007/8/3


宮袋枡取り舞 Miyabukuro-masutori-mai Miyabukuro Masutori-mai Dance

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 宮袋枡取り舞(みやぶくろますとりまい)は、宮城県大崎市古川大宮にて伝えられてきた民俗芸能である。毎年9月に実地される宮袋鹿鴨(みやぶくろしかがも)神社祭典に奉納されている。
 古くから県内で踊られてきたもので、めでたいほめ言葉を言い立てて舞われる「囃子舞」といわれる祝福芸の一種とされ、昭和一七(1942)年に仙南地方から宮袋に伝えらたと言われる。
 半纏にももひき・たすきに鉢巻・紅白足袋姿の舞手が、それぞれ片手に一升枡を持ち、太鼓・鉦・唄のリズムに、米を計るしぐさをやや大げさに舞い踊る。
 踊りの半ばからは田圃の神の化身である「道化」も入って一緒に舞い、踊りの終了時には舞手と道化により、豊年満作を願い祝し、会場一杯に紅白の餅が撒かれる。
 宮袋枡取り舞は、五穀豊穣を祈り、豊作に感謝する素朴な踊りとして伝わる民俗芸能である。
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