NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/25


注連飾り(福岡、宮崎) Shimekazari(Fukuoka,Miyazaki) Shimekazari (Fukuoka, Miyazaki)

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 注連飾り(しめかざり)とは、神社などに用いられている神域と外界とを隔てるための注連縄(しめなわ)がもとになっているといわれている。新年を迎えるにあたり玄関先などに吊るされ、外部から災いや厄が家の中に入るのを防ぐ魔除け・結界として、また新年へ向け不老長寿や五穀豊穣などの様々な願いを込めて飾られる。
 九州地方、特に福岡や宮崎などの注連飾りには「鶴」の意匠が多く見られる。放射状に広がった束は広げた翼や尾を表しており、くちばしにあたる箇所は赤く色づけされていることも多いようだ。また、稀ではあるが「亀」をかたどった注連飾りも見られる。
 鶴・亀は古来より、「長寿を象徴する吉祥の動物」として尊ばれ、祝の席には欠かせないものとして、その意匠が要所要所に用いられてきた。鶴亀の他にも松竹梅や宝船などを飾りつけることで、新年をめでたく祝うと共に、末永く健康に暮らすことが出来るように、との思いを込めているのかもしれない。
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注連飾り(島根、山口) Shimekazari(Shimane,Yamaguchi) Shimekazari (Shimane, Yamaguchi)

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 中国地方の一部の注連飾り(しめかざり)には、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、赤唐辛子が飾られているものがある。
 唐辛子は、古来より世界の各地で「魔除け」として用いられることが多い。玄関に吊るすことで邪気の侵入を防ぐと言われている。
 棘のある植物や香りの強いものは悪鬼を祓うと言われ、節分の日に柊の枝と鰯の頭を門戸に挿す習慣と通じるのかもしれない。
 また、紙垂を飾ることには外からの災いや厄を吸収させるという意味もある。
 「注連・シメ」は「占める」の意味で、注連縄は疫病などの不浄なものの侵入を封じ、神などがいる「結界」を示し、また、幸せなどを外へ逃がさないようにする印として張られる。
 こうした注連縄の役目は、注連飾りのもとになっているといわれる。
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2007/7/10


アイヌ文様 Ainumoyouo Ainu Pattern

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 アイヌの人々の生活の中で、衣服や調度用具、儀礼用具には独特の文様を見ることができる。これがアイヌ文様(もんよう)と呼ばれるもの。
 アイヌ文様は、アイヌ名でモレウ(渦を巻くもの)と呼ばれる渦巻き文様と、アイウシ(棘のあるもの)と呼ばれる括弧文様を基本に、多種多様な文様がある。文様は装飾としてだけでなく、身を守る魔よけとしての意味も持っており、衣服の袖口や襟、裾周りに施されていた。文様を見れば、どの地域のものか知ることもできた。そのルーツについては諸説あるが、いまだ解明されていない。
 かつて好きな異性に対して、女性はテクンペ(手甲)、ホシ(脚袢)などにアイヌ文様を刺繍して渡し、男性は女性に文様を彫ったメノコマキリ(女性用小刀)を渡した。アイヌの人々は自分達の作ったものには、魂が入っていると信じ大切に扱っている。
 現在は、自由にアレンジされた文様を施したスカートやブラウスも制作されている。
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2007/5/14


さるぼぼ Sarubobo 

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 飛騨弁で、赤ちゃんの事を「ぼぼ」と言う。「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味で、災いが去る(猿)、家内円(猿)満になる等、縁起の良い物とされ、お守りとしても使われている。基本の形は赤い丸顔に赤い身体、黒い頭巾と腹掛けを纏い、両足を広げ、両腕を上げて広げた姿である。最近では赤以外に黄色や緑色など、様々なバリエーションもある。
 飛騨は山深く、奈良時代は「下々の下国」と呼ばれた程で、気候は寒く、土地が無い上に痩せていた。そんな風土から年貢も払えず、男は雑徭(宮大工)として駆り出され、少ない人口が更に減って大変だったといわれている。残された子供達は玩具も買ってもらえず、お婆さん等に作って貰ったのが、この「さるぼぼ」のはじまり。その後、はやり病、特に天然痘が多かった為、魔よけ的な意味で、赤い布で作られる様になった。
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2007/2/21


播州加西 日吉神社 Banshuu-kasai Hiyoshi-jinjya 

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 古来より雨乞いの神として人々の信仰の強い「播州加西 日吉神社」。兵庫県加西市に所在する古刹である。
 創建は、約千六百年前。記録によると、福居村(現別所西)に賀茂明神と称し、大塩荘福居村、北宿村、小林村の三ヶ村の氏神であったが、室町時代の応永年間(1394〜1428年)の頃、それぞれの村ごとに分離して神社を建設。これが現在の日吉神社のはじまりだという。
 随神は猿で、神猿と言い、本殿の中に祀られている。「神猿」と書いて「まさる」と呼ぶ。「まさる」は、「魔が去る」「勝る」の意味で、魔よけ等のご利益があるという。本殿には「眼猿(みざる)」「「口猿(いわざる)」「耳猿(きかざる)」の珍しい彫刻が施されている。
 薬医門の棟の鯱(しゃち)瓦は現存する鯱瓦で最も古いもの。石鳥居は、県の重要文化財に指定されている。
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2007/2/16


柄杓 Hisyaku Hishaku

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 柄杓は、昔から水を汲む用具として使われてきた。古くは竹の節を残して切ったものや、木幹のコブをくり抜いたものに柄を付けていたが、今では、金属製やプラスチック製が広く使われている。その大きさや用途は様々。
 曲物柄杓は、神社や寺院の手水舍か、風雅を好むたたずまいにしか見られなくなったが、昔は日常的に使われた。ヒシャクというのは、ヒサゴ(瓢箪)を二つに割って使った事に由来。ヒサゴが訛ってヒサクとなり、さらにヒシャクとなった。古くから凹んだ所には、神霊が宿ると考えられ、柄杓は聖なる容器として特別に扱われた。元旦の若水迎えは、年の暮れに用意した新しい柄杓を持って井戸や清水の流れる所に水を汲みに行く。この水を汲んで年神に供え、口を漱ぎ、雑煮を炊くのに使う。また、魔除けとして軒先にかけて流行病をふせぐ呪いとしたり、自在鉤に結びつけて火伏せのお守りにするのは、柄杓に特別な力があると考えられた事による。
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羽子板 羽 Hagoita Hane Hagoita and Hane (Paddle and Shuttle)

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 羽子板の起源は、中国とされ、室町時代の頃に伝えられたとされる。はじめの頃は、羽根突きの道具として用いられていたが、次第に厄払いのものとして使われる様になり、さらに魔除けとしてお正月に女性にあげる習慣も出来た。江戸時代に入ると、歌舞伎役者などを模った押絵羽子板が流行り、現代では東京の伝統工芸品に指定されている。
 江戸の頃から、12月17日からの3日間に、浅草寺で開催されている「羽子板市」は、毎年大勢の客が訪れる事で有名である。ここで売られる押絵羽子板の産地としては、埼玉県春日部市、さいたま市岩槻区が有名。また、羽子板市では、その年に話題となった人物を素材にした「変わり羽子板」も、出展されメディアでも良く取り上げられる。
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2007/2/1


高柴デコ屋敷 Takashiba-deko-yashiki Takashiba Deko House

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 高柴デコ屋敷は、福島県郡山市西田町高柴にある集落である。
 デコ屋敷とは、何代も続く、三春人形や三春駒を作る5軒の家の総称である。
 デコ屋敷の「デコ」というのは人形の別名「木偶(デク)」がなまったもので、人形屋敷という意味である。
 デコ屋敷には、福島を代表する伝統的キャラクターの赤べこ、三春駒をはじめ、天狗、ひょっとこ、狛犬など、魔よけや縁起物たちが所狭しと並んでいる。
 工房では、300年の伝統を受け継ぐ職人さんたちの熟練の技を見学することもできる。また、希望者は、絵つけを体験することもできる。
 高柴デコ屋敷は、福島の人形文化と伝統を今に伝える小さな集落であり、いつまでも大切にしたい場所である。
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