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2008/9/26


塩沢紬 Shiozawatsumugi 

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 塩沢紬(しおざわつむぎ)は、新潟県南魚沼市塩沢に伝わる民芸品であり、国の伝統的工芸品に指定されている。
 この地方の麻布が正倉院に保存されており、奈良時代には既に着物の産地であったことが伺える。この麻織物の技術技法を絹織物にとり入れた織物が塩沢紬で、江戸時代に織り始められた。
 本塩沢と並んで塩沢織物を代表する品であり、国の重要無形文化財に指定されている麻織物「越後上布」の技術を絹織物に応用して誕生した織物とされる。
 材料は、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸で、蚊絣と呼ばれる十字絣や亀甲絣により独特の上品さと落ち着きを備える。結城紬に似た風合いを持ち、暖かである。生産反数が非常に少ないため幻の紬とも言われる。
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2007/11/8


置賜紬 Oitamatsumugi 

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 置賜紬(おいたまつむぎ)は、山形県米沢市、長井市、西置賜郡白鷹町に伝わる伝統民芸品である。国の伝統工芸品に指定されている。
 置賜紬の始まりは、8世紀初めに養蚕の発達とともに興った。江戸時代初めに領主・上杉景勝が奨励して体制が整い、江戸時代中期、米沢藩中興の祖・上杉鷹山が殖産興業の一環として奨励した事によって本格的に発達した。
 置賜紬は米沢市の米沢草木染、長井市の長井紬、白鷹町の白鷹紬などの地区で生産されている織物全ての総称で、いずれも糸を先に染めてから織る先染めの平織(ひらおり)が特徴とされる。
 現在では紅花を代表とする草木染め、自然の材料を用いたぜんまい織やしな布など多様な織物が生産されており、手作りの味と少量生産を旨とし、普段は店頭では販売されていない。
 置賜紬は、長い歴史を誇る伝統の染め織物である。
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2007/9/7


紬織 Tsumugi-ori Tsumugi Silk Textil

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 紬織(つむぎおり)は、真綿から紡ぎ出した糸を経緯に用い、手織りで織り上げられた織物である。
 屑繭などから真綿を作り、指先で糸にしたものを手紡ぎ糸あるいは紬糸といい、それらを用いることから紬織と呼ばれるようになった。
 手紡ぎ糸独特の微妙な凹凸から生まれる風合いや鈍い光沢が特徴で、また、非常に丈夫なことから、古くから日常衣料や野良着などの作業着として用いられていた。
 このため、例え絹であっても正装には用いられなかったが、江戸時代のいわゆる”粋”を愛した通人たちが、その色合いや絹なのに落ち着いた光沢を持つ風合いに渋さを見出し、さりげなく趣味の良さを主張できる粋な反物として、外出着やお洒落着に用い、人気を博した。
 非常に丈夫な分、織りたては生地が硬く、着心地が良くないため、裕福な商人は番頭などに着せて、やわらかくなったところで自分で着用したという逸話もある。
 織りたての硬いものを羽織って、落語よろしく粋がってみるのも良いかも知れない。
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2007/5/1


山岸良三 Yamagishi Ryouzou 

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 新潟県長岡市十日町の周辺に伝わる伝統工芸品「小千谷縮(おぢやちぢみ)」の伝統工芸士。
 昭和六三(1988)年、伝統工芸士に認定される。この地方では奈良時代には既に麻織物が作られ、朝廷への献上が行われていた。小千谷縮はこの伝統を受け継ぐ麻織物で、江戸時代に緯糸に強い撚りをかける技法が生まれ、生産が増加し、各地に広まった。
 氏は高校卒業後家業を継ぐが、80年代頃、織物の衰退を危惧し、全国の産地を回り、技術を伝え学び、後進の育成にも力を注いだ。
 現在も海外の絹に目を向け、新たな製品の開発を行うなど、小千谷縮と小千谷紬の将来を見据え、常に挑戦をし続ける職人である。
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川口良三 Kawaguchi Ryouzou 

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 滋賀県近江地方に伝わる伝統工芸品「近江上布」の伝統工芸士。
 近江上布は麻織物の中でも最高級品とされ、通常より細く繊細で上質な麻糸を平織りして織ったものを指す。
 近江の肥沃な土地の恵みを受け、室町時代から生産が行われ、幕府への献上品とされてきた。
 江戸時代には彦根藩の庇護を受け、近江商人達の手により全国に広まり発展した。
 模様決め、染め、織りまでの工程をすべて一貫してこなし、あくまでも伝統の技法にこだわる氏は、近江上布独特の絣染めにも力を入れ、作品を作り上げる。
 「機械化をしたら伝統の技法が失われる」と語り、訪れるものにはすべての技法を惜しげもなく教え、後世へ伝える、伝統の伝道者である。
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2007/4/27


土佐つむぎ Tosa-tsumugi 

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 土佐つむぎは、大正の初期、染めた木綿の糸を付近の農民が織り、作られた衣類や小物を集め売ったのが起こりと言われる。
 「のら着」「もんぺ」などの生地として庶民の間で親しまれてきた土佐つむぎ。通常「紬」と言えば絹糸を使用するが、土佐紬は木綿の糸を使用。独特な渋く深い色合いは、数種類の染料を混ぜ合わせ、何度も色作りを重ね生まれたものだ。
 近年は、木綿の良さが再認識され、小物類から、シャツ、作務衣など、多種多様の製品が生みされ、土佐の土産品としても大変に人気があったが、そのこだわり抜いた染料が現代では手に入りにくい状況となり、近年最後のひとつとなった工場が惜しまれつつも閉鎖された。現在は在庫のみが残る大変貴重な工芸品となったのである。
 懐かしい手触り、深みのある色彩、どこかで見かけたなら、是非手に取り様々な思いを感じ取ってほしい。
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2007/2/2


牛首紬 Ushikubi-tsumugi Ushikubi-tsumugi Pongee

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 石川県白山市白峰の牛首で生産される紬。
 白山の伏流水を源とする手取川水系の水を使い、選別された玉繭を原料として、全ての行程が手作りで作られる。繭を煮込み、そこから直接手で糸を紡ぎ出し、丹念に機織され、紬の中でもその強さで有名でもある。
 その起源は、伝説的なものではあるが、平治の乱に破れた源氏の落人、大畠氏の妻が、機織りの技術を伝えたといわれている。
 牛首紬は、その堅牢さから、江戸時代には全国で重宝され、明治の中期から昭和初期にかけては、生産は右肩上がりであったが、経済不況から戦争への流れの中、急速に衰退し本格的な紬産業は、一時期姿を消してしまう。
 その後、養蚕は再開され、牛首紬の再興に成功。現在では、高級紬の代表的なものとして、愛用されている。
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2007/1/30


志村ふくみ(人間国宝) Shimura Fukumi Fukumi Shimura (Living National Treasure)

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 大正十三(1924)年、滋賀県近江八幡に生まれる。平成二(1990)年、重要無形文化財「紬(つむぎ)織」の保持者に認定。
 氏がはじめて母親より機織りを習ったのは十七歳のとき。30才の時織物の道を志し、離婚。独力で草木染の技法を学び、鮮烈な作品を次々と生み出した。
 氏の作品の魅力は、なんといっても自然界の草木から丹念に採取して絹糸に移し換えた、きわめて豊かな色彩のハーモニーにある。また、古くから伝わる縞や緋などの織り文様と、植物染料による染め糸を巧みに組み合わせることで、紬織りの着物を芸術作品にまで発展させた努力と功績は高く評価されている。
 歴史上の物語を主題とした織りも手がけており、とくに源氏物語はライフワークにもなっているという。物語の心のイメージを植物から得た色糸で優美に織り上げた紬が、平安の色と心象風景を奏でている。
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