NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/11


補陀寺 六角堂 Hoda-ji Rokkaku-dou 

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 気仙沼のほぼ中心に位置する、静かな境内に佇む六角形のお堂。それが補陀寺六角堂(ほだじろっかくどう)である。
 全国的には、和様円堂は八角形が一般的であり、この六角堂のように六角形をしているものは珍しい。屋根は六角錐体で赤瓦が葺かれ、内外部共に朱塗りの須弥壇(しゅみだん)となっており、板天井には墨絵が描かれている。
 建立は宝暦一二(1762)年と伝えられ、江戸中期の技巧をこらした精巧で華麗なお堂として、宮城県の指定文化財ともなっている。
 このお堂には平安末期に名取熊野神社を勧請したと伝えられる伝説上の人物、名取老女が奥州を巡礼して建てた「奥州三十三観音霊場」の一つといういわれがあり、三〇番目の札所となっている。
 その後、奥州三十三観音霊場が衰退していく中、奥州札所再興の大願成就を発願して、この六角堂が建立されたといわれる。
 八角形ではなく六角形であるところに、歴史の伝説とロマンが、もしかしたら隠されているのかもしれない。
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本吉法印神楽 Motoyoshi-houin-kagura 

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 岩手県南部から宮城県北部に伝承される法印神楽の発生については諸説あり、定かではないが、俗に気仙神楽とか浜神楽と呼ばれ、海岸部の気仙や本吉、牡鹿郡に多く流布された。
 本吉法印神楽(もとよしほういんかぐら)もそうした中の一つであり、同地方に伝わるいくつかの神楽の祖流の一つであると目されている。
 同神楽が伝承されている南三陸の戸倉新町は、かつて折立村の中心で、四八坊の修験道場があったと伝えられており、同神楽はその修験者達によって神前に奉納するために伝承されたといわれる。
 元々は三三番の演目があったとされるが、現在ではその中でも一二番が伝承されており、特にかんなぎ二四番が有名である。
 今は南三陸町と北上町の羽黒派の法印九名によって伝承されており、それぞれで組を作って、各地の神社の祭礼などに招かれて奉納されている。
 幽玄で幻想的なその舞は、九名の手によって、今も守り継がれている。
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2007/9/10


五十鈴神社 Isuzu-jinja 

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 宮城県気仙沼市にある、カツオの水揚げで名高い気仙沼港に程近い神明崎の上にあるのが五十鈴神社(いすずじんじゃ)だ。
 その興りは応永年間(1394~1428)にまで遡る。当時、周辺の村毎に一社の皇大神宮を祀ることになり、丸森に建立されたのが始まりとなる。
 その後の慶安年間(1648~1652)に現在の神明崎に遷座され、今に至っている。
 境内には御祭神を祀った産霊(むすび)社と、気仙沼に海苔養殖と製塩技術を導入した、地元産業開発の祖といわれる猪狩新兵衛翁の御霊を祀る猪狩神社があり、どちらも手厚く保護されている。
 また、神社のすぐ下の神明崎先端にあたる場所には浮見堂と呼ばれるお堂があり、お堂の左右に伸びる朱に塗られた欄干がちょうど海の上に浮いているように見えるなど、深い森と青い海が調和し見事な風景を見せてくれる。
 夜になればこの浮見堂もライトアップされ、よりいっそう幻想的な雰囲気をかもし出す。
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2007/8/1


新城の田植踊 Shinjou-no-taue-odori Taue Odori in Shinjo

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 新城の田植踊は、宮城県気仙沼市の新城地区に古くから伝わる伝統芸能である。
 天保年間(1830~1843)の大凶作の時、平八幡神社に豊作祈願をしたのがその始まりと言い伝えられており、昔は小正月に演じられていた。
 現在は県指定無形民俗文化財にもなっており、各種祭礼時のほか、旧正月には地区の各戸を廻る。
 その踊りは、七人により演じられるもので、弥十郎と呼ばれる役が二人、後の五人はヤッサカと称する踊り手となり、盛り上げる。
 弥十郎は長烏帽子を被り、陣羽織を着て、金輪のついた「しゅろすり」という竹杖を打ち鳴らしながら前口上を述べる。
 ヤッサカたちは、豆絞りの鉢巻を締め、格子縞の長着に豆鈴のついた前回しをつけ、「ヤーンドヤーハイ」のおはやしと共に手太鼓を打ちながら跳ね踊る。
 当時の農民達が絶望の淵から神に捧げた踊りは、あでやかな衣装と共に苦難を明るく乗り越えようという思いを今に伝えている。
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2007/7/31


廿一田植踊 Nijuu-ichi-taue-odori 

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 廿一田植踊(にじゅういちたうえおどり)は、宮城県気仙沼市にて毎年元旦の早朝に行われる民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 1830年代頃に起きた天保の大凶作の際、一人の若者が黒川方面で習得した田植踊りを広めたのが始まりだといわれるが、岩手県気仙地方から伝わり江戸時代から踊っていたとする説もあり、定かではない。
 廿一という名前は、地域に神社が21社あった事に由来しているという。
 毎年元旦の早朝に八雲神社と古峰神社で豊作祈願の舞いを奉納した後、地区の農家を門付して回る。
 22個の演目がある本踊りは「ハーヤンドーヤーハイ」の威勢の良いかけ声から始まり、手に太鼓を持ち演奏しながら踊る。
 太鼓を叩くテンポは速く、動作はひとつひとつ大きく、力強い。そのたくましい鼓舞が、豊作を祈る心を表しているようである。
 廿一田植踊は、古来の芸風を継承保持する伝統芸能である。
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2007/7/26


徳仙丈山 Tokusenjou-san 

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 徳仙丈山(とくせんじょうさん)は、宮城県本吉郡本吉町と気仙沼市にまたがる標高711mの山である。
 山頂からの眺めはまさに絶景で、北に室根山、南に金華山、西に栗駒山、東は紺碧の太平洋と、雄大な景色が眼下に広がる。
 世界でも珍しい自生ツツジの山脈として知られており、春には山頂付近50ヘクタールに咲く250万本の自生ツツジを満喫することが出来る。
 新緑の樹々と真紅のツツジとの対比が見事で、山頂までは登山道があり、トレッキング初心者でも安心して登ることができるので、ツツジを見ながら南三陸の山と海の風景を堪能できる。
 5月下旬から6月上旬には山全体が真紅に染まり、花の咲いている期間中「徳仙丈山つつじまつり」も開催される。
 徳仙丈山は、ツツジで有名な美しい景観の山である。
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2007/5/14


岩井崎の潮吹岩 Iwaisaki-no-siohukiiwa 

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 宮城県の気仙沼にある岩井崎。
 かつては、その景観と波の下の岩礁の存在により、海の難所として「地獄崎」と呼ばれていた。「岩井崎」の名は、仙台藩五代藩主伊達吉村が、その風光明媚な景色を愛でて「祝い崎」という名を送ったことに由来すると伝えられる。
 岩井崎の海岸線は、石灰岩の地質が長い年月をかけて海水によって浸食され、ゴツゴツとした奇観を見せている。陸中海岸国立公園の最南端に位置し、対岸の大島、竜舞崎と共に、気仙沼湾の海岸美を代表する岬である。
 打ち寄せる波が、大きな音とともに吹き上げる「潮吹岩」。海蝕洞の岩孔に、波が打ち寄せるたびに10数mもの潮を吹き上げ、更に大潮や波が荒い時には、いっそう高く吹き上る。全身で自然への畏怖を感じる場所である。
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大谷海岸 Oya-kaigan 

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 宮城県本吉町三島にある「大谷海岸」は、約1kmに渡る黒松の砂丘。
 「日本の海水浴場55選」にも選ばれた、全国でも有数の海水浴場である。
 JR気仙沼線にある「大谷海岸」駅は、日本一海水浴場に近い駅として有名で、駅から降り立つと、目の前には太平洋の大海原が広がる。
 緑の松原に、遠浅な砂浜がどこまでも続き、夜は静かなこの海は、海水の透明度が高くとても清らかである。浜に群生するハマナスが咲く頃、東北で一番早く海開きが行われる。
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