NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/9


牡丹色(ボタンイロ) Botan-iro 

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 元は薬用として栽培されていた中国原産の牡丹。その美しく妖艶な花は「花の王」として愛好され、そして多くの歌に詠まれ、絵に描かれてきた。日本国内で文学に登場したのは枕草子が最初だとされている。
 その牡丹の花の色に因んで名づけられた日本の伝統色が、濃い紫紅色を指す牡丹色(ぼたんいろ)である。
 平安時代、宮廷の女官達は着物を何枚も重ね着し、その表に表れる衣色の配列を「重ねの色目」として、草や花に見立て季節などを表現していた。牡丹色はその頃より装束に取り上げられるようになったとされている。明治時代に入り、少しずつ化学染料が使われるようになってから、牡丹色は更に濃く鮮やかな赤紫色に染め上げられた。
 紅とは異なる、紫がかった華やかな色合いの着物は、多くの女性に爆発的な支持を得、愛されたのだと伝えられている。
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2007/10/17


昴 Subaru Subaru

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 青白く美しく光る高温の星の集団、プレアデス星団を日本では昴(すばる)とも呼んでいる。
 元々は一つに集まっているという意味の「すまる」が変化して「統ばる(すばる)」になったと伝わる。そして、その後中国での呼び名「昴宿」から「昴」を当てたとされる。
 日本で昴について書かれた最古の記録は、平安時代中期に醍醐天皇皇女勤子(きんし)内親王が、源順(みなもとのしたごう)に作らせた辞書「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」だと考えられている。この中での昴は「須八流」と記されているという。
 清少納言の「枕草子」二五四段には「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」と書かれており、枕草子の中でも最も美しく叙述されているといわれている。
 星を美しいと感じる人の心は今も太古の頃も変わらない。
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2007/9/28


白石和紙 Shiroishi-washi Shiroishi Washi Paper

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 白石和紙(しろいしわし)は、宮城県白石市に伝わる伝統工芸品である。
 平安時代中期以後、ふくよかで、清く、うるわしく、気品のある格調高い紙として、清少納言の枕草子や紫式部の源氏物語の中などに「みちのく紙」として登場しているのが白石和紙の起源ではないかとされている。
 慶長五(1600)年の関ヶ原の戦い以後、伊達政宗の領地となった白石では、政宗の家臣であった片倉小十郎が冬季の内職として紙作りを推奨し、その直後から続々と紙漉き人が各方面から入ってきたと言われている。
 未だに全て手作りであり、とても高品質な和紙として、東大寺の「お水取り」の儀式や、第二次世界大戦の降伏文書などに使用されてきた。
 白石和紙は、清く麗しい典雅な和紙である。
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2007/9/7


鼻節神社 Hanabushi-jinja 

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 鼻節神社(はなぶしじんじゃ)はJR多賀城駅から西へ6キロ、七ケ浜半島先端の花渕浜明神崎の小高い丘の上にある神社である。
 周りは鬱蒼とした樹木に囲まれ、静寂の中に佇む神社である。
 第六代孝安天皇が猿田彦命を祭神として建立されたといわれる。
 都からわざわざ神官が出向き建立の儀式を司ったことからも、鼻節神社は朝廷の尊信が非常に大きかったと思われる。
 予明天皇の代には由緒正しき名神社のひとつに数えられていた。また、「枕草子」にも「はなふちの社」と記されていることから、都でも知れわたっていた神社でもあった。
 潮風の吹きつける中、鳥居をくぐり参道をいくと社殿前に海に面した階段がある。その先には鳥居が設けられ、海からも参拝する儀式があったのではないかと伝えられている。
 参道には境内社である山神社、稲荷神社が並んでおり、八海神社や月山神社の石碑もある。
 境内には拝殿に続き神殿があり、そこから海上を見ると、いくつもの奇岩が見える。
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2007/3/20


粉河寺 Kokawa-dera Kokawadera Temple

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 粉河(こかわ)寺は、和歌山県紀の川市粉河にある古刹。宝亀元(770)年に創建され、「枕草子」にも登場することで有名だ。正式名称は風猛山(ふうもうざん)粉河寺。
 粉河観音宗の総本山で、西国三十三ヶ所第3番札所として名高い。
 最盛期には七堂伽藍、脇寺550坊、寺領4万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失。江戸時代に再建された。
 約35000坪もの広大な境内、200メートルも続く参道、大小20余の宝塔伽藍は往時の名残を色濃くとどめる。大門、中門、本堂、千手堂はいずれも重要文化財。寺の紙本著色(しほんちゃくしょく)(国宝)は、鳥羽僧正筆である。
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2007/3/15


事任八幡宮 Kotonomama-hachiman-guu Kotonomama Hachimangu Shrine

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 事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)は、静岡県掛川市八坂にある神社である。祭神は、息長帯姫命、誉田別命、玉依比売命。
 創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇の頃(84〜190年)とされている。
 平安時代の延喜式神名帳には己等乃麻知神社と記載されている。
 大同2(807)年、坂上田村麻呂が東征の際、桓武天皇の勅命によって、現在地へ遷座させたと伝えられる。
 枕草子に「思いのままに願い事が叶う」と記される、古い歴史をもつ神社である。
 康平5(1062)年、源頼義が岩清水八幡宮をここに勧請し、以来八幡宮を併称する。
 境内は広く、樹齢約千年の大杉や大楠など樹木が茂り、石垣に囲まれている。
 事任八幡宮は、静かな神域の森に囲まれた、古の社である。
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2007/1/12


江戸簾 Edosudare Edo Sudare Blinds

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 江戸簾(すだれ)は、竹などの天然素材を生かしたところが特色の伝統工芸品である。
 簾は平安時代、宮廷で用いられていたことが「枕草子」から知られている。主な技術は江戸時代前期に確立したと言われ、専門の御簾師もいたという。
 浮世絵の代表的絵師、喜多川歌麿(1753〜1806)の作品である「百科園涼み」「簾ごし美人図」「風俗三段娘」などにもしばしば登場しており、江戸時代には日常的に使用されていた。
 江戸簾の特色は、竹、萩、御業、蒲、よし、などの天然素材の味わいをそのまま生かしているところにある。最も多く利用されている竹は、肉質が固くしまっていて色艶が良い秋の彼岸から春の彼岸までの間に採取する。
 江戸簾は、現代でも粋な室内装飾品として活用されており、夏の風情を彩る工芸品である。
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