NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/28


日光彫 Nikkou-bori Nikko Carving

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 日光彫(にっこうぼり)は、栃木県日光市に伝わる伝統工芸品である。
 寛永一一(1634)年、三代将軍徳川家光は、東照宮を現在の荘厳な社殿に造り替えることを宣言し、全国から宮大工、彫物大工、漆工、金工、絵師など名匠たち延べ168万人を集めた。
 そのうち彫物大工は40万人もおり、これらが仕事の余暇に彫ったものが、日光彫の起源といわれている。
 東照宮完成後、日光に残った彫物大工たちは東照宮の補修や整備にあたる一方、お盆や箪笥などを彫り続け、日光見物に訪れる人々にお土産として売った。また、明治以後は盛んに輸出された。
 樹種は主に栃の木を用い、高級品には彫刻の上に堅地漆で仕上げた日光堆朱塗(ついしゅぬり)が存在する。
 日光彫は、木の持つ暖かさと一つずつ丹念に彫り上げた手作り感が心地よい伝統工芸品である。
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大内塗 Oouchi-nuri Ouchi Lacquer Ware

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 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市に伝わる工芸品で、国の伝統工芸品に指定されている。
 室町時代に、現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われている。
 渋い大内朱の地塗りの上に、黄緑色の彩漆で秋の草を描き、雲の形を描き入れ、家紋の大内菱を金箔で貼り付けた独特の文様が特徴とされる。
 主に、椀や盆、花器、大内人形などが作られており、中でも大内人形は、24代大内弘世が京を偲んで寂しがる夫人を慰めるために、京から呼び寄せた人形師に作らせたといわれ、その愛らしい表情の人形は夫婦円満を願う人々に喜ばれている。
 大内塗は、匠の技術を現在に受け継ぐ、高級感溢れる伝統工芸品である。
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2007/8/9


玉虫塗 Tamamushi-nuri Tamamushi Lacquer Ware

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 国内はもちろん海外でも人気のある仙台生まれの漆芸。
 昭和三年、当時の商工省(現在の経済産業省)工芸指導所が仙台に設立され、昭和七年に所員であった小岩峻(作家名:古明)によって開発された漆器の塗装法である。量産と海外輸出を目的として、日本古来の伝統工芸に新たな技術を加えて、外国人の趣味嗜好に合うように商品開発された。
 光や角度により艶やかな光沢と色調を見せることから「玉虫塗り」と命名された。
 漆器本来の下塗りの後、表面に銀粉をまき、赤や緑の玉虫漆で上塗をする。この銀粉まきと玉虫漆の上塗りを工程を十数回から多いもので数十回漆を塗り重ねることにより、玉虫の羽のような風合いが出てくる。
 さらに沈金(ちんきん)や蒔絵(まきえ)と呼ばれる模様付けを施すことにより製品となる。
 戦後は輸出漆器の中心を担うほど海外で人気となり、和洋、どちらにも調和する漆器として現在でも親しまれている。
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2007/7/25


青磁 Seiji Celadon (Seiji)

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 青磁(せいじ)は、紀元1世紀から中国で焼かれてきた歴史ある陶器である。
 元々の起源は、およそ3500年前の殷代中期に生まれた「原始瓷器」と呼ばれる中国の本格的施釉陶器に始まる。ガラス質の釉薬(ゆうやく)の中の鉄分が、炎の還元作用により青とも緑とも呼べる奥深い色に発色する青磁は、技法が確立された後漢の紀元1世紀から営々として焼き続けられてきたのである。
 青磁は諸外国の憧れの的になり、9世紀頃から日本を始めとして朝鮮半島、東南アジアにも盛んに輸出されたという。特に日本では、中国への憧憬から積極的に収集、模倣され、技法も飛躍的に発達した。
 青磁の茶碗でお茶を飲むと、お茶の色が鮮やかになることから、日本では煎茶の茶道具として一般的である。昔から茶人や大名・寺院などで大切にされてきたという。
 澄み切った海のような青と、うっすらグリーンがかった上品な色合いの青磁は、国境を越えて人々の心を捉えて放さない。
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2007/5/10


金沢箔 Kanazawa-haku Kanazawa Gold Leaf

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 金閣寺、日光東照宮をはじめ、漆工芸、仏壇仏具や織物、久谷焼など、様々な分野で美しい輝きを創造する金沢箔。石川県の金沢は、400年以上の金箔の歴史を持ち、現在は日本一の金箔生産量を誇る。
 江戸時代、江戸や京都以外で箔を作ることは禁止されていたが、加賀藩では藩の工芸振興のために、公にはせず金箔の生産を行っていた。雨や雪の多い金沢の気候が金箔を作ることに適していたことも、金沢箔の発展に貢献した。第一次世界大戦中にドイツが金箔を供給できなくなると、金沢が金箔を輸出。これにより世界的に金沢箔が有名になった。
 箔打ちは、10円硬貨ほどの大きさの金合金を叩いて、畳2枚分の大きさまで伸ばす作業。透かすと向こう側が見えるほどの薄さになっても金の輝きを失うことなく、均一の薄さに仕上げなければならない。この絶妙な匠の技が、多くの文化遺産を現代へと伝える大きな役割を果たしたのである。
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2007/4/13


福島武山 Fukushima Buzan Buzan Fukuyama

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 石川県に伝わる伝統工芸品、九谷焼の伝統工芸士。
 1944(昭和十九)年生まれ。90年に伝統工芸士に認定、2003年、石川県指定無形文化財に認定された。
 九谷焼は江戸時代初期に加賀前田藩で作られたが、突如廃窯され、その後江戸時代末期に復興された。華麗な絵付けが特徴であり、海外にも多く輸出され人気が高い。
 白い素地に赤い絵の具で綿密に絵付けをする赤絵細描が氏の専門。師匠を持たず、絵の具の溶き方から色の挿し方まで全てにおいて独学で学んだ経歴を持つが、その絵筆が繊細に世界を描く様は何にも勝り卓越している。
 常に自身を戒め妥協のない作品造りを心がける姿勢は、確かな技を育み、作品に命を吹き込み続けている。
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黒田英一 Kuroda Eiichi Eiichi Kuroda

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 静岡県に伝わる伝統工芸品、駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)の伝統工芸士。
 1931(昭和六)年生まれ。駿河竹千筋細工の変形曲げを得意な技法とし、86年、伝統工芸士に認定された。91年、関東通産局長賞、2001年、関東経済局長賞、伝統的工芸品振興会会長賞など多数の賞を受賞する。
 駿河竹千筋細工は江戸時代初期、駿府に隠居した徳川家康が鷹狩を行なう際の餌箱を竹で編ませたのが始まりと言われる。以後武士の内職として作られ発展、明治時代には海外にも輸出され、人気を博した。
 この道60年の経験を持ち、しなる竹を自在に形作る。完成した作品はどこに出しても氏の作品であると判る程、独特な風合いを持つと言う。
 祖父の代から受け継いだ技法に更に磨きをかけ尽力している傍ら、
 現在は後継者育成のための技術・技法の伝承方法を確立し、業界振興を試みている。
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2007/4/6


雨畑硯 Amehata-Suzuri 

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 雨畑硯(あまはたすずり)は山梨県、南巨摩郡で古くから作られてきた硯で、天明四(1784)年、十一代将軍、徳川家斉に献上され、全国に広くその名を知られるようになる。
 鎌倉時代末期、日蓮聖人の弟子、日朗(にちろう)がこの地に来た際に雨畑川の川原で石を見つけ、硯に最適だと言ったのが始まりとも、江戸時代初期に雨宮孫右衛門が身延山への参詣の途中の河原で拾った石を加工したのが始まりとも言われる。
 原石の粘板岩は雨畑川上流から産出され、粒子が細かく均等であることや水を吸いにくい石質から硯に適しており、硯工手により荒彫り、磨き、繕い、などのいくつもの工程を経た後に硯として加工される。
 文人墨客に多くの愛好家を持ち、同じ墨文化を持つ中国や台湾などにも輸出が行われるほど、世界的にも評価の高い工芸品である。
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