NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/20


八幡焼 Hachiman-yaki 

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 八幡焼(はちまんやき)は、島根県安来市広瀬町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 出雲の国広瀬は、その昔山陰の鎌倉といわれ、山陰山陽十一国を統治した尼子氏の月山富田城のあった山あいの郷である。
 享保八(1723)年、富田八幡宮神官・竹矢豊前と広瀬藩士・熊谷由武によって始められた。
 繊細な色あいの中にキラリと輝く鋭さを持ち合わせた青釉薬(あおゆうやく)を特色としており、青釉をほどこした食器や花器、茶器などが人々に広く愛用されている。
 呉須釉で「広瀬三万桶茶と茶漬」と謡われるぼてぼて茶用の茶碗なども知られており、釉薬と焼成の研究により木の葉天目、窯変などの作品にも力を入れている。
 最近は、伝統の茶陶のほか日用雑器なども焼かれている。
 八幡焼は、未だ日夜研究を続けられている伝統工芸品である。
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2007/4/27


尾戸焼(能茶山焼) Odo-yaki (Nousayama-yaki) 

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 尾戸焼(おどやき)は能茶山焼(のうさやまやき)ともいい、承応2(1853)年藩主山内忠義公の命により、大阪摂津の陶工久野正伯(くのせいはく)を招いて、高知城近辺に開窯。原土は能茶山より採取し、作陶が始まった。
 尾戸(現在の小津町)で焼かれていたので、尾戸焼と呼ばれていたが、文政3(1820)年に能茶山に移窯。その後、能茶山焼と呼ばれ現在に至る。
 現代は水簸(すいひ・水で粘土を篩にかける)で精製、主としてその土で作陶する。雲鶴、松竹梅等の絵を呉須(ごす・陶磁器に用いる顔料の一種)で克明に描き、花瓶、徳利、茶碗などを作り上げている。尾戸焼の特徴でもある丹精な薄作りの作風は現在でも伝承されている。
 作品は白上がりの陶器で、色絵薩摩の素地に似て細かな貫入が入り、薄作りのため軽い。
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2007/1/31


瀬戸染付焼 Seto-sometsuke-yaki Seto Underglazed Ware

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 愛知県にある磁器で作られる伝統工芸品。
 産地の歴史は、19世紀初め、加藤民吉を中心とした職人たちが磁器の焼成技術を瀬戸の地に広めたことがはじまりである。
 その後、絵師の絵付けの技法を加えるようになり、主に南宋風の絵画を中心に絵付けされたものが有名になった。それによって急速に発展し、今日の瀬戸染付焼の土台が確立された。
 白地の素地に絵付けを施し、藍色を基調とした色使いと、自然画や、鳥、花の絵柄を使う。「ねらし」という一定時間窯の温度を高温のまま維持をする技法を使い、釉薬を熟成させるところに特徴がある。
 直接筆で呉須(ごす)絵具等を用いて下絵付を行なうなど、すべてにおいて手作業の伝統を引き継ぐ。
 製品には食卓用品、茶道具、室内装飾品などがある。
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2006/12/20


陶山神社 Touzan-jinja Toyama Shrine

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 陶山神社は、やきものの町、佐賀県有田にあり、「有田焼陶祖の神」と言われている。
 起源は約350年前。江戸時代初期の万治元年(1658年)、有田皿山代官の命により、伊万里市大里の郷社、八幡宮から分霊をいただいて現在の地に「有田皿山宗廟八幡宮」の社名で創建されたのだとか。それ以来、地元の窯元と商人たちの崇敬を集めてきたという。この地の陶工たちが競って寄進した大鳥居、狛犬、欄干、手水鉢などはすべて白磁器でできている。中でも、大鳥居は必見。明治21年に奉納されたもので、白磁の素地に天然呉須による淡いブルーの染付け唐草模様が美しい。
 社務所で扱っている絵馬やお守りも磁器製。自分の名前を入れた、宮司による手作りのユニークなお守りを買い求めることが出来る。
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