NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/9


ドケ祭 Doke-matsuri 

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 琵琶湖と湖東三山に挟まれた東近江市の田園地帯に押立(おしたて)神社がある。「大宮さん」の名で親しまれるこの神社には、奇祭「ドケ祭」が伝えられている。祭神である二神を祀ったお渡りの行事がそのまま残ったもので、「ドケ」とは「道化」、あるいは神様がお通りだから「ドッケ、ドッケ」の意味だといわれる。
 ペリー来航の嘉永六(1853)年からは六十年に一度の祭りとなり、最近では昭和四六(1971)年に行われ、次回は平成四三(2031)年まで待たなくてはならない。
 祭りは、鬼や般若の面に女物の長襦袢と陣羽織という変った衣装のドケ役、太刀振り、ササラ摺りなどが、笛・鉦(しょう)・太鼓の囃子に合わせて踊り狂うという風流なもの。このままでは祭りの伝承が困難なため、ドケ踊を中心に芸能の保存が進められている。祭りで使われる装束などは、境内右手にある宝物殿に展示されている。
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2008/7/28


無鄰菴 Murinan 

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 京都市左京区の一角にあり、風光明媚な庭を持つ別荘。それが無鄰菴(むりんあん)である。
 明治、大正期の元老であり、内閣総理大臣も勤めた山縣有朋(やまがたありとも)が所有していた。
 有朋自らが、海外の庭園なども参考にして設計、監督し、当時の造園家の手により作庭された和洋折衷の庭が有名である。
 明治二九(1896)年に完成した庭は、京都東山を借景として池や芝生を配した池泉遊式になっており、琵琶湖疏流が引き入れられて、流れる水音がどこからでも聞こえるようになっている。
 醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝もあり、ツツジやカキツバタの色付きなど、四季折々の風情を楽しむことができる。
 それまでの山水画のような作庭とは違い、どこか牧歌的な雰囲気を併せ持った庭でもある。
 この庭を眺めながら、明治三六(1903)年、有朋と伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の四者によっていわゆる「無鄰菴会議」が開かれ、日本の一時代を築いた場所としても知られている。
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2008/5/22


小谷城 Odani-jou 

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 滋賀県の「小谷城(おだにじょう)」は、諸説あるとされるが、大永四(1524)年頃に初代当主・浅井亮政(あざいすけまさ)が築いた山城である説が有力とされる。
 湖北町と浅井町にまたがる小谷山の自然の地形を利用して、東西の尾根づたいに各郭が配置、本丸や大広間などが建てられていた。琵琶湖や湖北三郡を一望する事が出来るこの場所は、中世五大山城の一つに挙げられる。
 小谷城は久政、長政と三代まで続いたが、元亀(1570~1573)から天正年間(1573~1591)に亘る騒乱の中で、織田信長に攻められ落城した。そして羽柴秀吉の居城となるが、山城は時代に合わないという理由で長浜城を築城、小谷城は廃城となった。
 小谷山全山に及ぶ城跡の遺構から、当時の面影と共に浅井長政の妻で「戦国一の美女」と賞されたお市の方や、茶々・初・江といった三人の娘達の生涯が偲ばれる。
 昭和一二(1937)年には、国の史跡に指定されている。
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2008/2/18


観音正寺 Kannon-shou-ji Kannonshoji Temple

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 西国三十三箇所は、近畿二府四県と岐阜県に点在する霊場であり、日本で最も歴史がある巡礼行といわれている。
 観音正寺(かんのんしょうじ)は、その第三十二番札所にあたる。
 琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂付近に位置し、まるで現世と離れるかのように粛々と佇んでいる。
 社伝によると、聖徳太子が近江国に創建した寺院で、鎌倉・室町時代には、近江国守護職・佐々木六角氏の庇護を受け、三十三院の子院を擁し、絶大な勢力を誇ったとされている。
 その後、内戦や移築など時代に翻弄される憂き目も見たが、慶長二(1597)年に再び元の山上に戻った。
 以前のような、きらびやかな勢いはないが、現在も万事吉祥の縁結びの祈祷道場として篤く信仰されている。
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2007/12/21


福林寺 Fukurin-ji Fukurinji Temple

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 琵琶湖の南半分あたりに東西に点在する湖国十一面観音霊場。守山市の外れ、琵琶湖大橋の東にひっそりと建つ福林寺(ふくりんじ)は、湖国十一面観音霊場の第四番で、平安時代初期に天台宗を開いた最澄(さいちょう)の開基と伝えられている。
 藤原時代のものと伝えられる本尊の十一面観音立像は、高さ1・8メートル、人の背丈ほど。木造彩色、秘仏である。月光を光背として五色の蓮華台座に立ち、豊かな頬にまろやかな肩、胸部、衣の線が実に美しく、ふくよかですらりとした容姿はまるで天平時代の貴人にも喩えられ、国の重要文化財になっている。
 また境内右側には、鎌倉時代の初めの武将、佐々木高綱が納めたという石造宝塔が二基あり、こちらも国の重要文化財となっている。双方ともに、四面に格狭間(こうはさま)があり、一面にだけ刻まれた仏像の痕跡と上部が失われた宝塔の相輪が、800年もの時を語ってくれる。この塔は、この地の出である高綱の納経塔と伝えられている。
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2007/11/12


伊崎の竿飛び Isaki-no-saotobi Izaki Pole Diving

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 伊崎の竿飛び(いさきのさおとび)は、滋賀県近江八幡市白王町の伊崎寺にて毎年8月の第1日曜に行われる行事である。
 伊崎寺は、貞観年間(859~877)に開基されたと伝わる天台宗の寺院で、琵琶湖に突き出た小さな半島の先端に建っており、修行道場でもある。
 竿飛びは、今から約1100年前にこの寺で修行中の建立大師が、寺の眼下に広がる琵琶湖に空鉢を投げて、湖上を行きかう漁民たちに喜捨を乞い、その後自ら湖中に飛びこんで空鉢を拾いあげた、という故事に基づくと言われている。
 行事では、琵琶湖上に突き出た長さ13mの角材から、若者らが約7m下の湖面に飛び込む。強い日差しのもと、水しぶきをあげ豪快にダイビングする姿に、見物客からは盛んな拍手が送られる。
 伊崎の竿飛びは、荒行から生まれた厄除祈願・度胸試しの歴史ある伝統的行事である。
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2007/10/17


京すだれ Kyou-sudare Kyosudare

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 京すだれ(きょうすだれ)は、高級品として知られる、京都府にて作られるすだれである。
 御簾(みす)は平安時代の宮廷の調度品として欠かせぬものであったが、町家では贅沢であるとして御簾の使用が禁じられたため、縁のない竹すだれが用いられた。
 すだれは神社仏閣・料亭など、伝統や格式を重んじる場所の多い京都ならではの工芸品として受け継がれてきたが、明治以降は角ひごが丸ひごとなり、四方に縁のついた座敷すだれが京すだれとして全国に広まった。
 現在も手づくりのすだれのほとんどが京都で生産されており、原料は琵琶湖東岸の物が最高とされ、間仕切りや日除けとしての実用性と趣のあるデザインが人気を集め、欧米などへも輸出されている。
 京すだれは、涼やかで雅な日本の伝統的調度品である。
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2007/8/15


八郎潟 Hachirou-gata 

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 八郎潟は秋田県、男鹿半島の男鹿市、潟上市、大潟村などにまたがる湖である。
 元々は琵琶湖に次ぐ大きさを誇る湖だったが、戦後1957年からの開拓事業により5分の4が干拓され、規模が縮小され、1977年に竣工した。
 現在は八郎潟調整池と東部承水路、西部承水路に分かれて存在し、三つを合わせた総面積は48・3平方km。。元は海水の混ざる汽水湖だったが、八郎潟防湖水門が出来たため、現在は淡水湖となっている。
 開拓前はうたせ船、氷下漁業などが盛んに行われていたが、現在、淡水化のため漁獲高は減少している。冬場のワカサギ釣り、バスフィッシングなどには適しており、四季を通じて多くの釣り客が訪れる。
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