NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


足助神社 Asuke-jinja Asuke Shrine

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 愛知県東加茂郡足助町には二つの神社が並んでいる。大きいほうが足助八幡宮(あすけはちまんぐう)と呼ばれ、白鳳三(652)年に創建された由緒ある古い神社である。
 寄り添うように隣に立てられた足助神社(あすけじんじゃ)は明治三五(1902)年に創建された比較的新しい神社である。
 足助神社に祀られているのは、元弘の変の時に後醍醐天皇の味方となり、京都の笠置山に篭城した足助次郎重範という軍の総大将だった人物である。最後は捕らえられ、六条河原で斬首となったが、敵軍からは勇猛果敢、弓の名手として恐れられた。
 そのためか、足助町は弓道の盛んな土地柄でもある。
 足助神社の鳥居脇には、誤ってガンを射たことから出家した久右衛門という人物の辞世の句「先立ちし雁や浄土の道しるべ」が書かれた「雁塚」が建てられている。
 
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2007/6/7


能面 泥眼 Noumen Deigan Noh Mask Deigan

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 能面の泥眼(でいがん)は、能「海士」のような神霊の役の面として考案されたが、後に能「葵上」など怨霊の役にも使われるようになった能面である。
 「泥眼」の名は、目に金泥が塗られているところからの命名である。目や歯に金が入れられることはしばしばあるが、現世を超越した存在を意味するという。
 「葵の上」では、前ジテである六条御息所の生霊が嫉妬に狂う心とそれを鎮めようとする複雑な心情を、この能面で表現する。ほつれ髪が顔にかかり、口は物言いたげにわずかに開き、眼には哀しげな表情が宿っている。品の良い美女の、恨みと救いを求める様を見事に表現した能面だ。
 「泥眼」は、怖さと品格を兼ね揃える妖気漂う面である。
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2007/5/1


城南宮 Jyounan-guu 

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 城南宮のある鳥羽の地は、平安京の南にあり、平安京の表玄関に当たる交通の要衝である。
 平安京に都が定められるにあたり、国常立尊(くにとこたちのみこと)・八干矛神(やちほこのかみ(おおくにぬしのみこと))・神功皇后(じんぐうこうご)を祀り都の守護としたことがはじまりである。
 またここは、鴨川に臨む水郷の景勝地で、平安時代の末に白河上皇の離宮が立てられ院政の中心として賑わいをみせた。
 社殿を取り囲むように「楽水苑」と呼ばれる庭があり、伏見の地下水を引き入れた五つの庭で構成されている。
 源氏物語の六條院をモデルにした「春の山」。曲水の宴が催される「平安の庭」。、茶室を配した池泉廻遊式の「室町の庭」。枝垂桜が咲き誇る豪奢な「桃山の庭」。そして院政の時代、城南の地がもっとも賑わった頃を枯山水で表現した「離宮の庭」。
 この庭のあり様は、まさに京に都があった1千年もの間、時代の節目を刻みながら都の歴史を南から見つめた城南の姿である。
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