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起点の板橋から数えて中山道六十九次の51番目にあたる「太田宿」は、中山道の三大難所の一つで知られる「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えた。東西680mに亘って続く町並みは、昔の景観を保っているので、宿場情緒を楽しみながら散策出来る。
桝形を抜けて旧中山道の町並みに入ると、今は無くなってしまった本陣の門だけが左に残り、右には見学可能な脇本陣が残されている。通りに、ほど近い祐泉寺には滝場観音の伝説が残るほか、播隆上人の墓、坪内逍遥、北原白秋、松尾芭蕉の歌碑・句碑等が建っている。この太田宿を発つと、「太田の渡し」で木曾川を渡り、伏見、御嵩へと向ったのである。
桝形を抜けて旧中山道の町並みに入ると、今は無くなってしまった本陣の門だけが左に残り、右には見学可能な脇本陣が残されている。通りに、ほど近い祐泉寺には滝場観音の伝説が残るほか、播隆上人の墓、坪内逍遥、北原白秋、松尾芭蕉の歌碑・句碑等が建っている。この太田宿を発つと、「太田の渡し」で木曾川を渡り、伏見、御嵩へと向ったのである。
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