NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


江戸切子 Edokiriko Edo Kiriko

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 江戸切子(えどきりこ)は、江戸末期にはじまるガラス細工(カットグラス)工芸品である。
 天保5(1834)年、ビードロ屋の加賀屋久兵衛が、江戸大伝馬町で金剛砂を用いてガラスを彫刻し、切子細工の法を工夫したのが始まりと伝えられる。
 江戸末期に生産された江戸切子は、手作業による手摺り工程によって透明な鉛ガラス(クリスタルガラス)に細工を施して制作されたものと考えられている。文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など、着物にも見られる身近な文様の繊細な切子であった。
 現在は、色被せガラスを素材に用いたものが好まれ、多く生産されている。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴である。
 2002年、経済産業省伝統的工芸品に認定される。
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2007/2/7


真性寺 Sinshou-ji 

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 真性寺(しんしょうじ)は、東京都豊島区巣鴨にある真言宗・豊山派の寺院である。東京都指定有形文化財。
 開基は不明だが、元和元(1615)年に祐遍法印によって中興開基された。
 正徳四(1714)年、地蔵坊正元の発願で江戸の街道出入り口に建てられた、江戸六地蔵の第四番として有名である。
 地蔵は、高さ2.68mで、製作者は、神田鍋町の鋳物師・太田駿河守正儀である。
 他にも御府内八十八箇所、九品仏、三十箇所弁財天にも数えられ、真性寺への巡礼が巣鴨発展の基になったと言われている。
 江戸名所図会にも描かれている名刹で、巣鴨では東福寺、西福寺と並び最も古い寺の一つとされている。
 真性寺は、巣鴨の人々から愛され、親しまれているお寺である。
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2007/1/12


東京手描友禅 Tokyoyuuzen Tokyo Hand-Painted Yuzen

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 東京手描友禅は、色数をおさえた粋なデザインを特色とする東京の染物である。
 手描友禅の手法は、300年程前、京都の染色家・宮崎友禅斉によって確立された。
 江戸時代中期、武家政治の中心として栄えた江戸には、関西方面からの産物がたくさん集まってきた。その結果大名のおかかえ染師等が多く江戸に移り住むようになり、各種の技法が伝えられた。
 町人が経済の主導権を握るようになるにつれ、町人文化が発達して、粋や寂びといった感覚が一般的になり、東京手描友禅の発展に寄与した。
 柄は単彩で粋な意匠を特色とし、地味な感じの中にも明るい色調とデザインの新しさがある。
 東京手描友禅の特色は構想図案から下絵・友禅挿し・仕上げに至る工程が作者の一貫作業で、その作品は多くの人に好まれている。
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江戸更紗 Edosarasa Edo Sarasa Cloth

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 江戸更紗は、渋くエキゾチックな、異国情緒あふれる木綿の模様染布である。
 更紗染めは、インド、ジャワ、ペルシャなどの東洋諸国を起源とした強烈な色彩と南国の草花や鳥、人物などを描いた模様染布である。
 日本には室町時代末頃、南蛮貿易によってもたらされ、江戸時代中期頃から江戸で普及した。
 江戸更紗は、色彩や図柄に日本人の嗜好を取り入れ、型紙摺りの技法を得て発達したものである。
 文様は草花、鳥獣、人物などを図案化し、トーンは渋くエキゾチックな感じのするものが多い。
 型紙は多いもので300枚も使うものもあるが、通常30枚程度である。このため、立体感があり色に深みが感じられる。
 今も江戸更紗の美の世界を支えるのは、江戸の昔から連綿と続いてきた職人たちの技と匠である。
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江戸押絵羽子板 Edoosiehagoita Edo Oshie Hagoita Battledores

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 羽子板は、古くは胡鬼板(こぎいた)とも呼ばれ、正月の羽根つき遊びや新年を迎える贈り物として用いられてきた。羽子板で邪気を羽根のけて、健やかな成長をお祝いする意味も込められている。
 羽子板に、中国から伝わった技法で厚紙に布を張り、綿を入れて立体感を持たせた押し絵が使われるようになったのは、江戸時代後期のことである。
 当時は町人文化が発達し、浮世絵も多く作られ、歌舞伎役者の舞台姿の似顔羽子板が大変人気をよんだ。年の瀬の「歳の市」には、数多くの贔屓役者の羽子板が並べられ、これを買い求める多くの客でごったがえしたという。
 今日の江戸押絵羽子板は、この押絵羽子板技法が受け継がれて来た物であり、美しい羽子板は初春の縁起物として、また高尚な贈り物として今なお喜ばれている。
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江崎軍治 Gunji Ezaki Gunji Ezaki

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 1913年、秋田生まれ。江戸漆器の伝統工芸士。
 秋田県川連漆器の塗師の次男として生まれ、学校卒業後、自宅にて修行。1931年、18歳で上京し、浅草の塗師に奉公。戦争中は軍の仕事をやりながら材料を手に入れ、塗りの仕事をしていた。
 江戸漆器は五代将軍綱吉の時代に進歩し、八代将軍吉宗の時代以降、庶民の間に日常漆器として普及した。茶道具・座卓をはじめ多様な製品が生産されている。
 1946年、葛飾で独立。50年頃までは、浅草の御輿商で塗りや組立の仕事をする。
 現在は太鼓や、獅子舞の獅子、神輿の塗りを主に手がけている。
 氏曰く「漆は下地が大切です。表面上あまり変わりませんが、良い物は使うにつれ味わいのある良い色がでるんです」とのこと。
 1995年、葛飾区伝統工芸士に選定される。
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白石敏道 Toshimithu Siraishi Toshimichi Shiraishi

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 1937年、葛飾区堀切生まれ。江戸漆器の伝統工芸士。
 父の代からの漆職人。1953年、16歳で千住の漆職人に弟子入り。63年、26歳で独立。
 江戸時代初期、徳川家康が京都から漆職人を連れてきたのが江戸漆器の始まりである。以来、すしの飯台、そばのせいろなど丈夫一点張りの業務用を柱に発達した。
 氏が作る漆器は、その質やできばえから考えると驚くほどに安価である。
 今、修理にも力を入れていると言う。「欠けていようと割れていようと、木製のものなら何でも、何度でも直るし、いっぺん直したらまた何十年も使えるんです。漆製品、漆器でしたら何でも修理します」とのこと。
 東京都伝統工芸士、葛飾区伝統工芸士、国家検定試験一級技能士。
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