NIPPON Kichi - 日本吉

記事数74件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/3/5


弥彦神社 yahiko-jinjya yahiko Shrine

Jp En

 越後平野の中央にそびえ立つ弥彦山の麓に、弥彦(伊夜比古)神社(やひこ(いやひこ)じんじゃ)はある。越後国の一ノ宮である。
 境内はうっそうとした樹林に覆われ、長い月日を経てきた老杉、古欅が佇んでいる。その創建年代は不詳だが、万葉集にも歌われたほどの古社。
 祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。神武天皇の命を受け、越後国開拓のため地元の民に、漁労や製塩、稲作や養蚕などの農耕術を教えたという。かつては、伊夜比古さまと呼ばれ、越後の人々の心のふるさと、魂のよりどころとして、古くから栄えてきた。
 日本有数の長い日本刀である志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家や源義経らに所以すると伝えられる武具などの文物が、社宝として宝物館に展示されている。
 現在の社殿は、火災のために焼失した後、大正五(1916)年に再建されたものである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/23


土佐凧 Tosa-dako 

Jp

 土佐凧(とさだこ)は手漉き土佐和紙を使用、正方形を45度回し角を立てた特徴的な形をしている。
 力強い墨の線に、魔除けの赤色を基調とした華麗な彩色は雅で、大変に美しい。
 凧は用途別に3種類に分けられ、絵凧と呼ばれる凧には武者や姫だるま、鶴を、定紋凧には家紋を、祝凧には「祝」などの慶祝文字をあしらう。
 凧は古代中国で兵器や宗教的な占いの為に作り出され、平安時代に日本に渡来したと言われており、土佐では、長曽我部氏が戦国時代の四国平定に、空とぶ兵器としてこれを用いた。 それが江戸時代になってからは男児出生を祝う行事となり、また、還暦の祝いに凧揚げをする風習も出来たと言われている。
 現在では香南市香我美町の1軒のみで作られ続けている。
 子どもの遊び道具としてももちろん、装飾用の美術工芸品としても大変に貴重で価値がある工芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/24


サロベツ原野 Sarobetsu-genya The Sarobetsu-genya Moor

Jp En

サロベツ原野はサロベツ川の流域にあり、面積約23000haにも及ぶ、日本有数の広大な湿地である。利尻礼文サロベツ国立公園に属する。
 湿原の中央に位置する原生花園では、初夏から秋にかけて、ツルコケモモやヒメシャクナゲ、鮮やかな黄色をしたエゾカンゾウや、可憐な紫のエゾリンドウなど、約100種にも及ぶ湿原植物や花々が観察できる。湿原の顔、エゾカンゾウは、初夏にたった2日間しか開花しない大変希少な花である、見られるかどうかは運に任せよう。
 また、サロベツ原野は野鳥の宝庫としても有名。晩秋の時期には、オオヒシクイなど南へ渡る渡り鳥を始め、タンチョウも姿を見せる。冬を迎えるとオジロワシがロシアからやってくる。
 動植物を守り育むサロベツ原野は、私たちにも安らぎを与えてくれるかけがえのない場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/7


船形山 Funagata-yama 

Jp

 船形山(ふながたやま)は宮城県と山形県の県境にあるブナに囲まれた静かな山で、日本二〇〇名山にも選ばれている。
 標高は一五〇〇メートル、鬱蒼としたブナ林が続く原始の森で、付近には珍しい花や多くの高山植物が生息している。
 登山口までは車で行くことが出来るが、なかなか険しい道の連続である。入口付近には、近く寄ることは出来ないが、遠望できる見事な船形大滝(ふながたおおたき)、そして山頂までの道程には宮城一美しい、といわれる鈴沼(すずぬま)、旧火口跡と云われる湯谷地(ゆやぢ)、蛇ヶ岳(じゃがだけ)の湿原など見所は多い。
 山頂には小さいながら、船形神社がひっそりと鎮座している。辺りには山形側に月山など、船形連峰の山々を一大パノラマのように見ることができる。
 
 
 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/24


旧正凧揚げ大会 Kyuushou-takoage-taikai 

Jp

 毎年二月一一日に行なわれている土佐・野市町の「旧正凧揚げ大会(きゅうしょうたこあげたいかい)」は、その凧の大きさで有名である。
 実際に揚げられる凧は45cm程度のものから様々あるが、圧巻は何と言っても百畳はある土佐の大凧である。重量270kg、胴の長さが16・5mにもなる大凧が、ゆらりゆらりと大空へ揚がってゆく様は壮観である。
 土佐凧の特徴は、正方形を45度回転させて角を上にし、手描きで直接絵を描いたもの。
 図柄は、男子出産祝い・還暦祝いの時の「祝凧」、家紋をあしらった「定紋凧」、武者絵・姫だるま・鶴などの「絵凧」の3種類に大別できる。
 戦国時代、土佐においては長曽我部氏が凧を「空飛ぶ兵器」として用いたと言われているが、江戸時代になってからは、凧揚げは男児出生を祝う行事となり、後に還暦の祝いに凧を揚げる風習も出来たといわれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/16


赤城山 Akagi-yama Mt. Akagi-yama

Jp En

 赤城山は、群馬県のほぼ中央に位置する、標高1827mの山である。榛名山、妙義山と共に、上毛三山の一つに数えられ、日本百名山の一つにも選ばれている。
 最高峰の黒檜山をはじめ、駒ヶ岳、地蔵岳、長七郎山、鍋割山などの山頂を持つカルデラ二重式火山であり、赤城山は、その総称である。
 火口原湖の大沼、火口湖の小沼、高層湿原の覚満渕と三つの美しい沼を有している。

 また、冬期の関東平野に特有の北風、いわゆる「空っ風」は、赤城山の方角から吹くことから、「赤城おろし」とも呼ばれる。
 古くから信仰の対象の山でもあり、地元の人々の間で親しまれて来た。
 赤城山は、群馬を象徴する雄大な名峰である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/13


伊良湖岬 Irago-misaki 

Jp

 伊良湖岬 (いらごみさき)は、太平洋と三河湾を望む渥美半島先端にある岬である。
 先端には紺碧の空間とのコントラストが印象的な、日本の灯台50選にも選ばれた白亜の灯台があり、付近を行き交う船の航行に重要な役目を果たしている。
 この灯台から日出の石門までの太平洋岸に面した約1kmに、数々の日本の百選(道・渚・白砂青松・音風景)に選ばれた「恋路が浜」という湾曲した美しい白砂浜がある。この恋路が浜には、その昔、許されぬ恋の逃避行を重ねてきた高貴な男女がここで力つき、貝になったという伝説が伝わっている。
 夕方になるとあざやかに空が染まり、灯台が光を灯しはじめると、辺りは幻燈的な美しさに包まれ、訪れた人々を魅了している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/3


可愛岳 Eno-dake Mt. Enodake

Jp En

 可愛岳(えのだけ)は、宮崎県東臼杵郡北川町から延岡市にまたがる標高728mの山である。
 延岡市内から北を眺めれば、どこからでもその雄姿を正面に見ることが出来、山頂からの見晴らしも良く、千丈覗(せんじょうのぞき)からの海側も絶景とされる。
 西郷隆盛率いる薩摩軍の「可愛岳突破」で有名な、東西に長い山頂部を持つ花崗岩の岩山で、登山口には、西南の役で和田越えの戦いに敗れた西郷軍が最後の軍議を開いた屋敷が、西郷隆盛宿陣跡資料館として残っている。
 小さな滝のある水飲み場、巨岩巨石に古い石垣跡の前屋敷などがあり、山頂の鉾岩はニニギノミコトの御陵とされ、崇神天皇の御代に社殿をここに建て、可愛山大権現社と称した。
 毎年11月3日に日本一遅い山開きがあり、福岡、大分方面からの参加者で大いに賑わう。
 可愛岳は、西郷隆盛に縁の深い自然豊かな山である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数74件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter