|
天麟院(てんりんいん)は、仙台藩祖・伊達政宗公の正室、愛姫(めごひめ)との間に生まれた一人娘である五郎八姫(いろはひめ)の菩提を弔った寺であり、日本三景の一つ、宮城県の松島にある。
同じく松島にある陽徳院や円通院と並んで、松島の三霊廟に数えられている。
五郎八姫は、徳川家康の六男であった松平忠輝のもとへ政略結婚という形で嫁いただものの、忠輝が家康に反発、大阪夏の陣への参戦を行わなかった事で高田七五万石を召し上げられ、離縁。仙台に戻った姫は仏門に入ることとなり、その落飾後の号が天麟院である。
政宗公は姫を心配し、仏門に入った後も生活を支援し続け、二代藩主・忠宗にも「姫をくれぐれも頼む」といった遺言を残している。
一説には姫はキリシタンだったといわれ、離婚を認めない教義のため、愛姫からの再婚の話にも一切耳を傾けなかったのだという。
そんな五郎八姫の墓所は、忠輝の没した信州諏訪の方を向いているといわれる。二人の死後から三百有余年。誰にも邪魔されることなく、見つめ合っている。
同じく松島にある陽徳院や円通院と並んで、松島の三霊廟に数えられている。
五郎八姫は、徳川家康の六男であった松平忠輝のもとへ政略結婚という形で嫁いただものの、忠輝が家康に反発、大阪夏の陣への参戦を行わなかった事で高田七五万石を召し上げられ、離縁。仙台に戻った姫は仏門に入ることとなり、その落飾後の号が天麟院である。
政宗公は姫を心配し、仏門に入った後も生活を支援し続け、二代藩主・忠宗にも「姫をくれぐれも頼む」といった遺言を残している。
一説には姫はキリシタンだったといわれ、離婚を認めない教義のため、愛姫からの再婚の話にも一切耳を傾けなかったのだという。
そんな五郎八姫の墓所は、忠輝の没した信州諏訪の方を向いているといわれる。二人の死後から三百有余年。誰にも邪魔されることなく、見つめ合っている。
[+ADDRESS] |