NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/7


博多織 Hakata-ori 

Jp

 博多織は、福岡県福岡市にて織られる織物である。
 約760年前、博多商人の満田弥三右衛門が、宋から織物の技法を持ち帰ったのが始まりである。
 250年後、弥三右衛門の子孫、彦三郎が再び明へと渡り、織物の技法を研究した。帰国後、工法の改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などの模様の浮でた厚地の織物を作り出した。
 江戸時代、筑前国領主の黒田長政が、博多織を毎年幕府に献上した事から献上博多と呼ばれた。
 献上博多に代表される平織は優美な艶やかさを、紋織は繊細緻密な織柄と色合いを見せる。また、博多帯は締めやすく、締める時の「キュッキュッ」という絹鳴りは博多織ならではのものである。
 博多織は、固く締まって、しかもしなやかな地合を特色とする、伝統工芸品である。
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2007/1/25


吉野手漉き和紙 Yoshino-tesuki-washi Yoshino Handmade Japanese Paper

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 奈良県の代表的な伝統工芸である「吉野手漉き和紙」。宇陀(うだ)紙、美晒(みす)紙、国晒(くず)紙とも呼ばれ、すぐれた風合いとねばりの強さが特徴だ。奈良県の伝統工芸品にも指定されている。
 歴史は千三百年以上前に遡る。壬申の乱(672年)において吉野で兵を挙げた大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇)が国晒(くず)の郷人に紙漉きを教えたのがはじまりと伝えられる。
 吉野の紙が世に広まったのは、江戸時代に入ってから。大和宇陀町の商人が、全国的に売りさばいたため、「宇陀紙」と名づけられ、表装裏打ち紙として重宝されたのだとか。
 吉野の手漉き紙は、非常に薄くて丈夫。現在では、12戸の紙漉き家が伝統の技を守り抜き、表装用中裏紙や書道用紙、国宝修理用の紙を作り続けている。
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