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2008/5/26


亀戸天神社 Kameido-tenjinja 

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 亀戸天神社(かめいどてんじんじゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社である。通称「亀戸天神、亀戸天満宮」と呼ばれる。祭神は、天満大神(てんまんおおかみ)、天菩日命(あめのほひのみこと)。
 正保三(1646)年、菅原道真(すがわらみちざね)の末裔・菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)は、神のお告げにより、道真ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡ったという。
 寛文元(1661)年、江戸の本所亀戸村に辿り着き、元々あった天神の小祠に天神像を奉祀したのが始まりとされる。
 翌年、社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが九州の太宰天満宮にならい造営された。
 例年一月に行われる、木製の鷽を授与する鷽替神事(うそかえしんじ)で知られている。
 亀戸天神社は、総本社・太宰府天満宮に対して東宰府天満宮と言い、東国天満宮の宗社として崇敬されている神社である。
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2007/8/27


桐生天満宮 Kiryu-tenman-guu Kiryu Tenmangu Shrine

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 桐生天満宮(きりゅうてんまんぐう)は、群馬県桐生市天神町にある神社である。祭神は、天穂日命、菅原道真。
 景行天皇の時代(71~130年)に、天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。
 観応年間(1350年頃)に、桐生綱元が現在の所在地に移し、京都より北野天満宮の分霊を合祀して桐生天満宮と改称した。
 江戸時代には徳川家の祈願所となり、境内には織物市が開設され、繁栄した。寛政五(1793)年、社殿が落成する。
 岩の上の天神と称されるように、本殿・幣殿は岩の上に建ち、社殿全てが当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、県指定の重要文化財となっている。
 桐生天満宮は、古い歴史を持つ社として、今も崇敬されている。
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2007/7/10


夕張神社 Yuubari-jinja 

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 夕張神社(ゆうばりじんじゃ)は、北海道炭鉱鉄道株式会社の設立時に、夕張炭山や鉄道敷設の安泰を祈願する神社として明治二二(1889)年11月18日、社光地区に神殿を築造したのが発祥といわれている。
 出雲大社縁りの社格の高い神社として知られており、社宝として社名額の東郷平八郎・直筆の書や、石川県輪島より寄贈された欅の朱塗りの大皿などがある。また、現在地に移転した当時は「登川神社」という社号であったため、その時の額「登川神社木彫掲」も保管されている。
 昭和四六(1971)年には太宰府天満宮から御神霊の奉斉が許され、学問の神様である菅原道真も祀られている。
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2007/3/23


盛岡天満宮 Morioka-tenmanguu 

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 盛岡天満宮は、学問の神様、菅原道真を祀る天満宮。岩手県盛岡市新庄町に所在する。石川啄木ゆかりの天満宮としても有名だ。
 この天満宮が鎮座する丘は、啄木の中学生時代には「天神山」と呼ばれ、啄木お気に入りの散策と読書の場であったそうだ。
 境内にあるユーモラスな形の狛犬は、啄木の小説「葬列」の一節にも登場する。「俺は生まれてこのかた未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるのか知らないのだ、と云った様な顔だ」とは、この狛犬のことらしい。
 そのほか、盛岡天満宮には昔から謂れのある飛び梅、天神のかじり梅、はなぐり梅、石割梅などが植生している。それぞれの伝説に思いを馳せながら梅を観賞するのも一興である。
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2007/3/2


和歌浦天満宮 Wakaura-tenman-guu 

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 和歌山県の県北を東から西へ流れ下る紀ノ川の河口には平野がひらけ、その平野部の南端の和歌浦湾に望む小高い天神山の中腹に、和歌浦天満宮は鎮座する。
 その昔、紀ノ川はこの和歌浦湾に注いでおり、神亀元(七二四)年、奈良の都を出発した聖武天皇の一行は紀ノ川を下り、この和歌浦湾に御幸された。その頃の和歌浦には島々が玉をつらねるように点在し、潮の満ち干きによって変化する、千潟の風景や、葦原と群れ遊ぶ水鳥、水面に写る陽の輝きなど、感動的な景色であったと思われる。
 今、和歌浦は時代とともに大きく変わりつつあり、聖武天皇の眺めた和歌の浦の風景そのままとはいえないが、天満宮楼門から見る和歌浦の風景には遠い昔を彷彿させるものがある。
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2007/2/21


うそ替え Uso-gae Uso-gae

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 うそ替えは、福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮で、毎年1月7日に行われる神事である。
 うそ替えというのは、鳥の鷽(うそ)に、嘘を掛けたもので、参加する人は各自小さな木うそ(木の鷽)を持ち寄る。
 うそ替えは、境内広場にて木うそを手にした人々が注連縄で囲った斎場で「替えましょう、替えましょう」と言いながら、木うそを互いに取り替える行事である。
 そうする事で、一年間に知らずについた嘘やどうしてもつかなければならなかった嘘を清算し、神前で天神(菅原道真)の誠心に変えて幸運を貰い、新しい気持ちでその年を過ごす事が出来ると言われている。
 貰った木うそは、神棚や床の間などにお祀りして、その年の幸運を天神から頂くという。
 うそ替えは、いわば日本流の懺悔とも言うべき、神事である。
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2007/1/25


太宰府天満宮 Dazaifu-tenmanguu Daizaifu Tenmangu Shrine

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 大宰府天満宮は、福岡県太宰府市宰府にある、菅原道真を祀っていることで有名な神社である。国宝「翰苑 巻第三十」を所持。
 道真は藤原氏の陰謀によってこの地に流され、903年に死去した。その遺骸を都まで送る途中、牛車が動かなかったのを道真の遺志として、そこに墓が作られた。
 道真の没後、京では疫病や異常気象などが続いたため「道真の祟り」と恐れられた。これを鎮めるために道真の墓所の上に社殿を建立したのが、太宰府天満宮の始まりである。
 後に、道真が生前優れた学者であったことから学問の神として信仰されるようになった。
 現在も参拝客が多く、学問の神様としてあがめられている。太宰府天満宮・北野天満宮、そして防府市の防府天満宮を合わせて「三天神」とよばれる。
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2007/1/12


大阪天満宮 Osaka-Tenmanguu Osaka Tenmangu Shrine

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 その由来は、平安時代中期、菅原道真にまでさかのぼる。901年に政敵藤原時平により、太宰府へ左遷されることになった道真は、太宰府へ向かう途中、現在もこの地にある大将軍社に参詣した。その後没すると、疫病の流行、皇子の相次ぐ病死、清涼殿(天皇の日常生活の場所)への落雷など多くの不幸が立て続けに起きたので、朝廷はこれを道真の祟りだとして恐れ、彼の名誉を回復し贈位した。
 後の949年、大将軍社に7本の松が突然生え、霊光を放ったとの奇譚が京を駆け巡った。これを聞いた村上天皇は勅令を出し、道真を奉るための天満宮を建立させた。それが大阪天満宮である。
 現在の本殿は1843年に再建されたもの。江戸時代末期の気風が伺える権現(ごんげん)造りの境内には、津端道彦、上田耕冲などの襖絵が風情を加えている。これは、1927年の建立1025年を記念し奉納された。
 「天満の天神さん」と親しまれ、毎年7月24日に行われる天神祭は、日本三大祭、大阪三大夏祭りのひとつとして知られる。
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