NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/8


山王 日枝神社 Sanno-Hiejinja Sanno Hie Shrine

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 東京都永田町にある日枝神社は、文明一〇年(1478)、太田道灌公が江戸城を築城するにあたり、鎮護の神として日吉社を勧請したのに始まるとされている。
  その後、徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って『城内鎮守の社』として、また市民からは『江戸の産神』として崇敬されることとなる。
 当初は江戸城敷地内にあり、一般参拝は出来なかったが、 二代将軍秀忠公の江戸城改築にあたり、江戸城外に遷座され、庶民の参拝が可能となった。
 毎年六月に行われる山王祭は、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する『天下祭り』として、神田明神の神田祭、富岡八幡宮深川八幡祭りとともに江戸三大祭の筆頭として長く親しまれている。
 威勢の良い下町の江戸っ子の中には、『山王祭はお上品過ぎるねぇ』といわれる方もいるが、もし時間があるのなら、江戸の祭りをはしごしてみるのも一興かもしれない。
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菅田天神社 Kandaten-jinja Kandaten Shrine

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 菅田天(かんだてん)神社は山梨県甲州市に位置する神社である。
 承和九(842)年に藤原伊勢雄により創建、寛弘元(1004)年、菅原道真を相殿に祀り、以降菅田天神社と称したとされる。
 甲斐府中の鬼門を守る鎮守の地とされ、武田家重宝である源氏八領の具足の一つである国宝「小桜韋威鎧(こざくらかわおどしよろい)」所蔵の寺社として知られる。
 頑健であることから盾が不要であるとされ、別名を楯無鎧(たてなしのよろい)とも称された大鎧であり、御旗と言われる、わが国最古の日の丸旗と共に武田家当主の証として代々受け継がれた。
 祭神は本殿素盞鳴尊、菅原道真ら八柱。境内には菅公由来の座牛像や神楽殿が建ち並び、甲斐源氏の宝物を静かに守る古社である。
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北海道神宮 Hokkaidou-jinguu Hokkaido Jingu Shrine

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 北海道神宮(ほっかいどうじんぐう)は、北海道札幌市中央区宮ヶ丘にある神社である。祭神は、大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇。
 明治二(1869)年、明治天皇が北海道の開拓を進めるにあたり、北海道の大地の神である三柱を祀ったことに始まる。
 明治四(1871)年、札幌神社と名を定め、社殿を造営した。
 以降、北海道全土の総鎮守、道民の氏神として次第に道民に尊ばれるようになっていく。
 昭和三九(1964)年、明治天皇を祀って祭神を四柱とし、北海道神宮と改称した。
 毎年、初詣をはじめ、多くの参拝客が訪れるほか、境内地は桜の名所としても知られている。
 6月には北海道神宮例祭が開かれ、お囃子にのって、神輿や山車が市内を練り歩く姿が見られる。
 北海道神宮は、民間の団体である全国一ノ宮会によって蝦夷国新一の宮に認定された、道を代表する神社である。
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2007/12/28


小沢式三番 Ozawa-shikisanba 

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 桧原村小沢地区に古来より伝わる「小沢式三番(おざわしきさんば)」は、鎮守である伊勢清峯神社(いせせいほうじんじゃ)の秋の例祭に行われる神事で、能の「翁」を歌舞伎舞踊化したものだという。関東に伝わる式三番は小沢地区の他にはニヶ所のみで、珍しい神事である。
 この歴史は古く、約三〇〇年前に一度途絶えたとされるが、甲州郡内地方から師匠を頼んで復活させたとされる。現存する翁の衣裳には明和七(1770)年八月吉日の日付が、面箱蓋には安永三(1774)年という年号がそれぞれ銘記されている。
 神事を行うに当たって、三役は別火斎戒(べっかさいかい)という、食事など全ての事を女性の手を借りずに自ら行って、一週間身を清める慣習が今も残っているという。
 五穀豊穣などを祈願するこの古式ゆかしい神事は、都の無形民俗文化財の指定を受け、地元の若者衆たちによって今も伝えられている。
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海沢獅子舞 Unazawa-shishi-mai 

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 海沢の獅子舞(うなざわのししまい)は、海沢地区の鎮守海沢神社において、毎年八月に行われる祭礼に奉納される伝統芸能である。
 この地方には多く獅子舞が伝承されている。その起源についてはどれもあまり定かではないとされているが、三〇〇年以上前から伝えられているといわれている。
 構成は舞方三名、花笠四名、棒使いニ名、唄方三名となっている。
 神楽と合わせて披露される海沢の獅子舞は、町内の獅子舞の中でも最も動きの激しい「舞い狂う獅子」といわれている。
 五穀豊穣、家内安全を祈願して行われるこの伝統行事は、地元の多くの人々に支えられ、脈々と受け継がれている。
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白髭神社獅子舞 Shirahige-jinja-shishi-mai 

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 高さ約三〇mもある巨大な岩を御神体として祀っている白髭神社(しらひげじんじゃ)。境地区の鎮守である当社の例祭に、毎年八月、古くから奉納されているのが白髭神社獅子舞(しらひげじんじゃししまい)である。
 この地方には多くの獅子舞が伝承されており、民俗芸能の宝庫とも呼ばれているが、その起原は定かにされていない。
 白髭神社獅子舞は鹿島から師匠を招いて伝授をされたのが始まりとされている。獅子頭には享保五(1720)年作という刻銘があり、三〇〇年近い歴史があることが伺える。
 三匹獅子に加え、唄方ニ名、笛方六名、花笠六名、大太鼓一名、小太鼓一名、道化一名で構成され、舞が次々と賑やかに披露される。
 保存会や愛好会などに支えられ、五穀豊穣を祈願して奉納されつづけている。
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白丸の獅子舞(元栖神社獅子舞) Shiromaru-no-shishi-mai(Motosu-jinja-shishi-mai) 

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 白丸の獅子舞(しろまるのししまい)は、白丸地区の鎮守の元栖神社(もとすじんじゃ)の八月の例大祭において、村内各社寺に奉納される伝統芸能である。
 この地区には多くの獅子舞が伝えられており、それぞれ三〇〇年以上の歴史を持つとされているが、起源は明らかにされていないという。明治半ば頃に、一時廃絶した白丸の獅子舞だが、明治の終わりから昭和にかけ、若者衆が中心となり先人達の教えを受け復活、今に伝えられているという。
 三匹獅子という形に加え、道明一名、囃子方二名、笛五名、棒使い二名によって、「神立ち」「場狂い」「洞入り」などの演目が次々と披露される。
 早朝から夕方まで、小さな集落の住民たちが参加し、天下泰平・五穀豊穣・家内安全を願って行われる祭りである。
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2007/12/11


鳳凰の舞 Houou-no-mai 

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 鳳凰の舞(ほうおうのまい)は東京都西多摩郡は平井地区に伝わる民俗芸能である。
 この地区の鎮守・春日神社の祭礼に奉納される舞で、雨乞いの舞として京都から伝わったといわれている。祇園囃子と風流踊り、さらに太刀踊りが加わり、江戸と京都それぞれの特徴を合わせ持っている珍しい伝統芸能だとされている。
 子ども達による「奴の舞」が披露された後、大人の「鳳凰の舞」が披露される。
 鳳凰とは中国の伝説の鳥で、それを模した冠をつけた者五人が白い襷をつけ、赤い頭巾の者達五人と円になって、太鼓の音と共に迫力のある、勇壮な踊りを披露するという。
 地元保存会の熱心な支えにより、今も活発に行われている希少な伝承で、国の重要無形民族文化財にも指定されている。
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