NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/11


因幡三山 Inabasanzan Inabasan-zan Mountain

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 因幡三山(いなばさんざん)とは、鳥取県国府町にある甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)の三つの山の総称。 この一帯は、奈良から平安・鎌倉の時代にかけて、政治文化の中心地として繁栄し、因幡国府が置かれた場所である。万葉集の編纂者で有名な大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に命ぜられてやってきたことでも知られる。
 万葉集の巻末を結ぶ有名な歌、「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」は、ここ因幡の地で詠まれたものであり、このことから万葉集はこの地で編纂作業を進められたと考えられている。
 国府を中心として東に甑山、西に面影山、南に今木山が位置し、国庁の正殿から因幡三山を望むことができたという。面影山は女性、甑山と今木山は男性の姿に見える。
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因幡国庁跡 Inaba-kokuchoato 

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 因幡国庁は、大化の改新(645年)の後、全国各地に置かれた地方行政庁のひとつ。国の史跡に指定され、因幡国庁跡総面積3万2000平方mのうち、約7000平方mが史跡公園として整備されている。
 この場所からは、1キロ平方m四方におよぶ建物の遺構が発掘されたほか、木簡、硯、瓦片、土師器(はじき)、須恵器など、飛鳥時代の文化・政治を知るための貴重な遺物が出土している。
 因幡国庁と言えば、万葉集の編纂者としても名を馳せた大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に任命され、やってきたことでも有名だ。国庁からは東に甑山、南東に今木山、西に面影山の「因幡三山」が見える。これらの山々を眺めながら万葉集の最後を飾る歌「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」を詠んだ。
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2007/7/19


お山参詣 Oyama-sankei Oyamasankei Festival

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 お山参詣(おやまさんけい)は、青森県弘前市百沢の岩木山神社にて行われる祭りである。
 寛永五(1628)年、岩木山神社は下居宮の別当寺として創建された。祭神は顕国玉神他5柱で、合わせて岩木山大神と言う。
 神賑祭は初春と仲秋の二回開催されるが、「お山参詣」と呼ばれるのは、仲秋に開催される山上の奥宮の祭の方である。
 毎年旧暦7月29日~8月1日に行われ、五穀豊穣の感謝と祈願をこめ、山頂奥宮に村落毎に団体で登拝する古くからの行事である。
 白装束、白の手甲脚絆に身をかため、「サイギ、サイギ、六根清浄」と唱え、笛、太鼓の登山囃子に囃されながら集団で登って行く。
 山頂で夜を明かし、ご来光を拝み、「ばたら、ばたら、ばたらょ、いい山かけた」と唱えて下山する。
 お山参詣は、無事下山出来たものには果報が訪れるという、長い歴史を誇る神事である。
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2007/6/14


松前神社 Matsumae-jinja 

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 松前神社(まつまえじんじゃ)は、北海道松前郡松前市にある松前城址内にある神社。
 江戸時代に北海道にあった松前藩の先祖である武田信広を祀る。元々は歴代の松前藩主を祭祀していたが、旧藩主である松前家の先祖を祀るために、大正時代にできたという。
 松前神社で有名なものに、「松前神楽(まつまえかぐら)」がある。江戸時代、松前藩の奨励を受けていた頃から「お城神楽」と呼ばれ、境内の各地域に伝えられた。湯立神楽や能、舞楽などの要素を取り入れた古雅で格調高い舞である。延宝二(1674)年に松前十代藩主・矩広(のりひろ)が、平安と豊穣を祈る祭事として恒例行事に定めた。毎年5月上旬から中旬に執り行われる。
 また、神社鳥居の右手にある「臥龍梅」という、徳川三代将軍・家光が松前家七世公広に贈った梅は、松前神社の名物であり、初春の頃には観梅がてら参詣に訪れる人々で賑う。
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2007/3/22


豊岡梅園 Toyooka-baien 

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 いちはやく春の足音を知らせてくれる日本の初春の風物詩、梅の花。
 豊岡梅園(とよおかばいえん)は、静岡県磐田市にある梅園。13ヘクタールの広大な敷地に、5千本もの梅の木が植えられている。
 通常は、梅酒用の梅を取る梅園のため、一般公開はされていないが、梅の花が見ごろになる2月下旬から3月上旬には一般公開し、多くの観光客が訪れている。南高、古城などの白梅を中心に、様々な品種の梅が咲き誇り、山全体が薄紅色に彩られる。
 園内の一角には梅の加工工場があり、自家製の梅干や梅ジャムなどの販売も行っている。
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2007/1/31


月ヶ瀬梅渓 Tsukigase-baikei Tsukigase Plum Valley

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 薄紅色の花びらとその香りで、春の訪れをいちはやく知らせる梅の花。日本の初春の風物詩である。奈良県の月ヶ瀬中央には、「月ヶ瀬梅渓」と呼ばれる梅の景勝地がある。広橋、賀名生とともに奈良県の三大梅林のひとつと数えられている。
 五月川を挟んで両岸に1万本もの梅の林が立ち並ぶ様は圧巻。シーズンには、この梅三昧の景色を目当てに、川沿いを散策する人々で賑わう。
 月ヶ瀬梅渓は、鎌倉時代中期に、真福寺の境内に梅が植えられたのがはじまりとされる。江戸時代には、文人墨客が相次いで来訪し、松尾芭蕉が詠んだ句碑や近代日本を代表する文人画家、富岡鉄斎の碑が建てられている。
 大正11年(1922年)には、国の景勝地に指定された。
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2007/1/12


江戸押絵羽子板 Edoosiehagoita Edo Oshie Hagoita Battledores

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 羽子板は、古くは胡鬼板(こぎいた)とも呼ばれ、正月の羽根つき遊びや新年を迎える贈り物として用いられてきた。羽子板で邪気を羽根のけて、健やかな成長をお祝いする意味も込められている。
 羽子板に、中国から伝わった技法で厚紙に布を張り、綿を入れて立体感を持たせた押し絵が使われるようになったのは、江戸時代後期のことである。
 当時は町人文化が発達し、浮世絵も多く作られ、歌舞伎役者の舞台姿の似顔羽子板が大変人気をよんだ。年の瀬の「歳の市」には、数多くの贔屓役者の羽子板が並べられ、これを買い求める多くの客でごったがえしたという。
 今日の江戸押絵羽子板は、この押絵羽子板技法が受け継がれて来た物であり、美しい羽子板は初春の縁起物として、また高尚な贈り物として今なお喜ばれている。
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