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2007/10/18


胆沢城 Isawa-jyou 

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 胆沢城は、平安時代はじめの延暦二一(802)年、坂上田村麻呂によって胆沢の地に造られた古代城柵(じょうさく)である。
 大同三(808)年には鎮守府が国府多賀城から胆沢城へ移され、鎮守府胆沢城が成立。10世紀の後半ごろまでの150年間ほど機能していた。
 高さ約3.9メートル、一辺675メートルの築地(ついじ)といわれる土で固めた塀とその内と外に掘られた幅3〜5メートル 、深さ1〜1.5メートルの溝で方形に囲まれていた。
 全体の面積はおよそ46万平方メートル、(東京ドーム9つ分)、その内部は中央南寄りに一辺90メートル四方の塀で区画された政庁域、そのわきに官衙(かんが)や厨(くりや)などが広がっていた。
 大正一一(1922)年に国の指定史跡となった。
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2007/10/11


因幡三山 Inabasanzan Inabasan-zan Mountain

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 因幡三山(いなばさんざん)とは、鳥取県国府町にある甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)の三つの山の総称。 この一帯は、奈良から平安・鎌倉の時代にかけて、政治文化の中心地として繁栄し、因幡国府が置かれた場所である。万葉集の編纂者で有名な大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に命ぜられてやってきたことでも知られる。
 万葉集の巻末を結ぶ有名な歌、「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」は、ここ因幡の地で詠まれたものであり、このことから万葉集はこの地で編纂作業を進められたと考えられている。
 国府を中心として東に甑山、西に面影山、南に今木山が位置し、国庁の正殿から因幡三山を望むことができたという。面影山は女性、甑山と今木山は男性の姿に見える。
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2007/9/7


陸奥総社宮 Mutsu-sousha-no-miya 

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 陸奥総社宮(むつそうしゃのみや)は宮城県多賀城市、多賀城政庁府東門跡地と加瀬沼との間に位置する神社である。
 周囲は鬱蒼とした木立に囲まれている。
 総社とは、いくつかの神社の祭神を一か所にまとめて祀った神社の事である。
 陸奥総社宮は平安中期には陸奥国府に属し、陸奥国内百ケ所を統括する総社であり、祭司は中央政府の国司であった。国府制度が廃止された後も、歴代伊達藩主や多くの人々の信仰を集めていた。
 社内の階段左右には大社一五、小社八五の神社名が列記されている。
 拝殿の先の神殿の両側には樹齢六〇〇年余りの老杉と、二二〇年余の老白木蓮が対になっている。それは、長寿で仲の良い夫婦と見たて、家庭円満の幸せの神樹とされている。
 
 
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2007/5/23


周防国分寺 Suou-kokubunji 

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 「周防国分寺(すおうこくぶんじ)」は、聖武天皇の勅願により国ごとに建てられた、山口県の官寺のひとつである。創建当初の境内に今も伽藍を残すという、極めて珍しい例として知られている。
 各国には国分寺と国分尼寺が一つずつ、国府のそばに置かれていた。
 多くの場合、国分寺は国庁と共にその国の最大の建築物である。
大和国の東大寺、法華寺は総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺、国分尼寺の総本山と位置づけられた。
 境内地は国の史跡に指定されており、また重要文化財である金堂には、藤原時代初期の木造日光・月光菩薩立像をはじめ、多くの仏像、宝物が置かれている。
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2007/5/11


鳥取 雨滝 Tottori ame-daki The Amedaki Waterfall

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 雨滝(あめだき)は、鳥取県鳥取市国府町にある滝で、日本の滝百選にも選定されている。
 扇ノ山(おおぎのせん)から流れ出す袋川にかかる滝で、落差40m、幅4mという鳥取県隋一の飛瀑を誇る。
 玄武岩の岩肌を飛沫を上げて流れ落ちる様は迫力満点。
 滝の周囲はトチ、ケヤキ、ブナなどの原生林に囲まれ、秋になると玄武岩と鮮やかな紅葉との調和が神秘的で美しく、それらは四季折々の表情を見せてくれる。
 春は新緑が目に眩しく、冬は雪に包まれた荘厳な景色で訪れる人を圧倒する。
 古来より霊場として修行・信仰の場となっており、かつて旧暦8月1日には「お滝まいり」が行われていた。現在では、毎年6月第一土・日曜日に「滝開き祭り」が開催され、傘踊りや神事などが盛大に行われる。
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2007/5/9


多鯰ヶ池 Tanegaike Tanegaike Pond

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 鳥取県の鳥取砂丘の南側にある周囲3.37キロ、最大深度17.3mの堰止池。堰止池とは、砂丘の砂や川の堆積作用などにより、谷や川が堰き止められてできた池のことである。
 蛇の化身の美女伝説「お種の伝説」が残る神秘的な池だ。昔、国府町に住んでいた裕福な長者のもとに雇い入れられた使用人「お種」が実は蛇の化身であり、毎夜蛇体になっては多鯰ヶ池にある柿の木から柿を取っては使用人仲間に振舞っていたというもの。ある日正体を知られてからはその夜限りで長者のもとを去り、鯰ヶ池の主になってしまったそうだ。
 鯰ヶ池では、6月には睡蓮の花が咲き乱れる。お種の生まれ変わりかと思わせるような白く可憐な花だ。また、この池はバス釣りスポットとしても有名で、釣り愛好者達で賑わいを見せる。
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2007/4/19


三嶋大社 Mishima-taisya Mishima Taisha Shrine

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 三嶋大社は、静岡県三島市大宮町にある神社である。祭神は大山祇命、積羽八重事代主神とされ、二神を総じて三嶋大明神と称している。
 創建の時期は不明であるが、三宅島、下田・白浜海岸、大仁町、現在地と遷宮したとの伝承がある。古くより三島の地に鎮座し、平安時代の「延喜式」には、「伊豆国賀茂郡・伊豆三島神社」として記載されている。
 現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府の近くに新宮として分祀されたものである。
 現在地には元々若宮八幡があったが、三島明神が若宮八幡から所領を譲られたと言われている。
 源頼朝は伊豆流刑時代から三嶋大社を崇敬し、鎌倉幕府制立後も大社を重んじたという。
 中世以降は暦を発行し、「三島暦」として全国に知られている。
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神部神社 浅間神社 Kanbe-jinjya Asama-jinjya Kanbe Shrine / Asama Shrine

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 神部神社と浅間神社は、静岡県静岡市葵区にある神社である。同じ場所にある大歳御祖神社と合わせて、静岡浅間神社といわれる。
 神部神社は、駿河国開拓の祖神大己貴命を祭神として祀っている。崇神天皇の時代(紀元前100年頃)の鎮座と伝えられる。
 国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされていた。
 浅間神社は、木之花咲耶姫命を祭神として祀っている。延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願によって富士山本宮より勧請され、以来冨士新宮として続いてきた神社である。
 その広壮華麗な社殿や宝蔵群は、「東海の日光」と呼ばれており、素晴らしい迫力である。
 神部神社と浅間神社は、共に古い歴史を持つ別々の神社であり、現在でも「おせんげんさま」として深く信仰されている。
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