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寝殿造(しんでんづくり)は、平安時代における代表的な貴族の住宅建築様式である。
南向きに建てられた高床式の寝殿を中心として南には庭を敷き、寝殿の左右背後に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物が、渡殿(わたりどの)でつながれ、上空から見ると「コ」の字型の建物群が形成されているのが特徴である。
また、庭には池や築山などが造園され、対屋から更に南に張り出した泉殿(いずみどの)や釣殿(つりどの)が池にかかるように造られた。
建物内部はあまり仕切られておらず、屏風や簾などで用途に応じて間仕切りしていたとされる。
万事に広く造られていて、大きな敷地を要するのもこの造りの特徴である。あまり位の高くない貴族であっても一町(120m)四方を標準として、一千坪以上の敷地に建てられていた。
鎌倉時代に入ってから寝殿造を簡略化した「武家造」や、それを経て造られるようになった「書院造」に至るまで、日本における家屋の代表的な建築様式として今に伝えられている。
南向きに建てられた高床式の寝殿を中心として南には庭を敷き、寝殿の左右背後に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物が、渡殿(わたりどの)でつながれ、上空から見ると「コ」の字型の建物群が形成されているのが特徴である。
また、庭には池や築山などが造園され、対屋から更に南に張り出した泉殿(いずみどの)や釣殿(つりどの)が池にかかるように造られた。
建物内部はあまり仕切られておらず、屏風や簾などで用途に応じて間仕切りしていたとされる。
万事に広く造られていて、大きな敷地を要するのもこの造りの特徴である。あまり位の高くない貴族であっても一町(120m)四方を標準として、一千坪以上の敷地に建てられていた。
鎌倉時代に入ってから寝殿造を簡略化した「武家造」や、それを経て造られるようになった「書院造」に至るまで、日本における家屋の代表的な建築様式として今に伝えられている。
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