NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/12


雪村うちわ Sesson-uchiwa 

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 雪村(せっそん)うちわは、古来より茨城県常陸太田市で作られてきた、伝統的な工芸品である。室町時代の天正年間(1573~1592)、常陸太田の耕山寺の禅僧であった雪村がはじめたものと伝えられている。
 内輪の骨には地元産の真竹を使用し、幅2cmの竹を四十本に裂いて作る。表面の紙には西ノ内和紙が用いられている。
 また、雪村は画家としての才能もあった人物で、うちわの表面には馬や茄子、かかしや水戸八景などが水墨画で描かれていた。
 現在でもそうした図柄は雪村ゆかりのものとして表面に描かれており、出来上がるまでの三三の工程全てを手作りするなど、人の温かみ溢れるうちわによりいっそうの趣を加えている。
 水戸徳川家二代藩主である水戸黄門こと徳川光圀も愛用し、製作を奨励したといわれるそのうちわは、今も人々の傍らで涼を提供し続けている。
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2008/4/8


高台寺圓徳院 Koudaiji-entokuin 

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 圓徳院(えんとくいん)は、寛永九(1632)年に、北政所ねね(きたのまんどころねね)の次男・木下利房(きのしたとしふさ)により、高台寺の三江和尚(さんこうおしょう)を開基とした寺院である。また、北政所ねねの終焉の地である。
 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻ねねは、「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長一〇(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と、その前庭を山内に移築して移り住んだという。
 それ以来、大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられている。
 また、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭による庭園が、臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち)を中心に広がり、マツとカエデの木立の下にウマスギゴケが地面を覆っており、方丈前庭の白砂とウマスギゴケの植え込みなどの色彩が楽しめる。
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2008/3/18


匂い袋 Nioi-bukuro 

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 匂いに関する文化は世界中に存在し、古来より権力を制した者や身分の高き者は香りを非常に大切にしていたという。
 香りの文化を日本ではじめて取り入れたのは、聖徳太子であるといわれている。匂い袋に関しても奈良時代にはじまり、正倉院の宝物の中に、現在の匂い袋の原点である裛衣香(えびこう)が残されているという。
 匂い袋の中は常温で香りを発散する香原料を刻み、調合して和紙や袋に詰められているのが特徴である。袋を身につけたり、壁や柱につるしたり、禅僧の座傍などにも用いられてきた。また、香原料のうち白壇(びゃくだん)や龍脳(りゅうのう)、丁子(ちょうじ)は防虫効果もあるので、袈裟(けさ)や僧衣(そうい)にもつけられていたという。
 平安時代に入ると貴族たちは個々の香りを出す為に、色々な香原料を工夫したという。香りに関しては源氏物語の中にもしばしば登場する。その後、公家から武家へと香りの文化は受け継がれていったとされる。匂い袋は日本文化の一端を香りで感じるものである。
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