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圓徳院(えんとくいん)は、寛永九(1632)年に、北政所ねね(きたのまんどころねね)の次男・木下利房(きのしたとしふさ)により、高台寺の三江和尚(さんこうおしょう)を開基とした寺院である。また、北政所ねねの終焉の地である。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻ねねは、「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長一〇(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と、その前庭を山内に移築して移り住んだという。
それ以来、大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられている。
また、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭による庭園が、臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち)を中心に広がり、マツとカエデの木立の下にウマスギゴケが地面を覆っており、方丈前庭の白砂とウマスギゴケの植え込みなどの色彩が楽しめる。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻ねねは、「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長一〇(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と、その前庭を山内に移築して移り住んだという。
それ以来、大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられている。
また、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭による庭園が、臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち)を中心に広がり、マツとカエデの木立の下にウマスギゴケが地面を覆っており、方丈前庭の白砂とウマスギゴケの植え込みなどの色彩が楽しめる。
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