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慶長二(1597)年、豊臣五大老のひとり、宇喜多秀家が築城した岡山城。天守は黒漆の板張りで、別名「烏城」と呼ばれ、隣県の白鷺城と呼ばれる姫路城と対比される。また、この天守は4重6階の複合形式で安土城の天守を模したものとも言われている。
築城当時は、築城技術の発達が盛んな時期で、岡山城は豊臣秀吉の大阪城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭のさきがけとなったという。
不等辺五角形の天守閣、野面積の石垣が猛々しい魅力を持つ「男性的」な城に仕上がった。
くしくも第二次世界大戦の際に天守、石山門を焼失したが、1966年、岡山大学に残されていた設計図を基に天守閣が再建された。1996年には金箔瓦と金の鯱に改修され内容も一新。
戦災を免れた月見櫓は国の重要文化財となっている。
築城当時は、築城技術の発達が盛んな時期で、岡山城は豊臣秀吉の大阪城、毛利輝元の広島城と並んで近世城郭のさきがけとなったという。
不等辺五角形の天守閣、野面積の石垣が猛々しい魅力を持つ「男性的」な城に仕上がった。
くしくも第二次世界大戦の際に天守、石山門を焼失したが、1966年、岡山大学に残されていた設計図を基に天守閣が再建された。1996年には金箔瓦と金の鯱に改修され内容も一新。
戦災を免れた月見櫓は国の重要文化財となっている。
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