NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/8


長崎 ヘトマト Nagasaki Hetomato 

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 長崎のヘトマトは、長崎県五島市下崎山にて毎年一月一六日に行われている祭りである。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 起源と語源はまったく不明の奇祭で、600年ほど前から伝わるといわれ、五穀豊穣・大漁・子孫繁栄・無病息災を祈願する。
 祭り当日は、まず地元の白浜神社で子供や青年が参加する奉納相撲が行われ、次いで鉦を打ち鳴らしながら白浜の海岸に向かう。
 続いて、着飾った新婦二人が酒樽の上で羽根つきをして、次に体にススを塗り付けた若者が藁玉を激しく奪い合う玉蹴り、豊作と大漁を占う綱引きと続いて最後に大草履が登場し、見物の娘を次々と捕えて草履の上に乗せ激しく胴上げを行いつつ山城神社へ奉納する。
 長崎のヘトマトは、地域で行う諸々の行事を一度に行う祭りとしては、全国的に他に類を見ない奇祭である。
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2008/6/25


石田城 Ishida-jou 

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 石田城は長崎県五島市にあった、日本で最後に建てられた城である、いいかえれば、日本一新しい城でもある。
 幕末時代、鎖国政策をひいていた幕府に対して列強諸国は開国を迫ってきた。中でも、ロシア、イギリスは強引に開国を迫り、文化五(1808)年にはイギリスの軍艦が長崎港に強引に侵入する事件、フェートン号事件が勃発した。この出来事に危機感をいだいた幕府は嘉永二(1849)年、五島藩に海岸防備のために築城の許可を与えたのである。嘉永六(1853)年には浦賀にアメリカ合衆国の黒船が渡来、幕府に開国を迫り、翌年、日米和親条約が締結された。そのような中、五島藩は一五年の歳月を費やし、文久三(1863)年に石田城を完成させたのである。
 石田城の大きさは東西291メートル、周囲1346メートル、堅固な石垣を持ち、三方を海に囲まれた城であった。
 現在、石田城跡には、五島高校や歴史資料館、文化会館などが建てられ、五島家を祀る五島神社が建立されている。 
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2007/7/19


福江みなとまつり Fukue-minato-matsuri Fukue Harbor Festival

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 福江(ふくえ)みなとまつりは、長崎県五島市福江町で毎年9月30日、10月1日に開催される秋祭りである。
 市民総踊り、花火大会など様々なイベントが行われるが、メーンとなるのは「五島ねぶた」。総勢3千人が参加する勇壮なねぶたは、大小十数基の山車燈篭(とうろう)が繰り出し、沿道の見物客を魅了する。
 昭和五二年から始まったこのねぶたは、青森より導入されたもの。「遣唐使船」「倭寇」など、五島列島の歴史や民話をテーマとした迫力あるねぶただ。鎖国時代以前の16世紀より中国と交流のあった五島ならではの演目である。
 ねぶた行列は午後7時頃に始まり、「ラッセ、ラッせ、ラッセラー」という威勢のよい掛け声とともにねぶたの周りを飛び跳ね踊る「はねと」も大勢登場する。
 祭りでは、ねぶたのほか「炎上太鼓」や「五島ハイヤ・ソーラン踊り」披露、花火大会など、多彩なイベントが行われ、毎年多くの観光客で賑わうという。
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2007/5/11


菜種五島 Natanegotou 

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 鳥取県の東端に、15キロメートルに渡って伸びる「浦富(うらどめ)」海岸がある。「山陰の松島」と呼ばれる山陰海岸随一の景勝地である。
 日本海岸の強い潮の流れが造り出した起伏の激しい奇岩・洞門、断崖絶壁が続く様は島崎藤村が「松島は松島、浦富は浦富」と絶賛したほどである。
 この浦富海岸の北に、無人の小さな岩の島々「菜種五島」が点在する。春には野生の菜の花が咲き乱れ、その素朴な眺めに心が癒される。
 その昔、沖行く船が難破し、集荷の菜種が島に漂着したため、菜の花の群生ができたとか。
 墨絵のような冬から春へ。その訪れを、黄色の花で告げてくれる島々である。
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2007/3/5


鬼岳 Oni-dake 

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 五島市の市街地の南側には溶岩台地が広がり、その中央部に鬼岳(標高315メートル)や火ノ岳(標高314メートル)が円みを帯びた頂きをもってそびえている。
 いずれも玄武岩質の岩滓の噴出により形成された噴石丘であり、火山体の底面積に比べ、大きな火口を持つ火山で、臼状火山に分類される。
 鬼岳が属する鬼岳火山群は、今から300万年前に噴火し、西洋の楯を伏せたような、なだらかな台地を造り上げた楯状火山(アスピーテ)の上に、更に5万年前、第二次の噴火によって臼のような形をした臼状火山(ホマーテ)が重なりできたもので、シンダーコンと言われる。
 この火山群は、鬼岳のほか、火岳、城岳、箕岳、臼岳の5つの火山から形成され、噴火口からはペレーの涙と呼ばれる珍しい火山涙が産出しており、県の天然記念物に指定されている。
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福江城 Fukue-jyou 

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 1万2600石五島藩主の居城で、第30代藩主盛成公の時、黒船の来航に備えて造られた城。
 嘉永2(1849)年8月から15年の歳月と、延べ5万人の人夫、2万両の工費を使って文久3(1863)年に完成した。
 城郭は、東西291メートル、周囲1346メートルあり、城壁の三方が海に面している日本唯一の海城としても有名である。また石田という地名にちなみ石田城ともいわれる。
 現在は本丸跡に五島高等学校、二の丸跡には五島家の祖を祭る城山神社をはじめ、文化会舘、観光歴史資料舘、市立図書館が建ち並び、城郭の西端には横町口蹴出門と石橋、そして城壁や濠が姿を残し往時を偲ばせている。
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明星院 Myoujyou-in 

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 藩主五島家代々の祈願寺で、寺伝によると弘法大師空海が大同元(806) 年唐からの帰り道にこの寺に立寄り、唐で修めた密教が国家や民衆のために役立つよう祈願された。翌朝、東の空に輝く明けの明星を瑞兆(良いことがある前触れ)と思い、明星院と名付けたという。
 安置された本尊は虚空蔵菩薩。各天井には、五島藩絵師大坪永章の筆になる121枚の花鳥画が極彩色に描かれている。護摩堂には、国指定重要文化財の銅造(薬師)如来立像(飛鳥〜奈良時代初期作)、県指定有形文化財の木造阿弥陀如来立像(平安時代後期作)が安置されている。
 現在の本堂は、安永7(1778)年28代盛運公が火災で焼失していた本堂を再建したもので、檜の芯柱20本を使用してあり、五島最古の木造建築物となっている。
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海童神社 Kaidou-jijya 

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 ナガスクジラの骨の鳥居で有名な海童神社。この神社には、橋を渡って参詣するが、もとは小島であった。その小島に祭祀されたのが、龍神様である。
 そもそもの起こりは、五島神社誌によると、元和3(1617) 年の夏、近くの海で泳いでいた子供や網子の多数が次々と水死するという事故があり、それが翌年、翌々年と決まって6月17日、人々は事故を恐れた。すると村の乙名役であった高井良福衛門の枕元に龍神が立ち、「わしを祭る者がいれば願いを叶える」と言った。早速、福衛門はこの島に龍神様を海童神として祭ったものであるという。
 それが元和6年6月17日のことで、その後、毎年この日ににわか(即興の芝居のこと)を奉納して龍神をなぐさめた。
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