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2008/7/4


月読宮 Tsukiyomi-no-miya 

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 月読宮(つきよみのみや)は、三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮である皇大神宮の別宮である。
 祭神は最高神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊で、内宮別宮としては天照大神の荒魂を祀る荒祭宮に次ぐ二位にあたる。
 宮域には同じく内宮別宮である神明造の社殿が四つ並び、月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順に参拝するのが正しいとされる。
 その由緒は定かではないが、延暦二三(804)年の大神宮儀式帳にはすでに記載があり、そのころは別宮四社あわせて「月讀宮」と呼ばれていたようである。
 延長五(927)年の延喜式では伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮、月讀宮と月讀荒御魂宮がそれぞれ一院とされていた。
 現在のように四宮それぞれが瑞垣をめぐらした形となったのは明治六(1873)年からである。
 杉木立の続く参道などの緑豊かな宮域に建ち並ぶ四つの社殿には荘厳な空気が満ち溢れ、ここが神域であることを改めて感じさせてくれるだろう。
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2008/5/12


鴨都波神社 Kamotsuba-jinja 

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 奈良県御所市にある「鴨都波神社(かもつばじんじゃ)」は、上鴨社(かみがもしゃ)の高鴨神社(たかかもじんじゃ)、中鴨社(なかがもしゃ)の葛城御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)に対して、「下鴨社(しもがもしゃ)」と呼ばれている。
 主祭神は、積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)と下照姫命(したてるひめのみこと)で、積羽八重事代主命は、奈良県桜井市の大神神社に祀られる大国主命(おおくにぬしのみこと)の子どもであることから、「大神神社の別宮」ともいわれている。
 拝殿前の右手には、樹齢300年のいち樫が御神木とされている。
 夏祭りと秋祭り宵宮には、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈願し、氏子地域から「ススキ提灯」と呼ばれる30基余りの提灯が奉納され、県の無形民俗文化財に指定されている。
 ススキ提灯とは、4、5メートルほどの竹製の支柱に、横木を4本通し先端から紐で連結し、高張提灯を上から、2・4・4の合計10張を3段に組みたて、先端部に御弊を施したものである。
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2007/10/12


野上八幡宮 Nokami-hachiman-guu Nokami Hachimangu Shrine

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 野上(のかみ)八幡宮は、和歌山県海草郡起美野町に所在する古社。創建は、欽明天皇の時代、550年代まで遡るとされる。
 日本三大八幡宮のひとつ、京都の石清水八幡宮の別宮として、何百年もの間、多くの人々が信仰を寄せてきた由緒ある神社だ。
 桃山時代に建築された本殿をはじめとして拝殿、摂社武内神社本殿、刀剣など国の重要文化財を多数保有していることでも有名。見事な朱塗りの社殿は昔日の名残を今もとどめている。
 毎年10月中旬の日曜日には秋祭りの獅子舞が盛大に執り行われ、近隣の人々でにぎわう。
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2007/10/1


宮城県 護国神社 Miyagi-ken Gokoku-jinja Gokoku Shrine in Miyagi

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 護国神社(ごこくじんじゃ)は、日本の各県にあり、その県に縁故のある戦死者・殉職者などを、日本国に殉じた英霊として祀る神社である。
 宮城県の護国神社は明治三七(1904)年八月二七日、伊達政宗の居城・青葉城本丸址に招魂社として創建されたのを起原としている。昭和一四(1939)年、内務大臣指定護國神社となったが、昭和二一(1946)年七月の仙台大空襲により社殿を焼失してしまったため、昭和三三(1958)年、伊勢神宮別宮「風宮」の旧社殿を移築して現在の姿に復興されたという。
 現在、宮城県出身戦歿者をはじめ、元第二師団管内戦没者など、五万六千余柱が祀られているとされる。
 神社のある城址は標高約一四四mある小山にあるため、眼下に流れる広瀬川、市街地から太平洋まで遠望できる、仙台一の名勝地としても知られている。 
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2007/4/10


宮崎 狭野神社 Miyazaki Sano-Jinja Sano Shrine

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 宮崎の狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社である。祭神は、神日本磐余彦天皇(神武天皇、幼名・狭野尊)。霧島六所権現の一社とされている。
 孝昭天皇の御代(紀元前475〜紀元前393年)に、神武天皇の降誕の地(皇子原)に社殿が創建されたのが創祀とされる。
 その後700〜1000年の間、再三にわたる霧島山の噴火により、度々社殿等が炎上する。
 慶長一五(1610)年、現在地に社殿を造営、還座された。
 神武天皇を主祭神とする事から明治時代に宮崎神宮の別宮とされたが、第二次大戦後に独立神社となった。
 参道には、狭野杉と呼ばれる樹齢400年以上の杉並木があり、訪れる者を和ませてくれる。
 狭野神社は、神代に連なる長い歴史を持つ古社である。
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2007/3/8


那智の火祭り Nachi-no-himatsuri 

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 那智の火祭は熊野三山のひとつ、熊野那智大社で毎年7月14日に行なわれる例大祭である。正式には扇会式例祭、又は扇祭と呼ばれる。
 この祭事は熊野那智大社の本社遷宮と、別宮の飛滝神社の鎮座を偲び、神霊をを奮い起こし、五穀豊穣を祈るものとして行なわれる。
 本社で神楽舞、那智の田楽が奉納された後、飛滝神社の前で十二柱の扇神輿と渡御の通り道を清め、大松明が石段を上がり、扇神輿を迎えて乱舞する。
 大松明は50キロを越す桧の割り板を縛ったもの、扇神輿は縦6メートルの框(かまち)に扇を組み合わせた壮麗なもので、両者が出会い踊る様は勇壮である。
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2007/3/7


次の滝 Tsugi-no-taki 

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 次の滝は和歌山県有田郡有田川町を流れる瀑布である。
 生石高原に注ぐ有田川支流の早月谷川に位置する渓谷、早川峡にかかる滝。
 落差46メートルの堂々とした瀑水を誇り、途中の段瀑を越えて滑り落ちる様は一本の白糸さながらである。
 滝壺の裏側から滝を見ることが出来る珍しい滝であり、裏見の滝の別名を持つ。
 熊野那智大社別宮、飛瀧神社の御神体でもある那智の滝に次ぐ滝である、ということから次の滝と名づけられたとされる。
 周囲を緑と断崖に囲まれた絶景であり、春に新緑、秋には紅葉を色づけ、見るものに清涼感を与える名瀑。
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2007/2/21


伊美別宮社 流鏑馬 Imibetsu-guusha Yabusame 

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 伊美別宮社流鏑馬(いみべつぐうしゃやぶさめ)は、大分県国東市国見町の伊美別宮社にて行われる神事である。県選択無形民族文化財となっている。
 伊美別宮社は、平安時代の末期、岩清水八幡社の分霊を奉った事に始まる歴史ある神社である。
 伊美別宮社にて毎年10月15日に行われる流鏑馬は、江戸時代初期から途絶えることなく続く秋季大祭となっている。
 流鏑馬は、馬を走らせ、楼門前約100mの馬場にある3ヵ所の的を、馬上より射る事によって五穀豊穣と無事息災を祈るという行事である。
 この矢を持ち帰ると、無病息災・家内安全になると言われており、参拝者達が的に当たった矢を奪い合うのも行事の一部である。
 伊美別宮社流鏑馬は、勇ましくも厳かな、伝統的神事である。
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