NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/12


蚕の社 Kaiko-no-yashiro Kaiko no Mori

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 京都府は太秦にある蚕の杜(かいこのもり)は、正式名称を木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)といい、木の嶋神社(このしまじんじゃ)と呼ばれ、親しまれている。
 いわれは古く、推古一二(604)年の創建とされている。渡来人の秦氏(はたし)が養蚕と織物の神を祀ったのがはじまりといわれており、摂社である養蚕神社(こがいじんじゃ)が名前の由来とされている。幾たびの戦火に伴い社殿は焼失、現在の社殿は明治以降に再建されたものだという。
 社殿の西側に元糺の池(もとただすのいけ)という湧水池がある。その池の中央に、三柱鳥居(みはしらとりい)と呼ばれる、京都三鳥居の一つとされる珍しい鳥居がある。柱が三本あり、上から見ると三角形をなし、中央には組石で神座(かみぐら)が作られている。起源は不明だが、現存のものは天保二(1831)年に再建されたものだといわれている。
 蚕の杜は、現在でも製糸機織業者の信仰が篤く、町の氏神様としても親しまれている。
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2007/11/14


広沢池 Hirosawa-no-ike 

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 広沢池(ひろさわのいけ)は、京都府京都市右京区嵯峨広沢町にある、周囲1・3mの池である。
 古来、嵯峨野一帯は大堰川の水が流れ込む沼地であったが、秦氏一族の優れた土木技術による灌漑で田園地帯に変わったとされる。
 広沢池は、宇多天皇の孫・寛朝(かんちょう)僧正(916~998)が遍照寺を建立した際に作られたとか、秦氏の手によって作られたと伝わる。
 大分県の「初沢の池」、奈良県の「猿沢の池」とともに日本三沢の一つと言われ、灌漑用の溜池として往古より知られている。
 池から大覚寺・直指庵方面は保存地区に指定され、電柱や看板などが無く、時代劇映画の撮影によく使われている。
 遍照寺山が影を落とす観月の名所であり、周りには桜が多く、春にはのんびりと花見が楽しめる。
 広沢池は、のどかな田園風景と観月で知られる景勝地である。
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2006/11/27


伏見酒造 Fushimi-syuzou Fushimi Sake Brewing

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 京都・伏見における酒造りの歴史は古い。大和時代、帰化豪族の秦氏が大陸の酒造技術を伝えたとされており、日本酒のルーツは伏見だという説もある。
 港町として栄えていた伏見は交通・流通の要衝であり、また、豊臣秀吉の時代、城下町として人の集まる消費地でもあった。さらに伏見の丘からは名水として名高い伏流水が流れていた。これらの条件が揃い酒造業が発展、現在では全国の約15%のシェアを占める大醸造地にまでなったのである。
 伏見酒は甘口で女性的な優しさ、やわらかさ、繊細さに富んでいる。伝統的に灘の「男酒」に対して「女酒」と呼ばれる所以である。
 時代とともに長い年月を歩み続けてきた現在、伏見には30の蔵元が酒造仲間の心意気を受け継ぎながら、それぞれに個性的な酒を造りつづけている。
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