NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/19


成川神舞 Narikawa-kanme 

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 成川神舞(なりかわかんめ)は、鹿児島県指宿市山川成川の成川南方神社にて、三年に一度、一〇月二七日前後に行われる神事である。
 成川南方神社は、創建年は不明ながら古くからこの地に建つ神社で、祭神は建御名方命(たけなかたのみこと)。
 成川神舞はお諏訪さんと呼ばれている南方神社に伝わる神楽で、以前は国家・神社や氏子に事ある時に神事を行い、その最後に神舞を奉納していた。
 成川神舞の起源は不明だが、慶安二(1649)年、藩主・島津家久の前で神舞を舞ったとの記録が残る為、慶安から万治年間(1648~1661)には成立していたと思われる。
 初日と二日目に、グレと呼ばれる神輿が家々を御神幸する神事を行い、二日目の夕刻から二〇番以上ある神舞が奉納される。
 成川神舞は、勇壮な中にも優雅さが感じられる郷土芸能である。
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2007/9/18


津貫豊祭太鼓踊り Tsunuki-hoze-taiko-odori 

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 津貫豊祭太鼓踊り(つぬきほぜたいこおどり)は、鹿児島県南さつま市加世田津貫の天御中主神社(あまのみなかぬしじんじゃ)にて、毎年一〇月二七日に奉納されている踊りである。県の無形民俗文化財に指定されている。
 天御中主神社は、延宝八(1680)年に清木場から現在地に移された神社で、祭神は天御中主神。
 踊りは、天御中主神社の秋の例祭として奉納されているほか、豊年・五穀豊饒を祈願し、各地で秋祭りとして踊られている。
 起源は、神話や源頼朝の鎌倉幕府開設の祝いにあるとも言われており、念仏踊りや雨乞い、虫追いの踊りが農民の間に行われ、発展したものと考えられている。
 小太鼓2人、鐘2人、大太鼓16人で演じられ、小太鼓と鐘は女装した男の子で、大太鼓は大きな音を立てないように打つのが特徴的とされる。
 津貫豊祭太鼓踊りは、加世田に伝わる神秘的な郷土芸能である。
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2007/9/14


高鍋城灯籠まつり Takanabe-jo-tourou-matsuri Takanabe Castle Lantern Festival

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 高鍋城灯籠(たかなべじょうとうろう)まつりは宮崎県児湯郡高鍋町で行われる、町をあげてのまつりである。
 三代藩主・秋月種信(あきづきたねのぶ)が開いた藩校「明倫堂」の教えである「人の道を広く育む」をテーマとし、毎年一〇月一五日をメインに舞鶴公園とその周辺で開催される。
 町中では、会場を中心にいたるところで石灯籠や竹灯籠などが設けられ、一五〇〇基あまりの灯篭に明かりがいっせいに灯され、城下町を幻想的に彩る。中には小中学生が描いた絵を紙灯篭にするなど、ユニークなものも見られ、町と住民が一体になったまつりである。
 同時に高鍋城のお堀周辺では、毎年、ジャズなど多彩な企画による「堀床の宴」と称されるイベントが開かれる。
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2007/8/21


御櫃割 Ohitsu-wari Ohitsuwari

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 御櫃割(おひつわり)は江戸時代末期から続く、五穀豊穰、家内安全を祈る伝統的な農業祭である。「御鉢割(おはちわり)」ともいわれている。西尾市の無形民俗文化財に指定されていて、神明社境内で毎年一〇月に行われる。
 この神事はなかなか荒々しい。
 神前から受け取った赤飯入りのお櫃を、一五人の厄男達が受け取る。お櫃のふたが男達によって素手の拳でたたき割られると、参拝者達が先を争うように押し寄せる。この赤飯を食べると一年中無病息災で過ごせるといわれるからだ。
 厄男と大勢の見物客が入り乱れ、手づかみで赤飯を奪い合う様は、見応え充分の秋祭りである。
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2007/8/10


白川静 ShirakawaShizuka Shizuka Shirakawa

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 漢字研究の世界的第一人者。
 明治四十三(1910)年、福井生まれ。十代半ばから漢学に親しみ基礎を築く。
 昭和四五(1970)年に「漢字」を上梓。漢字学の通説を覆す独自の視点を獲得する。
 中国の思想・文化を斬新な解釈で綴った「詩経」「金文の世界」「孔子伝」の 刊行を経て、昭和五九(1984)年に「文字」の成り立ちをまとめた字源辞書である「字統」に到達。その後も「漢字」に呪術的な世界観を見出すという独自のアプローチが展開され、「字訓」「字通」を刊行、漢字学三部作は完成した。
 平成9(1997)年に、文字文化研究所所長に就任。翌年に文化功労者として顕彰される。
平成一五(2004)年には文化勲章を受章。平成一七(2006)年十月三〇日、九六歳で逝去。白川静の漢字宇宙
への飽くなき探求は、多くの研究者たちに引き継がれ、発展を遂げている。
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2007/8/2


柳津虚空蔵尊大祭 Yanaizu-kokuzou-son-taisai Yanaizu Kokuzoson Taisai (Grand Festival)

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 柳津虚空蔵尊大祭(やないづこくうそんたいさい)は、宮城県登米市津山町にあり、福島の会津柳津と山口の周防に並ぶ日本三大虚空尊の一つに数えられる柳津虚空蔵尊で、毎年四月と十月の十二~十三日にかけて行われる例祭である。
 その興りは奈良時代の神亀三(726)年、万葉集編纂で知られる僧・行基によって天下泰平、国家安泰を願って虚空蔵菩薩を刻み開基、創建されたとされ、奥州でも屈指の霊山・霊場の祈願寺として広く知られている。
 大祭では、正午から山海の珍味をお膳に盛り、行列して運ぶ「献膳行列」が行われ、その後に家内安全や交通安全、受験合格などを記した護摩祈祷が行われる。
 春と秋には県内外から大勢の参拝者が訪れ、今も篤い信仰を集めている。
 いつもの賑やかなお祭りとは違い、お膳を運ぶ荘厳な行列を見守り、炎と共に天に昇っていく祈祷に祈りを捧げる静かなお祭りも良いかもしれない。
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2007/7/11


厚田川 Atsuta-gawa The Atsuta River

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 厚田川(あつたがわ)は、北海道石狩市旧厚田村を流れる、延べ30kmの清流だ。
 その源を北に広がる増毛山地に発し、今も自然を色濃く残した清らかな流れに乗って、遡ってくる鮭の姿も見ることが出来る川として知られている。
 川沿いに少し上流に行けば、そこはもう自然あふれる世界だ。緩やかに続く川の流れと両岸に続く渓容は、この川に鮭が帰ってくるのもうなずける美しさだ。
 鮭の遡上のシーズンは九月から十月にかけてで、ちょうど渓谷の木々が赤や黄色に色付き始める頃なため、体をくゆらせて水面近くを泳いでいく鮭と紅葉の二つを同時に楽しむことも出来る。
 鮭が遡上することからもその川の清らかさは言うに及ばず、流域にある公園と併設されたキャンプ場からは多くのカヌー愛好者たちがこの川の美しさにあこがれて、川面にカヌーを浮かべにやってくる。
 人は川を満喫するために下り、鮭は新たな命をはぐくむために上る。想いはどこかで交錯し、よりこの川を豊かにする。
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2007/7/3


岩内仙峡 Iwanai-senkyou 

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 北海道の中央南部にある帯広市。その中心部より車で40分ほど走ったところに、岩内仙峡(いわないせんきょう)がある。
 岩内川の上流にあたり、日高山麓の山深い険しい峡谷だ。
 峡谷には一本の紅色の釣橋が掛かっており、深い谷の真ん中で雄大な自然の息吹きを満喫することが出来る。
 春には桜やツツジなどが咲き誇り、峡谷を彩るあでやかな色が、見るものの心を弾ませてくれる。
 しかし、それ以上にこの峡谷は秋になると素晴らしい渓谷美を見せる。シーズンになると、峡谷の両側に赤や黄色く色付いた紅葉が、自然にしか再現できないような見事なコントラストを見せてくれる。
 橋の真ん中に立って峡谷を見れば、その両壁に美しい自然の冬支度の風景をたっぷりと楽しむことが出来るだろう。
 毎年十月には「岩内仙峡もみじまつり」が開催され、特産物販売も行われる。
 ここに来れば紅葉と食欲、二つの秋を同時に心行くまで堪能できる。
 
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