NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/2


手摺りカルタ Tezuri-karuta 

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 木屋町七条に店を構える松井天狗堂。ここに日本で唯一の「手摺りカルタ」を作り続ける職人、松井重夫氏がいる。
 昭和半ばの機械摺りへの転換で、すっかり姿を消し、今では日本で唯一の手摺りカルタ職人となったのが三代目の松井重夫氏である。
 カルタの原画が描かれた台紙に、正確に型を合わせ、色を一色ずつ丁寧に置いていく。色が増えるにつれ、徐々に艶やかな絵柄があらわれてくる。こうした作業は、かつては分業で行われてきたという。今は仕上げまで、全ての工程を一人で手掛けるため、完成まで約一ヶ月ほど掛かるそう。
 手間隙かかる手作業ならではの、独特の風合いがカルタ一枚一枚に刻まれている。
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2008/6/27


魚魚あわせ Toto-awase Toto-Awase (Fish Card Memory Game)

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 魚魚あわせ(ととあわせ)は、日本人に馴染みの深い魚を地域別に集め、魚偏の漢字と色とりどりの千代紙・色紙の切り絵を使って生まれたユニークな絵あわせカルタ。企画・製作は、京都府宮津市の「丹後魚っ知館(うおっちかん)」の魚魚(とと)工房。
 2003年春の発売以降、絵柄の美しさと魚の種類や漢字の勉強になることからファミリー層を中心に人気を集め、販売合計個数は十万個を突破。2005年にグッドデザイン賞、2006年にグッド・トイ賞を受賞。現在、地方別に一一種類が販売されている。朱色や群青色など日本の伝統色を用いた箱、千代紙の繊細な模様を取り込んだカルタは、和のテイストに貫かれており、札には魚のミニ知識が添えられている。英語版の「Sushi Bar」は、海外へのお土産として好評。
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2008/3/18


板かるた Ita-karuta 

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 板かるたとは、その名の通り、板にかかれたかるたのことである。
 始まりは江戸時代に福島県会津藩の武士たちが内職で作成していたという説が有力であるが、普及させたのは明治以降の北海道の屯田兵たちである。
 屯田兵とは厳寒の北海道で軍隊としての規律を守りながら開拓作業にも従事していた人々である。激しい環境と労働下、お祭りや相撲の地方巡業などの数少ない娯楽の中で板かるたも貴重な楽しみの一つであった。
 板を使っているのは、北海道では紙は貴重で手に入りにくかったことと、板かるたの材料となる朴(ほお)の木や白樺の木が群生していたためである。
 内容も変わっており、百人一首の場合、通常は上の句を読み上げて下の句の書かれた札を取り合うのが、板かるたの場合は下の句を読み上げ、下の句の書かれた札を取り合うのである。そこには、教養よりもスピードと豪快さが要求された。そのため下の句かるたともいわれている。
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2008/2/7


上毛かるた Joumou-karuta 

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 上毛かるた(じょうもうかるた)は昭和二二年に群馬県の群馬文化協会が発行したかるたである。上毛とは群馬県の古い呼称である。
 太平洋戦争に負けた日本の多くの都市は廃墟と化し、巷には被災者や失業者が溢れ、多くの戦災孤児が生まれた。
 当時群馬文化協会の前身であった同胞援護会は上毛かるたを発行した。発行の目的はかるたという遊びを通じて、教育もままならない子どもたちに群馬県の歴史を中心に日本の歴史、地理、道徳を教科書の代わりに教えていき、郷土愛や慈愛に芽生えてもらうためであった。
 かるたに詠まれている人物や歴史、名所に関しては広く県民に選んでもらい、上毛かるた編集委員会で選出した。解説には丸山清康氏があたり、絵は小見辰男氏が担当した。発行から二ケ月後には上毛かるた県大会が開催された。
 昭和二七年に上毛かるたは児童福祉法に基づいた優良文化財として推薦 されている。
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2007/11/29


うんすんかるた Unsun-karuta Unsun Card Game

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 「うんすんかるた」は室町時代にポルトガルの船員から伝わった南蛮カルタ、すなわちトランプを日本で作りかえたカルタのことである。
 もともとは、天正年間(1573~91)に、南蛮かるたを模して初めて国産のカルタが作られる。福岡県大牟田市三池でのことで、これが「天正かるた」である。江戸時代に入るとこの天正かるたが発展し、「うんすんかるた」が作られたのである。
 天正かるたは48枚なのに対して「うんすんかるた」は75枚もあり、ゲームの内容も複雑であった。名前の由来はポルトガル語で、「ウン」は一番、「スン」は最高という意味からきているらしい。
 うんすんかるたは流行するにつけて賭博性も強くなり、江戸時代中期には禁止令までだされた。その後、途絶えたと思われていたが、熊本県の人吉地方で遊び継がれていた。
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道才かるた Dousai-karuta Dousai Karuta

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 道才歌留多(どうさいかるた)は江戸時代に上方で流行した歌留多(かるた)である。
 起こりは江戸時代。花札が禁制となり、花札の代わりに小倉百人一首のかるたを使った博打(ばくち)「むべ山」が広まっていった。道才かるたはこのむべ山の賭博性がエスカレートして誕生したものである。
 かるたであるので、絵札(えふだ)と詠札(よみふだ)があり、詠札にはことわざが記され、そのことわざに関連した絵札の取得を争うゲームであった。
 詠札には、懲りることのない人を皮肉ったことわざが記されており、その中の「これに懲りよ、道才坊」の札がこの名の由来である。
 最初は子どもの勉強用に作られたようだが、大人が賭博用に使用し、流行していった。
 江戸時代の庶民の文化、生活の名残を留める貴重なかるたである。
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2007/2/23


花札 Hana-fuda 

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 日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代である。
 宣教師が伝えたとされており、日本のかるたの語源は、ポルトガル語のcartaからきている。
 天正時代(1573〜91)には既に国産のかるたが作られ、賭博として流行した。以後、為政者が禁止してはデザインを変え、禁止される度にデザインを変え、次々と新しいゲームが作られた。
 花札は、その過程で生まれた。花かるたとも呼ばれ、12ヶ月×4枚の48枚1組となっている。
 こいこい、花合わせ、八八といった遊び方が一般的であるが、地方カード、地方ルールも数多く存在する。
 花札は李氏朝鮮に渡り、韓国にも流入し、花闘(ファトゥ)と呼ばれ人気になっている。
 花札は、日本独自の伝統的カードゲームであり、今でも広く人々に愛好されている。
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2007/2/13


百人一首 Hyakunin-issyu 'Hyakunin-isshu'

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 鎌倉時代の歌人・藤原定家が百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ、百首選んだもので、古今集や新古今集などから選ばれている。宇都宮蓮生の京都嵯峨野の別荘・小倉山荘の襖色紙に載せる依頼を受けたのがきっかけとされ、当初は「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」と言われていた。通称「小倉百人一首」と呼ばれる。
 これにならって、百人の歌人の和歌を一首ずつ集めて作られる私撰集も数多くあり、「後撰百人一首」、「源氏百人一首」、「女房百人一首」などがある。
 さらに小倉百人一首をもとにして作られたた歌歌留多(うたかるた)もあり、その歌留多を用いて行われる遊びは、江戸時代中期頃から盛んになり現代に至る。
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