NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/22


田舎館村 田んぼアート Inakadate-mura-tanbo-art 

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 田舎館村・田んぼアート(いなかだてむら・たんぼあーと)は、青森県南津軽郡田舎館村が、村起こしの一つとして始めた、田んぼをキャンバスとして色の異なる米を使って巨大な絵を作り出すプロジェクトのことである。
 平成五(1993)年から始まったもので、田舎館役場の東側にある、約1.5ヘクタールの水田をキャンバスとして、黄稲と紫稲の古代米二種と、この地方で栽培されているブランド米の「つがるロマン」を使って、モチーフとなる絵になるよう、配色を考えながら植えられていく。
 村役場には天守閣を模した展望室が設置されており、配色や植える位置は、ここから眺めた時に最適となるよう、設計されている。
 モチーフとなる絵は、主に日本人の芸術作品が用いられており、これまでに恵比寿様と大黒様や葛飾北斎の「富嶽三十六景」、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などが再現されている。
 田植えや稲刈りへの参加者も募集されており、見るだけでなく、作る喜びも味わえる、村を代表する一大イベントとなっている。
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2008/3/17


【気】 Ki Energy, Spirit, Atmosphere

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 象形文字の气が初文。また、气の初文は乞、雲気の流れる形です。気は空気、天気、湯気、気息などに現れるエネルギーの根本のユニットと考えられます。
 白川先生が最後に執筆した漢字字書『常用字解』に、はじめて「気を養う」という、「気」と「お米」との役割関係が説かれています。ちなみに、韓国のジェーコブ・チャング-ウイ・キム氏の英語の漢字説にもそのように説かれています。
 生き物にエネルギーを与えているのは食べ物であり、食べないと生きていけず、気力がわいてきません。昔から東アジアの基本食はご飯とされており、お米はエネルギーの元でもあります。「気」の上の部分は炊いたお米・ご飯から上がる「湯気」ではないかという、象形的な文字としての位置づけができると考えられます。
 「気」は日本語では人間の気分・気持ちを表現する多くの言い方に使われるようになり、東アジアでは太極拳や合気道などの気息・呼吸法が大事とされる武道の文化の基本にもなりました。
 古代ギリシャ哲学には、とても似ている概念の「プノイマ(空気)」があります。汎神論を唱え、自然の法則に従うライフスタイルをすすめていた古典哲学派のひとつである「ストア派」は、これを「宇宙にどこにもあるロゴス(世界理性)を担っている、一番細かい空気みたいな物資」として考えています。そういう意味では昔から「気」は西東共通の考え方でした。
 
■ 気・篆文(てんぶん)
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2007/10/26


尻別川 Shiribetsu-gawa The Shiribetsu River

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尻別川(しりべつがわ)は、フレ岳を源とし、羊蹄山麓を経て蘭越町から日本海へ注ぐ北海道の一級河川。長さ126km、流域面積1640平方km。平成十一年から十四年まで、国土交通省が清流日本一に認定した清らかで澄んだ水流を誇る。
 清澄で豊富な水は、多様な生物の生育環境を育み、農耕地を耕し、狭窄部の激流は、発電用水として利用され、周辺の町の人々の生活を支えてきた。尻別川流域は北海道有数の農業地帯であり、馬鈴薯、アスパラ、ユキヒカリ(米)などの名産地として知られる。
 一方、尻別川では様々なウォータースポーツが盛んであり、春の時期は激しいラフティングが楽しめる。日本有数のラフティングスポットとして雑誌に特集が組まれるほどである。
 尻別川は、北海道の自然の恵み、かけがえのない財産なのである。
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2007/9/25


米倉鹿嶋神社 献饌行事 Yonekura-kashima-jinja Kensen-gyouji The Kensen Ritual at Yonekura Kashima Shrine

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 米どころ宮城の中心的役割を果たしているのが大崎市。ササニシキ、ひとめぼれなどが誕生した地として知られている。市役所から一キロ程の米倉(よねくら)地区にある鹿嶋(かしま)神社では、毎年九月九日と一〇日の二日間にわたり、献餞(けんせん)行事が執り行われる。献餞とは神道の祭式で、祝詞(のりと)を上げるに先立って、神官が神前に食物を供えることをいう。
 米倉鹿嶋神社は大崎開拓以来の古社とされ、戦前までは清和源氏足利氏(せいわげんじあしかがし)の一門・大崎氏の遺臣が祀ってきたが、その後は地域民も加わり祭事を続けている。初日は初穂献上に始まり、その他の儀を経て、神酒を戴き神饌を食する直会(なおらい)に至る。翌日の神輿巡幸をもって終わる。穀物の収穫に感謝する静かなこの祭事は、県の民俗文化財、風俗習慣に指定されている。
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2007/8/15


火振りかまくら Hiburi-Kamakura 

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 400年の歴史を持つ火振りかまくらは、秋田県仙北市角館で毎年2月に行われる、小正月行事である。
 炭俵、または米俵に縄を付け、俵に火をかけ、縄の端を握り、自分の体の周囲りを振り廻す。(現在、専用の俵を用意している)
 火によって田んぼの穢れを祓い、この年の無病息災、五穀豊穣を祈る伝統の行事である。
 これと同時に、正月のお飾りを高い木に縛りつけて燃やす天筆焼きが行われたり、水神を祭るかまくらも作られ、食べ物やお酒が振舞われる地域もある。
 一般の人も参加することが可能であり、自身の厄を祓おうと俵を廻す人々も多い。
 夜の雪原に輝く炎の輪は幻想的で、見る者を感動させる、雪国の美しい行事として知られる。
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2007/3/28


登呂遺跡 Toro-iseki 

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 登呂遺跡は静岡市駿河区登呂の登呂公園内に位置する遺跡である。
 弥生時代後期、2〜3世紀のものとされ、当時の農耕文化を伝える世界的にも貴重な遺跡。
 水田跡、住居跡が発見されており、住居と高床式倉庫は公園内で復元されている。水田遺構も再現され、弥生時代の古代米である赤米の栽培が行なわれている。
 農耕具や丸木舟、土器などの生活器具が多く出土しており、静岡市立登呂博物館に展示され、当時の生活を知る貴重な資料として研究が行なわれている。
 戦後初めて考古学や人類学など、各方面の研究者が参加した発掘調査が行なわれた遺跡としても知られる。
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2007/2/6


大分 円形分水 Ooita Enkei-bunsui 

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 大野川の支流の大谷川から熊本県内で取水し、延長13キロメートルの水路によって竹田市の180ヘクタールの耕地を潤す音無井路は1898年に竣工している。
 この井路をめぐりたびたび水争いが起きた為、1934年に「12号分水」と呼ばれる円形の分水施設が竣工された。当時旧宮砥地区内部で水不足で争いが生じ、その対策として耕地面積に応じて3地区に比例分水出来る様にしたのがこの施設。大谷川取水□から2キロメートルに亘るトンネル水路を通った水がサイホン方式で、円形の中央から沸き上がる。円形は二重で、内外を仕切る壁には等間隔に小窓が設けられ、中央に湧き上がった水は小窓を通って外側の円形溝に流れ込む。
 外側の円形溝は仕切りで3分配しており、小窓の数や小窓に設けられた蓋、仕切り板の高さにより分水量が調整される。現在は石造りからコンクリート造りに改修され、水利争いを合理的に解決した施設として近代化遺産に評価されている。
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2007/2/5


ホーランエンヤ Horan-enya Horan Enya

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 大分豊後高田の新年を祝う勇壮な「ホーランエンヤ」は、江戸中期に始まった伝統行事。
 当時は、長崎島原藩の領土であった事から、年貢米を島原や大阪の蔵屋敷に船で運んでいた。その年貢米を運ぶ回槽船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として始まったと云われている。
 市の中心を流れる桂川が祭りの舞台。大漁旗や万国旗、五色の紙を付けた笹竹などで、華やかに飾り立てられた宝来船に、締め込み姿の若者と、囃子方、踊り子、関係者らが乗り込み、下流の金毘羅宮を出発。川をジグザグに漕ぎ上がり、上流の若宮八幡を目指す。途中、観客から祝儀が差し出されると、漕ぎ手の若者が厳寒の川に勢いよく飛び込み、受け取りに行く。そのお礼に宝来船からは拍手喝采が起こる。
 周辺にある「昭和の町」として甦った商店街の店頭には、その店のお宝、骨董など昔懐かしい品々が並ぶので、町並みを眺めながらの散策も楽しい。
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