NIPPON Kichi - 日本吉

2008/6/13

長曽祢虎徹 Nagasone-kotetsu 

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 長曽祢虎徹(ながそねこてつ)は、江戸時代初期の慶長元(1596)年に生まれ、延宝六(1678)に死去したとされる刀匠である。生没年は推定で、詳細な生年・没年は分かっていない。
 石田三成で有名な佐和山城下に生まれ、関ヶ原の合戦の敗北で幼少期に金沢に逃げた。長じて、金沢では甲冑の名工として知られた。
 明暦二(1656)年頃、江戸に出て刀鍛冶に転じる。三之丞興里(おきさと)と名乗ったが、後に入道してからは古鉄入道と言い、更に後には虎徹の文字をあてた。
 作風は、地鉄が強く、地刃の匂口が明るく冴えるのが特徴で、その多くに焼出しがあり、前期は瓢箪刃と称される大小の互の目が連れた刃を、後期は数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼いている。
 幕末、新撰組局長・近藤勇が使用したとされる事で知られる。近藤の虎徹は、商人・鴻池善右衛門に貰ったとも江戸で買ったともいわれ、諸説あって判然としない。
 長曽祢虎徹は、江戸時代以降の東の横綱ともされる名刀工である。

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長曽祢虎徹




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