NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/17


虎踊 Tora-odori 

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 虎踊(とらおどり)は、神奈川県横須賀市西浦賀に伝わる伝統芸能である。
 毎年六月の第二土曜日に、西浦賀にある為朝神社(ためともじんじゃ)で舞われ、奉納されている。
 享保五(1720)年に奉行所が伊豆下田から浦賀に移転した折に一緒に伝えられたとされ、人形浄瑠璃作家・近松門左衛門の「国姓爺(こくせんや)合戦」を題材にしたという。
 踊りは歌舞伎や唐人踊りが取り入れられた珍しいもので、国姓爺合戦に登場する和藤内(わとうない)もそのまま登場、唐に渡った和藤内が、唐の子供である唐子達と交流を深め、暴れまわる虎を神符でもって退治するという筋書きである。
 虎は親子二体で、親虎には大人一人が入り、子虎には子どもが二人ずつ入って、『シラミ取り』や 『谷のぞき』など本物さながらの迫力ある芸を魅せてくれる。
 県の無形民俗文化財にも指定されており、異国情緒を放つ豪快な物語は、今も見る人々を惹きつけて止まない。
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2008/9/19


山口源兵衛 Yamaguchi Genbee Genbee Yamaguchi

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 昭和五六(1981)年、元文三(1738)年創業の京都の老舗帯問屋『誉田屋源兵衛』十代目を襲名し、帯作りに専念。近年は、着物も手がける。日本原種の繭「小石丸」の復活やフィリピンのドリームウィーバーの保存など、染織技術の活性化に努める。2003年、日本文化大賞受賞。建築家の隅研吾氏やデザイナーのコシノヒロコ氏とのコラボレーションに続き、今年春には、セレクトショップのユナイテッドアローズと組み「傾奇者達之系譜」を発表。血沸き、肉躍る、男の着物である。
 ワイルドで派手好きな桃山の男達。桃山時代、日本の男たちは「世界一タフ」と尊敬されていた。その血の記憶が覚醒した男気とロックンロールの風情。そこには「婆娑羅」「傾奇」「粋」と、日本に連綿と続く傾奇者のDNAが宿っている。傾奇とは、歌舞伎、傾(かたぶ)くことである。
 「型をやり通したら、パッと自分の底が開ける瞬間が来る。世阿弥が言うように、型を追い続けることが自由への最短の道なんや」
 旺盛な生命力も艶やかさも、その「深み」あればこそなのだ。
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2008/9/8


子供歌舞伎 Kodomo-Kabuki 

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 子供歌舞伎は、福井県三方郡美浜町早瀬にて行われる地方芸能である。
 安政三(1856)年、早瀬地区内に悪病(コレラ)が流行し、多くの村人が病にかかり、死亡者も数多く出た。そこで、宝光山瑞林寺の和尚の提案で、芸能として子供歌舞伎を演じて奉納したところ、病が鎮められたという。
 以来、毎年5月5日のこどもの日に、日吉神社ほか早瀬地区一帯で子供歌舞伎を行う風習が生まれたとされる。
 参道に据えられた山車の舞台で早瀬地区の小学4~5年生の男子が化粧して、色あでやかな衣裳をまとい、三味線や鼓に合わせて寿式三番叟を舞う。子供達が懸命に踊る姿がなんとも無邪気でほほえましい。
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2008/4/4


神明社 三番叟 Shinmeisha Sanba-sou The Sanbaso Dance at Shinmeisha Shrine

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 静岡県西伊豆町の中地区に鎮座する神明社(しんめいしゃ)。
 慶長五(1600)年に、現在の地に再建されたといわれる古社で、毎年一一月二日の夜と三日の朝の二回にわたって奉納されるのが三番叟(さんばそう)という人形浄瑠璃である。
 江戸時代から続いているという人形浄瑠璃による三番叟は、周辺地区に多く伝承されており、この神明社の三番叟もそうして伝えられたものの一つであるといわれている。
 およそ1mほどの大きさになる千歳、翁、三番叟の三体の人形は、一体に付き二人の地区の若衆によって操られ、元は能の演目である「翁」を歌舞伎化した物語を繰り広げる。
 そうした神への捧げものは自然に対する感謝と五穀豊穣、家内安全、天下泰平や疫病祓いの祈りが込められている。
 操者二人がそれぞれ違う部位を操るその動きは、まるで中に人が入っているような緻密な所作で物語を紡ぎ出す。
 神に捧げられるその舞は、見事なまでの美しさである。
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牛越神社例祭 人形三番叟 Ushikoshi-jinja-reisai Ningyou-sanba-sou The Sanbaso Dance at the Annual Festival of Ushikoshi Shrine

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 静岡県の西伊豆町宇久須にある牛越神社(うしこしじんじゃ)において、毎年一一月二日と三日の二日間に天下泰平や五穀豊穣、国土安泰を祈願して奉納されるのが人形三番叟(にんぎょうさんばそう)である。
 能の演目の一つである「翁」を歌舞伎化したのが三番叟であり、それを人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)として演じる。
 その起源はいくつかあり、この伊豆に流された京都の公卿により伝授されたとする説や、江戸初期の伊豆金山奉行、大久保長安に伝授されたとする説がある。ただ、天明年間(1781~1788)に集落の若衆により同神社に奉納された記録が残っているため、この頃にはすでに行われていたと見られている。
 千歳、翁、三番叟の各一体に役者が三人ずつ付き、太鼓や笛、拍子などの演奏に合わせて、それぞれの担当部位ごとに絶妙なバランス感覚で人形を操る。
 人形と操者が一体となった幽玄の世界が、そこにはある。
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能代凧(べらぼう凧) Noshirodako(Beraboudako) 

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 能代凧(のしろだこ)は、秋田県能代市にて発祥したとされる凧で、別名べらぼう凧(べらぼうだこ)と呼ばれている。
 坂上田村麻呂の蝦夷討の時(780~802)、空高く揚がった能代凧を目印に入港したという伝説が伝わる。
 全国の凧に比べて人物の顔が大きく描かれており、空高く揚がっても一目でそれと分かる。また、男女の絵柄がある事も大変珍しく、大きな特徴とされる。
 男べらぼう凧は、目のまわりに歌舞伎のくまどりが塗られ、頭には芭蕉の葉っぱの柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 女べらぼう凧は、牡丹の花の柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 他に、べらぼう顔以外にも、歌舞伎絵や武者絵など20種類以上という多種の絵柄が存在している。
 能代凧は、アッカンベーをしたユニークな絵柄と鮮やかな色彩が目を引く、面白い凧である。
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2008/2/25


中山人形 Nakayama-ningyou 

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 中山人形(なかやまにんぎょう)は、秋田県横手市の樋渡家(ひわたけ)に伝わる土人形で、元々は子供のおもちゃとして作られた。
 佐賀の鍋島藩お抱えの野田宇吉という陶工が、岩手の南部藩に雇われ、陶土を求めて横手にやってきた。その時、地元の樋渡ヨシが宇吉の長男と知り合い結婚し、義父から粘土細工を習い、横手地方に古くから伝わる串姉っこ人形からヒントを得て創作したのが始まりといわれている。明治七(1874)年頃のことで、窯のあった地名にちなんで中山人形と名付けられた。
 その後、樋渡家の後継者により改良が加えられ、型おこしの素焼きに手描きの彩色を施した明るい作風が郷土玩具愛好者らに支持され、広く知られるようになった。
 近年は、お雛様や天神様などの縁起物や歌舞伎を題材にした伝統人形を継承しながらも、時代にマッチした新作を次々と発表している。特に干支にちなんだ「干支土鈴」は最も人気があるシリーズで、その中の「土鈴羊」は昭和五四(1979)年度の年賀切手の図案に採用された。
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2008/2/21


猩々緋色(ショウジョウヒイロ) Shoujouhi-iro 

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 猩々緋色(しょうじょうひいろ)は日本古来の伝統色のひとつで、極めて鮮やかな赤色のことである。染料の原材料はケルメスという昆虫であったが、その後ケルメスより更に色の強いコチニールカイガラムシが使われるようになったといわれている。
 「猩々」とはオランウータンの和名でもあるが、元々は中国の伝説上の動物を指すといわれている。猩々は猿に似た、酒を好む動物で、顔だけでなく体毛も赤いと言われている。日本では猩々が能の演目としても定着しており、歌舞伎や日本舞踊でも演じられている。猩々緋色はその猩々の鮮明な赤い色に由来している。
 戦国時代の武将に大変好まれた色といわれており、南蛮船で猩々緋色に染められた、羅紗(らしゃ)という毛織物が輸入されるようになると、裾の長い羽織物として好んで着用したといわれている。
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