NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/10


浄瑠璃 Joururi 

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 浄瑠璃(じょうるり)は、日本の伝統的な音楽の一つで、三味線の伴奏に乗せて太夫(だゆう)が詞章を語るもの。これに人形芝居が加われば人形浄瑠璃となる。詞章が単なる歌ではなく、劇中人物の台詞や仕草までを含み物語のように聞こえることから、浄瑠璃は一般的に「語り物」と呼ばれる。
 室町時代に登場した浄瑠璃御前と牛若丸の恋物語「浄瑠璃十二段草子」が大流行したのをきっかけに、他の物語も同じ節回しで語られるようになり、それらをまとめて浄瑠璃と称するようになった。
 江戸時代になると浄瑠璃は多くの流派に分かれ、広く世間に受入れられて行った。そして貞享元(1684)年、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が大坂道頓堀に竹本座を開設して「義太夫節」を確立すると、名作者の近松門左衛門と組んだこの新しい様式は熱狂的な支持を受け、義太夫節がそれ以前の古浄瑠璃に取って代わるようになった。
 現在、浄瑠璃音楽として残っているのものに、義太夫節、常磐津節、清元節、河東節、一中節、宮薗節、新内節、富本節がある。
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2007/10/23


長唄 Naga-uta 

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 長唄(ながうた)は、江戸で歌舞伎音楽として発達した三味線音楽の一種で、劇場に結びついて主に歌舞伎の舞踊の伴奏をつとめた。
 初代・中村勘三郎の弟の杵屋勘五郎(1615~1699)により始められたとされ、語り物である義太夫や清元に比べて、音楽性が高い。
 浄瑠璃の影響を受け、語り物の要素もあり、伴奏には三味線のほかに囃子も加わる。長唄の囃子は能の囃子に用いられる楽器をそのまま流用し、笛、小鼓、大鼓、太鼓で構成される。
 のちには、歌舞伎に関係なく作曲されるようにもなった。
 長唄は明るい声で歌われるので、それに合わせて三味線も軽やかな音色で演奏される。
 代表曲として、「勧進帳」「京鹿子娘道成寺」「越後獅子」「藤娘」「連獅子」などがある。
 長唄は、歌舞伎の伴奏として発展した伝統芸能である。
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2007/5/31


銀杏返し Ichou-gaeshi Icho-gaeshi

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 銀杏返し(いちょうがえし)は、江戸時代末期に起こった女子の髪型。
 髪をひとつに括った根元からふたつに分けてそれぞれ輪にして∞型にし、余った毛先を根元に巻き収めて髪飾りを掛けて止め、髷(まげ)の根元に簪(かんざし)を挿す。この髪型が銀杏の葉がそっくり返ったような形であることから、「銀杏返し」の名が付いた。
 初めは12歳~20歳くらいの一般女子が結っていたが、江戸に入り、芸者や娘義太夫が髷の大きなものを結うようになり、粋好みの娘などがその形を真似たという。明治以降は30代以上の女性、後家や芸人、花柳界の女性にも流行した。
 髪結いに頼まないでも自分で簡単に結えることから、昭和初期まで銀杏返しは一般的な髪型であったという。
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2006/12/17


大阪三味線 Osaka-Shamisen Shamisen 

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三味線が琉球から大阪に伝わったのは、1562年。その当時の三味線は、胴と呼ばれる部分に蛇皮を使用していた。大阪に伝わると、形、大きさ、皮、ばちなどに独自の改良を加え、胴の部分も犬、猫の皮が使われるようになる。また製法や生産も、日本の芸事と深く結びついた改良や工夫がなされ伝承されてきた。江戸時代にはそれらが京都へ、そして江戸にのぼり、江戸時代中期に大きく発展し全国で愛されるようになる。
大阪は芸事が大変盛んで、芝居や歌舞伎の他、商人のお稽古事など、身近に用いられた。完成品に長唄や義太夫などの名前が使われているのを見るとその歴史がよくわかる。
製品の材料となる木には紫檀、花梨、紅木等が使われる。
大阪では今でもひとつひとつ手作業で作られ、その風土と生活の中で、伝統的な製造技法が、約400年受け継がれ今日にいたっている。
大阪府の伝統工芸品。
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