NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/29


秋分 Syuubun Shubun(Autumnal Equinox)

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 秋分(しゅうぶん)は、1年を24に分割した二十四節気の1つで、毎年9月23日頃の事である。
 天文学においては、太陽が秋分点を通過した瞬間、すなわち太陽の視黄経が180度となった瞬間を秋分と定義している。
 春分と同様に、秋分では昼夜の長さがほぼ同じになる。
 秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日」として、国民の祝日に制定されている。
 元々農村部では秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、山の神様である祖先の霊を秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていた。
 仏教の浸透とともに秋分は「秋の彼岸」として祖先を供養する意味を持ち始め、明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭」と定め、宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、一般の間でもその意味で定着していった。
 秋分は、日本古来より伝わる暦上の伝統行事である。
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2007/5/11


摩尼寺 Mani-dera Manidera Temple

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 摩尼(まに)寺は、鳥取砂丘から南東の方角にある摩尼山の中腹にある天台宗の古刹。約1200年もの歴史を持ち、因幡第一の霊場として遠近に名高く、彼岸の頃には多くの参詣客で賑わう。
 平安時代の承和年間(834〜848)に慈覚大師円仁が開基したとされる。当時、比叡山や高野山のように多くの霊場が女人禁制だったのに対し、摩尼寺の参詣に女人の登山を許したことから、女人の篤い信仰を集めた。
 摩尼山のふもとから長く急な石段を登って境内へ、そして仁王門、本堂、如来堂、奥の院へと続く様は歴史を感じさせる堂々たる趣だ。
 仁王門は18世紀後半に建てられたもので、県内でも数少ない三間一戸形式の楼門。本堂手前の観音像からしたたる「摩尼の水」は健康長寿にご利益があると伝えられている。
 旧暦8月15日の「へちま加持」には、喘息平癒に全国から信者たちが集まる。
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2007/2/14


橋本院 Hashimoto-in Hashimoto Temple

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 橋本院は奈良県、金剛山東側に広がる高天に位置する高野山真言宗の寺院である。
 正式名を「宝宥山高天寺橋本院」、開基は行基和尚で、元正天皇の勅により建立された。南北朝時代、焼き討ちにあい現在の場所に移築、傍らの池に橋が掛かっていた事から「橋本院」の名が付けられたとされる。
 金剛山の転法輪寺七坊の一つであり、唐の僧、鑑真和尚も住職を務めた名刹である。
 本尊の十一面観世音菩薩立像は5・4メートルの巨像で金箔貼りの長谷式観音。毎月21日と春、秋の彼岸法要の際にのみ参拝が可能。
 室町時代作の木彫りの涅槃像は大変珍しく、現在は奈良国立博物館に所蔵されている。
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2007/2/13


会津彼岸獅子 Aizu-higan-jishi The Spring Equinox in Aizu

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 彼岸獅子の笛の音が春の彼岸になると街の一郭から流れてくる。
 この笛の調は会津の人々にとって「雪にとざされた長い冬の生活から、もうすぐ解放される日の近い」ことを知らせる快い調べである。
 彼岸獅子の獅子は、獅子頭を一人でかぶる一人立ち獅子で、男獅子二匹、女獅子1匹の三匹で舞う風流の獅子で東日本に広く分布している。
 一般には会津藩祖の保科正之が寛永二十(1674) 年に出羽国最上から会津に移られたとき、獅子舞を先頭に入城した説、また、入城した際に長旅で疲れている藩士の士気を鼓舞するために獅子を舞わさせたという説がある。。
 毎年春の彼岸3月18日から24日の7日間、新仏の供養を主眼に演じられ、この舞を演じるために、正月になると世話人宅で毎晩練習をつむ。
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2007/1/12


江戸簾 Edosudare Edo Sudare Blinds

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 江戸簾(すだれ)は、竹などの天然素材を生かしたところが特色の伝統工芸品である。
 簾は平安時代、宮廷で用いられていたことが「枕草子」から知られている。主な技術は江戸時代前期に確立したと言われ、専門の御簾師もいたという。
 浮世絵の代表的絵師、喜多川歌麿(1753〜1806)の作品である「百科園涼み」「簾ごし美人図」「風俗三段娘」などにもしばしば登場しており、江戸時代には日常的に使用されていた。
 江戸簾の特色は、竹、萩、御業、蒲、よし、などの天然素材の味わいをそのまま生かしているところにある。最も多く利用されている竹は、肉質が固くしまっていて色艶が良い秋の彼岸から春の彼岸までの間に採取する。
 江戸簾は、現代でも粋な室内装飾品として活用されており、夏の風情を彩る工芸品である。
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2006/12/20


武雄の荒踊り Takeono-araodori The Wild Dance of Takeono

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 佐賀県武雄市で毎年秋の彼岸ごろに行われる「武雄の荒踊り」。色鮮やかな衣装に刀を差した男性の踊り手たちが勇壮にそして厳かに踊る舞浮立(まいふりゅう)のひとつである。
 起源には諸説あり、室町時代の享禄三年(1530)年、武雄領主後藤純明が、攻めてきた島原の有馬氏を破った際、戦勝を祝って兵士たちが即興で踊ったのが始まりというのが有力だ。他に、領主が平家の落人を住まわせ、雨ごい祈願に奉納したのがきっかけという説もある。
 武雄市の中野、宇土手、高瀬地区などに伝わり、三地区の踊りには、所作に違いが見られる。中野地区のものは動作の滑らかさ、手の振りに特徴があり、高瀬・宇土手地区のものは力強く、武道の型を思わせる。力強く軽快な所作や情緒的な歌詞など、伝承芸能としても貴重で、国指定の重要無形民俗文化財になっている。
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天衝舞浮立 Tenshomai-furyu Tensho-dance Furyu

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 佐賀県富士町では市川・杉山・鎌原・古湯・須田の5地区に「浮立(ふりゅう)」という舞が伝承されている。中でも市川地区の「天衝舞浮立」は、県の重要無形民俗文化財の指定を受けている。大きな日月をかたどった冠、「天衝」を頭上に載せて舞う、ゆるやかで奥ゆかしい所作が特徴だ。
 天衝舞浮立は、五穀豊穣を神に感謝し、収穫を祝い、天下泰平を祈願する神前奉納の神事.。若宮神社にて毎年彼岸の日に行われる。笛や太鼓などの賑やかな鳴物とともに勇壮な棒使い、ユーモラスな奴踊やニワカの演目が行われ、その後本番の「天衝舞」という独特な舞を奉納する。そして「道行きの曲」で退場し終焉となる。
 天衝舞浮立は、昭和55年、町重要無形民俗文化財に指定された。
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柴又帝釈天 Shibamata-taishakuten Shibamata Taishakuten Temple

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 東京都葛飾区にある日蓮宗の寺。正式には経栄山題経寺と呼ぶ。
 江戸初期に開創された。のちに帝釈天が信仰を集めるようになり、柴又帝釈天の名が有名になる。
 9世住職亨貞院日敬が、宗祖日蓮が自ら刻んだといわれる帝釈天の板本尊が行方不明であったのを、この寺で見つけた。
 天明の大飢饉の時、日敬は苦しむ人々の助けとなるべく板本尊を背負い、江戸の町を歩いたことから、
帝釈天の信仰が広まった。
 帝釈堂の内外には、たくさんの木像が彫られている。胴羽目彫刻と呼ばれる十枚の作品は法華経の説話から選び出され彫られたもので、大正末期から数十年の歳月をかけ完成された大作である。
 近代以降、夏目漱石の「彼岸過迄」他多くの文芸作品に登場する。
また、映画「男はつらいよ」が放映されるころには、寅さんこと車虎次郎ゆかりの地として知られていくようになった。
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