NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


江戸切子 Edokiriko Edo Kiriko

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 江戸切子(えどきりこ)は、江戸末期にはじまるガラス細工(カットグラス)工芸品である。
 天保5(1834)年、ビードロ屋の加賀屋久兵衛が、江戸大伝馬町で金剛砂を用いてガラスを彫刻し、切子細工の法を工夫したのが始まりと伝えられる。
 江戸末期に生産された江戸切子は、手作業による手摺り工程によって透明な鉛ガラス(クリスタルガラス)に細工を施して制作されたものと考えられている。文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など、着物にも見られる身近な文様の繊細な切子であった。
 現在は、色被せガラスを素材に用いたものが好まれ、多く生産されている。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴である。
 2002年、経済産業省伝統的工芸品に認定される。
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2007/5/11


上神焼 Kazuwayaki Kazuwa Ware

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 鳥取県倉吉市を代表する焼物に、「上神焼(かずわやき)」がある。鳥取県指定郷土工芸品である。宝暦年間(1750年頃)に開窯されたといわれる。
 倉吉の地の土は鉄分が多く、焼くと黒っぽくなるのが特徴。そして元来、上神焼の代表的な釉薬は独特の深みのある赤い色である。黒の地に赤の釉薬。焼きあがった上神焼は、えんじ色に似た落ち着いた赤で、食器としても花器としても使う人を温かく包んでくれるような、ぬくもりのある色だ。
 最近では、赤以外にも白地にブルーと緑のコンビで涼しげな食器や、釉薬の色を生かした紫の味わいのあるもの等、新鮮な作風の作品も作られるようになった。
 大地や空をガラスの中に閉じ込めたような、こっくりとした存在感のある器たちである。
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2007/2/8


銅水瓶 Dou-suibyou 

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 全国で重要文化財工芸品として指定されている水瓶。
 愛知県実相寺、滋賀県宝厳寺、奈良県東大寺、広島県尾道市などで保存されている。
 愛媛県上町、実相寺の銅水瓶は、鎌倉時代から南北朝時代に作られたものとされている。
 水瓶はもともとは僧侶が仏道修行に必要とする用具のひとつであった。その後供養具として仏前の献水に用いられるようになった。
 実相寺の水瓶の特徴は、朝顔形の口、細くくびれた頸、卵形の胴、基部に蓮華を飾った注口などで紐状の飾りを周囲に施されている。
 材質は「鋳銅製」で色は黒色である。
 全国にある水瓶の形は、微妙に違い、またそれによって用途も様々である。
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2007/2/1


大堀相馬焼 Oobori-souma-yaki Obori-soma Ware

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 大堀相馬焼は、福島県浪江町大堀にて焼かれる陶器である。
 1690年、相馬藩藩士・半谷休閑の下僕、左馬によって創始されたと言われている。
 相馬藩が焼き物作りを保護、育成したため、江戸時代末期には100軒近い窯元があり、大衆向けの民窯として親しまれた。
 しかし、明治時代以降は少しずつ数が減り、現在では24軒の窯元が300年の伝統を守る陶器を作り続けている。江戸の昔から庶民の焼き物として親しまれてきた陶器である。
 大堀相馬焼では、青ひびと呼ばれる、青磁釉を使ったひび割れ模様の入った陶器を主に作製している。ほかに、二重焼、走り駒などが特徴である。
 昭和五十五(1978)年、国の伝統的工芸品に指定される。
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2007/1/29


大澤光民(人間国宝) Oosawa Komin Osawa (Living National Treasure)

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 昭和16年、銅器産業の地、富山県高岡市に生まれる。平成17年、「鋳金(ちゅうきん)」の重要無形文化財として認定された。
 鋳金は金属を溶かして鋳型に注入し、器物を鋳造する金工技術。弥生時代以来の長い歴史を持ち、鋳型の造形法により惣型(そうがた)、蝋型(ろうがた)、砂型(すながた)、焼型(やきがた)などに分類できる。
 焼型鋳造は複雑な造形作品や大型の銅像などを鋳造できるが、すべての工程に経験と高度な技術が求められる。
 氏は、焼型鋳造に精通し、新たに独自の「鋳ぐるみ技法」という、器の表面に模様を表す技法を研究、独自の作風を確立してきた。以来、線と点などからなる幾何学模様の美を追求している。ひとつの作品を作るだけでも作業が深夜におよぶ日もしばしばだが、「本当に一生懸命やっていると、ふっと新しいことが頭に浮かぶものだよ」と語る氏の笑顔は清清しい。
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齋藤明(人間国宝) Saitou Akira Akira Saito (Living National Treasure)

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 大正九(1920)年生まれ。
 平成五(1993)年、重要無形文化財「鋳金(ちゅうきん)」の保持者(人間国宝)に認定される。
 鋳金(ちゅうきん)は、金属が高温で熔けるという性質を利用した技法で、熔かした金属を、鋳型(いがた)に流し込んで冷却し、固まったのち型から取り出して仕上げる。
 師でもあった父(鋳金師齋藤鏡明氏)を10代で亡くし、家族を養うために鋳金工房を継ぎ、実務を積みながら手さぐりで修行を重ねる。戦争で全てを喪失し、一からの出発の中で恩師と出会い、さらに技に磨きをかけた。
「簡素でいて堂々とした、宇宙のような広がりを感じさせる作品を創りたい。」2種類の金属を使った「吹き分け」という技法で独自の境地を開いた。八十代のいまもなお現役として。力強く迫力ある作品を造りつづけている。
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2007/1/25


四日市萬古焼 Yokakaichi-banko-yaki Yokkaichi Banko Ware

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 四日市萬古焼(よっかいちばんこやき)は、三重県四日市市で焼かれる伝統工芸品である。
 江戸時代中期、茶の湯と陶器が趣味の大商人・沼波弄山が、自作が永遠に残るよう願い「萬古不易(ばんこふえき)」の印を押したのが、萬古焼の名の由来である。
 萬古焼は、弄山の死とともに一時中断したが、江戸時代後期になって再び焼かれるようになった。現代の四日市萬古焼は、その時の技法を研究して明治時代の初めに焼かれた物が元になっている。
 四日市萬古焼は、各時代の流れに沿った特色ある陶磁器を生産し続けている。土鍋は全国の7割を生産、また急須でも名高い。
 四日市萬古焼は四日市の代表的な地場産業であり、庶民の暮らしと密接に結びつく工芸品である。
 1979年、伝統工芸品の指定を受ける。
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