NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


宮地手漉和紙 Miyaji-tesuki-washi 

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 熊本県八代市(やつしろし)では、江戸時代から伝わる「宮地手漉和紙(みやじてすきわし)」がつくられている。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の戦いの後、柳川藩主の立花宗茂(たちばなむねしげ)が、肥後藩主の加藤清正に預けられた。その際、柳川藩の御用紙漉きであった矢壁新左衛門(やかべしんえもん)が、加藤家の申し付けにより紙漉きを始め、以来、八代の宮地地区に流れる中宮川で和紙づくりが盛んにおこなわれるようになった。
 その後、檀紙(だんし)や奉書紙(ほうしょがみ)などの装飾紙から、障子紙などの日用紙まで様々な種類の和紙がつくられた。加藤家、細川家、松井家と受け継がれ、御用紙としても重宝され、最盛期では百軒近くの紙漉きが和紙づくりに励んでいた。
 現在でも、大きな鍋釜で煮た楮(こうぞ)と、トロロアオイを原料として、流し漉き法で紙漉きの技術が受け継がれている。
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2007/12/10


柳川城(舞鶴城) Yanagawa-jou(maitsuru-jou) 

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 柳川城(やながわじょう)は、福岡県柳川市本城町にあった城である。城の輪郭が翼を広げた鶴を連想させたるので、舞鶴城(まいづるじょう)とも言われる。本丸は国の史跡に指定されている。
 文亀年間(1501~1504)に、蒲池治久(かまちはるひさ)によって築城され、後に蒲池鑑盛(あきもり)により大改築しされてからは九州随一の難攻不落な堅城となり、蒲池氏嫡流(ちゃくりゅう)・下蒲池氏の本城となった。
 蒲池氏が滅亡してからは鍋島氏、立花氏、田中氏が居城としたが、元和六(1620)年、立花宗茂(たちばなむねしげ)が入場して以後は、明治まで柳川藩主・立花氏の居城となった。
 城郭は明治五(1872)年の火災で櫓一基、土蔵、厩、3城門を残して焼失し、遺構は天守台、石垣、堀が柳川城跡として残る。
 迎賓館「西洋館」と、それに続く庭園・松濤園(しょうとうえん)が現存している。
 柳川城は、長い戦国時代を生き延びた、天下の堅城跡である。
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2007/11/27


柳川まり Yanagawa-mari Yanagawa Handballs

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 柳川まりは、福岡県柳川市にて造られている伝統的な鞠である。福岡県指定特産民芸品とされる。
 柳川地方のひな壇には、初節句に女子に贈られた「さげもん」と呼ばれる独特の風習がある。
 縁起のよい鶴などの手作りの縫いぐるみと、鮮やかな七色の糸で巻いた大まりを下げ輪の中央に、小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪に吊り下げたものの事である。
 この「さげもん」に使われる鞠こそが、柳川まりである。
 丸くした木綿の上に綿をかぶせ、しつけ糸で形を整え、その上の草木染めした木綿糸や現代的色調のリリアンを巻いて作りあげる。
 旧柳川藩主の立花邸の腰元たちが作っていたのが町家に広まったと言われている。
 柳川まりは、城下町としての手まり文化を今に残す、貴重な伝統民芸品である。
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