NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/10


鏡蓋根付 Kagamibuta-netsuke 

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 鏡蓋根付(かがみぶたねつけ)とは、根付のうち、蓋と皿を組み合わせて作られたものをいう。蓋はほとんどが金属製で円盤状になっており、浮き彫りなどの彫刻が施されている。皿の部分は象牙や堅い木が使われている。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 江戸時代初期は実用性を重視した簡素なものが多く、時代と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外から高い評価を得て輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、海外での評価が高い。
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2008/3/5


ワラ白蓮紋様七寸皿 Warabyakuren-monyo nanasun-zara Wara White Lotus Serving Plate

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 日本料理の美しさは、世界でも定評がある。それは料理そのものだけでなく、器の選び方に寄るところも大きい。ちょっとした家庭料理でも、風情のある器に料理を盛ると、がぜんおいしそうに見えてくるものである。器ごとに違う微妙な色と形は、自然のあり方をそのまま生活に溶け込ませる日本特有の美学。
 きちんと整形された美しさの対極にある。この「ワラ白蓮紋様7寸皿」も、手作りのため、ひとつひとつ形と色が微妙に違う。蓮の葉の模様が彫りこまれたシンプルな皿は、過分な主張がなく料理が栄える。七寸というのは、直径20・5センチメートル。どんな料理にも使いやすい大きさだ。
 小さな工房で生み出された、この世にひとつだけの器との一期一会。そんな出会いも、人生の彩りとなる。
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月のお皿 Tsukino-osara Moon Plate

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 かつて日本には、満ち欠けによって形を変える月を描写する多くの言葉があった。新月、繊月(さんげつ)、三日月、上弦の月、下弦の月、小望月(こもちづき)、立待月(たちまちづき)、寝待月(ねまちづき)、有明月などの呼び名は、どれも風情にあふれている。
 柴田睦子作「月のお皿」は、金色の飛沫模様が美しい平らな皿だ。デザインはシンプルにして、その姿は威風堂々。静かさの中に強さがある。乗せる料理や季節の食材によって、皿と料理のふたつの表情が豊かに変わる様を味わえるのは、日常の贅沢。
 料理をあしらっておぼろ月夜に見立てるもよし、金の飛沫に月光のしずくを感じるもよし。客人のもてなしはもちろんのこと、ふだんづかいの皿としても役立つ一品である。
 
サイズ:(センチ)
(大)横27×奥27×高2・5
(小)横15×奥15×高2
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2007/11/20


香炉 Kouro 

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 香炉(こうろ)とは、香を焚き、楽しむための器であり、上面、または側面に大きく開口した筒、椀、箱、皿状の容器である。
 インドに起源をもつ香炉は、中国・朝鮮を経て、仏教の伝来後、間もない時代に日本にも渡来したとされている。
 香炉は、金属・陶磁器などで作られており、インドでは臭気を消すために利用されていたが、日本に伝わってからは、仏具として多く使われるようになった。
 焼香は人間の悩みを乗り越えて精進する事を意味し、また、塗香(ずこう)という、香りを身体にあてて清める方法があり、これを持戒として正しい生活を送る事を、仏道では釈迦が諭している。
 仏具としてだけでなく、工芸品としての香炉も存在し、居間や寝室でも香の香りを楽しめる。
 香炉は、香を焚くための仏具であり、伝統的な工芸品道具である。
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2007/7/25


色鍋島 Iro-nabeshima Iro-Nabeshima (Colored Nabeshima Ceramics)

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 色鍋島(いろなべしま)は、有田焼のひとつの色絵磁器である。
 花鳥風月をモチーフに、繊細で緻密な色絵を施す色鍋島は、格調高く洗練された意匠が特徴。現在では、有田の名窯・今右衛門がその伝統と技術を継承している。
 文禄・慶長の役の際中国より連れ帰った陶工団により、日本で初めての磁器が有田で焼かれた。その後寛永年間の1640年代に中国より色絵の技術が伝わり、有田の初代今右衛門が色絵付けの磁器を作っていたとされる。その後、今右衛門は鍋島藩の藩窯となり、献上品や贈答品用の色絵磁器の仕事を担うことになる。これが色鍋島のルーツとされる。
 十代今右衛門が明治六(1874)年頃から本格的に色鍋島に取り組み、優れた赤絵の技法の確立に成功した。十三代今右衛門は現代の角度からの色鍋島に意欲を燃やし、平成元年には色絵磁器で人間国宝に認定された。
 現在も、十四代今右衛門が代々伝わる色鍋島の技を継承しながら、現代的な試みに励んでいるという。
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白磁 Hakuji Hakuji White Porcelain

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 白磁(はくじ)とは、白い胎土(たいど)に透明の釉薬をかけ、高温で焼き上げたものを指す。これに対して、少量の鉄分を含んだ釉薬をかけて作る陶器を青白磁(せいはくじ)と言う。
 白磁は、6世紀後半の中国・北斉の時代に生まれた。唐の時代に白磁が青磁をしのぐ流行を見せ、10世紀には庶民の間に広まり、生活感を持ちながら洗練されていったという。
 日本の白磁は、中国や李朝白磁の影響を受けて発達。江戸時代に日本で初めての白磁・伊万里焼が誕生した。無地の白磁ではなく、色絵のカンバスにされることが主だったという。明治以降には宋白磁や李朝に憧れた作陶家たちの手で、白磁の技法が発達、普及していくことになる。
 上質な土でも、鉄粉などが出やすいという点などから真っ白に焼き上げることは大変難しい。そのため、有名な柿右衛門窯でも、鉄粉が全くない白磁は、赤絵の付いたものよりはるかに高価で希少なのだとか。
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2007/7/23


小鹿田焼民陶祭 Onta-yaki-mintousai Onta Folk Pottery Festival

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 小鹿田焼民陶祭(おんたやきみんとうさい)は、大分県日田市源栄町にて毎年10月第2土曜日・日曜日に行われる祭りである。
 宝永二(1705)年、小鹿田焼は開窯したと伝えられる。今もなお、昔ながらの技法を受け継ぐ美しい焼きもので、国重要無形文化財とされている。
 小鹿田焼民陶祭は、小鹿田焼の振興と道祖先達、日頃小鹿田焼を愛好してくれている人々に感謝の思いを込めて行われる祭りである。
 10軒の窯元が、窯から出した大小の皿や湯飲み、花瓶など庭に並べて展示即売し、小野民芸村「ことといの里」でも各窯元の作品の一部が展示される。
 小鹿田焼を市価よりも安く提供しているため、いつもは唐臼の音が響くのどかな里も、この日はたくさんの人出で賑わう。
 小鹿田焼民陶祭は、実用の美を持つ素朴な小鹿田焼を楽しめる、陶芸祭である。
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2006/12/15


志田焼 Shidayaki Shida ware

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 志田焼とは、肥前の国鍋島藩、本藩領の東山と支藩蓮池領の西山、いわゆる有田大外山の二つの窒場で焼かれたものを云う。現在の佐賀県藤津郡塩田町。
 初期は、陶器のみの焼成であったが、18世紀の半ば頃から天草陶石による、磁器の焼成が開始された。生産された種類は染付皿と呼ばれるものが中心で、その特徴は「藍色」を主とした濃淡を使って風景、人物、自然などあらゆるものが表現された。
 大正時代からは、志田陶磁器株式会社によって建てられた工場が有名で、刷毛目陶器や染付の磁器など多くを生産。志田焼の中心となった。昭和59年(1984)に工場は閉鎖。
 現在は志田焼の里博物館として当時の建物のまま保存されている。歴史的施設とし高く評価されている。また志田焼資料館では、安藤広重の版画、「東海道五十三次」の作品を、辻一堂が45センチの大皿に描きあげた55枚の絵皿を展示。即売会やろくろの絵付け陶芸体験などもできる。
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