水口城 Minakuchi-jou
|
滋賀県の「水口城(みなくちじょう)」は、平安の昔から栄えていた甲賀の地を支配の拠点とする為、天正一三(1585)に羽柴秀吉の命により中村一氏が水口大岡山に城を築いたのがはじまりとされる。
徳川家康が駿河に移った天正一八(1590)年に増田長盛が、文禄四(1595)年には長束正家へと城主は移り替わるが、その中でも正家は豊臣家の財政を司っていた重要人物であったため、関ヶ原合戦の際に城は攻められ落城してしまう。
徳川家の直轄地となった水口城は、平城でほぼ正方形の石垣、水堀に囲まれた本丸と東方に東西二〇間、南北一六間の出丸があり、外枡形の様になっていた。本丸は将軍家宿館としての性格をよく表しており、規模の大きい建物で構成され、公的空間と私的空間の二つに分けられていた。御座所も設けられ、これに面した庭園には「御亭」と呼ばれる二階建て望楼風の建物が建つなど、京都二条城を小さくしたような建造物になったという。
徳川家康が駿河に移った天正一八(1590)年に増田長盛が、文禄四(1595)年には長束正家へと城主は移り替わるが、その中でも正家は豊臣家の財政を司っていた重要人物であったため、関ヶ原合戦の際に城は攻められ落城してしまう。
徳川家の直轄地となった水口城は、平城でほぼ正方形の石垣、水堀に囲まれた本丸と東方に東西二〇間、南北一六間の出丸があり、外枡形の様になっていた。本丸は将軍家宿館としての性格をよく表しており、規模の大きい建物で構成され、公的空間と私的空間の二つに分けられていた。御座所も設けられ、これに面した庭園には「御亭」と呼ばれる二階建て望楼風の建物が建つなど、京都二条城を小さくしたような建造物になったという。
- 住所
- 528-0005 滋賀県甲賀市水口町水口
- 名前
- 水口城