NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/11


一越縮緬 Hitokoshi-chirimen 

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 一越縮緬(ひとこしちりめん)とは、日本に伝わる織物のひとつである。
 縮緬は、京都府丹後地方や滋賀県長浜地方で生産される白生地で、多くの着物が、この白生地に染色を施して着物に染め上げられる。
 蚕(かいこ)の糸を精練し、18本から27本程度の糸に撚りをかけながら一本の糸にする。
 「越」は緯糸の数を表す単位で、右撚り一本、左撚り一本と交互に織られるところから、一越縮緬と呼ばれている。
 耐久力があるので何度でも染め直しがきき、しぼが小さく薄手だが、しっかりした地風で表面が比較的なめらかなのが特徴とされる。
 縮緬のもっとも代表的なもので、小紋から留袖まで使用範囲は広く、着尺・帯・半襟などに用いられている。
 一越縮緬は、染め用の下生地として現在一番広く用いられている絹織物である。
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二越縮緬 Futakoshi-chirimen Futakoshi Chirimen Crepe

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 二越縮緬(ふたこしちりめん)とは、古代縮緬ともいわれる日本に伝わる織物のひとつである。
 縮緬は、京都府丹後地方や滋賀県長浜地方で生産される白生地で、多くの着物が、この白生地に染色を施して着物に染め上げられる。
 蚕(かいこ)の糸を精練し、18本から27本程度の糸に撚りをかけながら一本の糸にする。
 「越」は緯糸の数を表す単位で、右撚り一本、左撚り一本と交互に織られるものが一越縮緬と呼ばれ、2本ずつ打ち込んだものが二越縮緬と呼ばれている。一越より二越のほうが皺(しぼ)が大きく深くなる。
 江戸時代から明治時代に織られた縮緬は、この二越縮緬だった。しかし、明治後半を境に姿を消し、今ではほとんど生産されていない。
 ふんわりとした空気を含み、風合いが良く、薄くて伸縮性があり、縮緬らしい絹織物である。
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三越縮緬 Mikoshi-chirimen 

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 三越縮緬(みこしちりめん)とは、日本に伝わる織物のひとつである。
 縮緬は、京都府丹後地方や滋賀県長浜地方で生産される白生地で、多くの着物が、この白生地に染色を施して着物に染め上げられる。
 蚕(かいこ)の糸を精練し、18本から27本程度の糸に撚りをかけながら一本の糸にする。
 右より一本、左より一本と交互に織られるものが一越縮緬と呼ばれ、元に戻ろうとする縮みがあり、色の深みを出す効果がある。
 三越縮緬は、その一越縮緬の収縮性を改良したもので、右より一本と左より一本との間に、弱撚糸と呼ばれる撚りの弱い糸を織り込む事で、撚りが元に戻ろうとする力を吸収し、収縮率を緩和する。
 三越縮緬は、表面が滑らかで縮みにくく、高級な手描友禅や江戸小紋などに好んで使われる、伝統の織物である。
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2008/3/18


縮緬 Chirimen 

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 縮緬(ちりめん)は絹織物の一種で、その技法は江戸時代の初め、明の織工が堺にもたらし、当時は西陣を中心に織られていた。
 強い撚りをかけた緯糸に撚りのない経糸を使う。右撚りと左撚りのものを交互に織ることで、細かいしぼ、小さな縮みを出す。その空気を含んだ「しぼ」が光を反射し、そのしなやかな手触りと美しい微妙な光沢がこの絹織物の魅力になっている。
 友禅染は主にこの縮緬の絹に絵柄を染めるもので、江戸時代には縮緬の着物は広く普及し、日本人の普段の衣服が洋服に代わるまで日本の代表的絹織物であった。また、江戸時代後半には、着物だけでなく、裕福な階層の女性たちの趣味として「ちりめん細工」も広がっていき、今や芸術的工芸品として世界からも評価されている。
 いまでこそ、縮緬の着物は少なくなったが、反対にちりめん細工は京都を中心に新しい芸術として広がりを見せている。
 ちなみにちりめんじゃこは細かなしわをもつちりめんを広げたようにみえることからこの名がつけられたという。
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2007/11/8


本塩沢 Honshiozawa 

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 「本塩沢(ほんしおざわ)」は、塩沢紬とともに新潟県塩沢地方の代表的な織物で知られる。
 本塩沢の製造が始まったのは江戸時代中期といわれ、越後縮(えちごちぢみ)のように織物の表面に現れる凹凸、つまりシボのある麻織物の技術・技法を絹に生かした絹縮(きぬちぢみ)が原型だといわれている。
 本塩沢は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)共に生糸のお召し糸を使っており、「塩沢お召し(しおざわおめし)」の名で広く知られるようになった。お召し糸とは撚り(より)をかけたもので、経糸には一メートルあたり三五〇回、経糸には一八〇〇回の撚りを掛けたものをいう。この糸で織り上げたあと、水洗いをして糊や汚れを落とした生地を、ぬるま湯の中で何度も揉み出し、見事なシボの立った絹織物が誕生する。
 シボのある生地は着崩れせずに体に馴染み、それでいて適度な張りもある。涼やかな感触であるため単衣としての人気もあり、盛夏用の夏お召しも作られている。
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2007/10/9


十日町明石ちぢみ Tookamachi-akashi-chijimi Tokamachi Akashi Crepe

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 十日町明石ちぢみ(とおかまちあかしちぢみ)は、独特な清涼感を持つ優雅な夏着物の代表で、新潟県十日町固有の伝統として今に受け継がれている。19世紀終わり頃、京都西陣の夏用反物の見本に、もともとあった十日町透綾(とおかまちすきや)という織物の技術を応用して技法が確立された。明治二三(1890)年に「明石ちぢみ」と命名されてから後も、防水加工など様々な改良が加えられ、昭和初期には年間二〇万点の生産量を上げて一世を風靡した。
 材料には生糸、玉糸などの絹糸を用いる。糸を糊付けしてから強い撚りを加え、最後に湯もみと呼ばれる仕上げを行うため、他のちぢみとは違う蝉の羽のような独特の「しぼ」が作り出され、これが肌にべとつかない爽やかな風合いとなる。
 豪雪地帯で湿度が高く、年間を通して強い風が吹かない十日町の安定した気象条件と、研究熱心な職人たちが生み出した逸品と言える。
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2007/5/1


山岸良三 Yamagishi Ryouzou 

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 新潟県長岡市十日町の周辺に伝わる伝統工芸品「小千谷縮(おぢやちぢみ)」の伝統工芸士。
 昭和六三(1988)年、伝統工芸士に認定される。この地方では奈良時代には既に麻織物が作られ、朝廷への献上が行われていた。小千谷縮はこの伝統を受け継ぐ麻織物で、江戸時代に緯糸に強い撚りをかける技法が生まれ、生産が増加し、各地に広まった。
 氏は高校卒業後家業を継ぐが、80年代頃、織物の衰退を危惧し、全国の産地を回り、技術を伝え学び、後進の育成にも力を注いだ。
 現在も海外の絹に目を向け、新たな製品の開発を行うなど、小千谷縮と小千谷紬の将来を見据え、常に挑戦をし続ける職人である。
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2007/1/10


丹後ちりめん Tangochirimen Tango Crepe

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 丹後ちりめんとは、京都府北部の丹後半島の一帯をさす地方で生産された「シボ」を特徴とする優れた白生地だ。
 「シボ」とは、1メートルあたり、三千回前後の強い撚り(より)をかけたヨコ糸(緯糸)で織り上げ、精練することによって糸が収縮し、撚りがもどり、そのときできるよじれを利用してつくるもの。丹後ちりめんは、このシボが命。シボにより、絹の持つ光沢をやわらかく抑え、光にふくらみを持たせ、しなやかな感触としっとりとした風合いを引き出し、美しく色鮮やかな発色性に優れた白生地ができるのである。
 使用する絹のグレードの高さと、通常の数倍〜約30倍ほどの大量の絹糸を使用すること、撚糸技術が群を抜いて高度であるということから、丹後ちりめんは織物の中でも高級品として知られ、全国の本物志向の人々に愛されている。
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