NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


高岡漆器 Takaoka-shikki Takaoka Lacquerware

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 富山県高岡市に約四世紀の歴史を持つ「高岡漆器」。歴史の中で育まれた知恵と技の結晶は、様々なかたちで私たちの暮らしに息づいている。
 起こりは江戸時代初期。加賀二百万石の藩主前田利長が、現富山県高岡市に高岡城を築いた際、武具や箪笥、膳など日常生活品を作らせたのがはじまりだという。その後、中国から堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)などの技法が伝えられ、多彩な技術が発展した。こうして風景や人物、模様などを錆絵(さびえ)で描き、これに青貝とろう石を交えた「勇介塗り」などが生み出されたのである。また、明治中期に創案された色漆を使って立体感を出してゆく「彫刻塗り」は鎌倉時代の格調を持つ技法として独自の味わいを持つ。他産地に類を見ない多彩な技法は昭和50年に、国の伝統的工芸品の指定を受けた。
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2007/2/16


和傘 Wagasa Wagasa (Japanese Umbrellas)

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 東洋にて傘は、貴人に差しかける天蓋として古代中国で発明され、その後、飛鳥時代の552年に仏教の儀式用の道具として、百済(朝鮮半島)を経由して日本に伝来した。
 「きぬがさ」と呼ばれ、大陸から伝来した為、「からかさ」とも呼ばれた。時代とともに改良され、竹を材料にして軸と骨を製作し、傘布に渋柿、亜麻仁油、キリ油等を塗って防水加工した油紙を使用した物になった。ただし防水性には大変優れているが、耐久性がなく、重いという欠点がある。
 和傘には番傘と蛇の目傘などの種類があり、蛇の目傘は、傘の中央部とフチに青い紙、その中間に白い紙を張って、開いた傘を上から見た際に蛇の目模様となる様にした物で、外側の輪を黒く塗ったり、渋を塗るなどのバリエーションがある。現在は岐阜市加納でつくられる「加納の和傘」が、全国で唯一本格的な生産を誇っている。
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2007/2/1


会津漆器 Aizusikki Aizu Lacquerware

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 会津漆器は、福島県会津若松市にて焼かれる伝統工芸品である。
 天正十七(1590)年、会津領主となった蒲生氏郷が、日野から木地師や塗師を呼び寄せ、産業として奨励した。
 これによって会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ、漆の栽培から加飾までを一貫して手がける一大産地となっていった。
 江戸時代には中国、オランダなどへも輸出され、隆盛を迎える。
 幕末の戊辰戦争において大打撃を受けたが、明治の中期には日本有数の漆器産地として復活した。
 錆絵(さびえ)を使った渋い鉄錆塗、米のもみ殻で模様を出す金虫くい塗、木目の美しい木地呂塗と、多彩な塗り技法が特徴である。
 会津漆器は、日本人好みの縁起の良い図案や、多彩な加飾が楽しめる、400年という時を超えて生き抜いた伝統の工芸品である。
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2007/1/30


三輪壽雪(人間国宝) Miwa Jusetsu Jusetsu Miwa (Living National Treasure)

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 三輪壽雪(みわじゅせつ)氏は、明治四十三(1910)年に山口県萩市に生まれる。昭和五十八(1983)年に萩焼きで重要無形文化財保持者(人間国宝)となった。
 中学卒業後、兄・十代休雪に師事し、萩焼を代表する窯のひとつ「三輪窯」の家業に励む。昭和四十二(1967)年に、十一代休雪を襲名した。兄に続き人間国宝に認定された後、自ら「壽雪(じゅせつ)」に改名し、九六歳の今なお現役の陶芸家として活躍している。
 兄・休雪が探求し、萩焼に新境地をもたらした「休雪白」・純白の藁灰釉を引き継ぎ、自身の作陶に展開させて確立してきた。萩焼四〇〇年の伝統を継承しながらも古典の真似に終わることなく、茶陶という分野に独創性あふれる豪快な作風で新たな境地を切り開いた壽雪芸術。独自の世界観に、ファンも多い。
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井上萬二(人間国宝) Inoue Manji Manji Inoue (Living National Treasure)

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 昭和四(1929)年佐賀県有田町生まれ。平成七(1995)年、重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定される。
 昭和二十(1945)年ごろ14代酒井田柿右衛門、奥川忠右衛門らに師事、白磁制作の技法を習得する。昭和三十三(1958)年から県立有田窯業試験場に勤めながら磁器の成形、釉薬(ゆうやく)の研究を重ね、伝統的な白磁制作技法を極めた。
 磁器、とくに白磁の世界には造形の完全さが求められる。一切の加飾に頼らず、「かたち」そのもので端正さ、温かさ、風格を表現するのだ。小手先の技術やごまかしなどは一蹴されるほどの難しさがある白磁。「形そのものが文様」と語る井上氏は、白磁の真髄を追求し、ろくろ成形名手として研鑽を摘んできた。「名器に雑念はない。あるのは技術と感覚だけ」と氏は今もひたすらろくろの前に座り、一点のゆがみも許さない。
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田島比呂子(人間国宝) Tajima Hiroshi Hiroshi Tajima (Human National Treasure)

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 大正十一(1922)年生まれ。本名、田島博。平成十一(1999)年、重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)に認定される。
 尋常高等小学校卒業と同時に、高村樵耕、高村柳治に師事し下絵を学んだ後、独学で友禅染の技術を習得した。三二歳で独立後は日本伝統工芸展を中心に作品を発表、研究会では友禅の人間国宝中村勝馬の指導を受けるなど、高度な友禅染技術を会得した。
 伝統的な友禅の技法を踏まえながら、様々な技術の研究を重ね、「堰出し(せきだし)友禅」で独自の境地を開いた。「堰出し友禅」は、柄がくっきりと立体的に浮かび上がってくるが、それにうたせ糊などの技法で色彩に深さと味わいを持たせているのを特徴とする。野鳥や鶴、鷲、鴎(かもめ)などの鳥、野の花などの自然を題材として多く取り上げ、詩情豊かで芸術的な作品に仕上げている。
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甲田綏郎(人間国宝) Kouda Yoshio Yoshio Koda (Living National Treasure)

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 昭和四(1929)年生まれ。精好仙台平(せいごうせんだいひら)で、国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されている。
 精好仙台平は、高級な絹袴地で、上質な生糸を藁灰(わらはい)で練り、植物染料を用いて手織機により二度打ちしてできる、独特の風合いを持つ織物だ。
 甲田綏郎(よしお)氏は早くから父・甲田栄祐氏(昭和31年「精好仙台平」人間国宝認定)に師事し、伝統技法を習得した。
 父の栄祐氏が昭和四十(1965)年に亡くなった後も仙台市で、甲田綏郎氏が後継者としてその伝統を継承している。父の指導とあいまって、伝統技法を守るとともに独自の意匠の優れた織りを紡ぐことに専念。いまでは、全国でも唯一の現役の技術保持者だという。
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志村ふくみ(人間国宝) Shimura Fukumi Fukumi Shimura (Living National Treasure)

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 大正十三(1924)年、滋賀県近江八幡に生まれる。平成二(1990)年、重要無形文化財「紬(つむぎ)織」の保持者に認定。
 氏がはじめて母親より機織りを習ったのは十七歳のとき。30才の時織物の道を志し、離婚。独力で草木染の技法を学び、鮮烈な作品を次々と生み出した。
 氏の作品の魅力は、なんといっても自然界の草木から丹念に採取して絹糸に移し換えた、きわめて豊かな色彩のハーモニーにある。また、古くから伝わる縞や緋などの織り文様と、植物染料による染め糸を巧みに組み合わせることで、紬織りの着物を芸術作品にまで発展させた努力と功績は高く評価されている。
 歴史上の物語を主題とした織りも手がけており、とくに源氏物語はライフワークにもなっているという。物語の心のイメージを植物から得た色糸で優美に織り上げた紬が、平安の色と心象風景を奏でている。
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