NIPPON Kichi - 日本吉

記事数56件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/9/29


瞰望岩 Ganbou-iwa 

Jp

 瞰望岩(がんぼういわ)は、別名インガルシとも呼ばれ、アイヌ語で「見晴らしの良い所」を意味する。北海道遠軽町のシンボル的な存在となっている。町名である遠軽(えんがる)の由来もこの言葉からきているとされる。
 瞰望岩周辺の丘陵には広大な公園があり、春には山桜や芝桜が辺りをピンク色に染め、夏はヒマワリが咲き誇る。
 ひとたび高さ約80mの岩の頂上に登ると、360度見渡す限りの大パノラマが広がり素晴しい眺望がのぞむことができる。町のあらゆる所からその姿を望む事が出来る瞰望岩は、その昔アイヌの人々が集落同士で戦った古戦場としての悲しい伝説が残る場所でもある。
 北海道自然百選に指定されていて、頂上には開拓記念碑が建てられている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/30


槍ヶ岳 Yariga-dake 

Jp

 槍ヶ岳(やりがたけ)は北アルプス南部に位置し、標高は三一八〇m。日本では五番目に高い山である。
 天に矢を突いたような形が特徴的な槍ヶ岳は、日本のマッターホルンとも呼ばれ、三六〇度の大パノラマが多くの登山者を魅了する。難所は数々の歴史的なドラマを生み、小説の舞台にもなっている。
 東西南北に尾根を持ち、その間に四つの渓谷を持っている。氷河地形を残す渓谷は高山植物の宝庫となっており、夏には花が咲き乱れ、秋には紅葉に彩られる。
 古くは信仰の対象であった槍ヶ岳は、江戸後期の僧、播流隆上人(ばんりゅうしょうにん)が、文政一一(1828)年に初登頂し祠を安置した。その後も何難所に大綱や鉄鎖を掛けるために何度も登ったという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/25


佐敷城 Sashiki-jou 

Jp

 佐敷城(さしきじょう)は熊本県葦北郡の標高85メートルの丘に建てられていた山城である。
 南北朝時代、薩摩の名門篠原氏一族の佐敷氏による築城と伝えられている。後の天正九(1576)年にはこの地を攻略した島津義久の配下となったが、天正一五(1582)年には加藤清正の領地となり加藤重次が城主となった。しかし、江戸時代の元和元(1615)年の幕府の一国一城令により廃城。その後も佐敷城跡は要所として佐敷番代が置かれていた。
 現在城跡である山頂部分はきれいに整備され、当時のままの石垣が復元されている。山頂からは360度、パノラマ風に周囲の風景を見渡すことが出来る絶景の地でもある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/23


五竜岳 Goryuu-dake 

Jp

 立山連峰に対して黒部川東側に連なる北アルプスの山々を、後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)と呼ぶ。その後立山連峰のひとつが富山県と長野県に跨る五竜岳(ごりゅうだけ)である。日本百名山の一つで、五龍岳とも表記される。
 五竜の由来は定かではないが、一説によると、頂上付近に菱形の雪形が見られ、それが武田家の家紋「武田菱」につながり、「御菱(ごりょう)」が転じて「ごりゅう」になったと伝えられている。
 鹿島槍岳と並ぶ五竜岳は、八峰キレットと呼ばれる、難易度の非常に高いルートを挟むような形で並んでいる。八峰キレットは、細かい岩の大きな裂け目が深い断崖になっているが、鎖や梯子でかなり整備されているという。
 頂上付近の岩場に次ぐ岩場の険しい道を鎖を伝って登ると、ようやく大パノラマが一望できる頂上に到達する。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




剣岳 Tsurugi-dake 

Jp

 空を切り裂く剣のような鋭い岩峰をもつ剣岳(つるぎだけ)は、標高二九九九mの、北アルプスの山岳の中でも最も険しい山である。剣岳または剱岳と表記される。
 その名のとおり鋭い山容で明治時代まで前人未踏の山と思われていた。ところが山頂には祠があり、その付近からは奈良時代後半から平安時代初期にかけての修行僧が置いていったとされる錆びた鉾(ほこ)や錫杖(しゃくじょう)が発見されたという。古来より信仰の対象になっていたことを物語っている。
 人を寄せ付けない厳しい姿をしているが、一般の登山者でも登頂できる道が整備されている。それでも山頂付近は「カニのタテバイ・ヨコバイ」と呼ばれる、鋭い傾斜した岩がある。スリルと壮大なパノラマを目指す登山者達の憧れの山である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/20


鷲羽岳 Washiba-dake 

Jp

 山腹の残雪と岩の模様が、まるで鷲が羽ばたいているような姿に見えることや、羽を広げた鷲のような山容から名付けられたという鷲羽岳(わしばだけ)は、長野県と富山県の県境、北アルプスの最も奥にあり、黒部川へと最初の一滴の水が流れ出る山だという。
 山頂はやや狭く、大きな岩がゴロゴロとしている。その頂上から望む大パノラマはもちろん、八合目付近にある鷲羽池と呼ばれる、小さな火口湖に映し出される槍ヶ岳の姿など、その景色は登山者達を魅了してやまない。二日はかかるという険しい登山道も、特に夏季には多くの登山者で賑わうという。
 日本百名山のひとつにもなっている。小さなヒマワリのような可憐なウサギギク、青紫色が美しいミヤマリンドウやイワギキョウなど、高山植物も楽しむことが出来る。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/5


蓼科山 Tateshina-yama 

Jp

 蓼科山(たてしなやま)は、長野県茅野市~北佐久郡立科町にまたがる、標高2530mの山である。日本百名山のひとつとされる。
 八ヶ岳火山列の最北端に位置する独立峰であり、美しい曲線を描く姿から諏訪富士(すわふじ)とも呼ばれている。
 丸く突き出たその山容は美しく、初心者にも容易に登れる山として登山客が多く訪れる。
 山頂部は、直径100mほどの円形の中に岩石が累々と積み重なる溶岩丘になっており、視界をさえぎるものがなく、360度のパノラマが広がっている。
 古くから女ノ神山と呼ばれ、詩などに読まれ親しまれ、蓼科山から流れ出る水をたたえる女神湖は、蓼科牧場とともに山麓のオアシスとなっている。
 蓼科山は、高くて優雅な容貌を持つ名山である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/4


春日山城(鉢ヶ峯城) Kasugayama-jou(Hachigamine-jou) 

Jp

 標高一八〇mの鉢ヶ峯に日本海を見下ろすように築かれた春日山城(かすがやまじょう)。越後の戦国武将・上杉謙信の生誕の城である。鉢ヶ峯城(はちがみねじょう)とも呼ばれれるが、築城時期については定かではなく、南北朝時代に越後国守護・上杉氏が詰め城として築いたという説がある。
 永正年間(1504~1518年)には、上杉謙信の父である越後守護代・長尾為景(ながおためかげ)が居城し改修を施し、天文一七(1548)年に、家督を継いだ謙信が入城し、さらに大城郭へと改修を加えた。
 その後、上杉氏は会津へ国替えとなり、堀氏の代となったが、難攻不落の山城は政には不便であったため、現在の上越市港町に新たに築かれた福島城の完成と同時に春日山城は城としての役目を終えた。
 春日山城は石垣の代わりに、自然の起伏を活かした空堀や土塁を持ち、また天守閣の代わりに周囲の山々に砦を築いたという、非常にスケールの大きい城であった。山頂からの大パノラマと共に戦国ロマンを満喫できる城である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数56件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter