NIPPON Kichi - 日本吉

記事数10件: 1~8 件表示     >>     >|  

2007/6/6


寿都 鰊御殿 Suttsu Nishin-goten 

Jp

 北海道寿都郡寿都町にある鰊(にしん)御殿は、明治十二(1879)年に仕込屋である橋本与作が建てたと言われる建物である。釘を1本も使っていない見事な建築物である。
 一般的に鰊御殿は網元や漁師たちが寝泊りする建物を指すが、この建物は、ここの漁場で「仕込屋」として商売をしていた橋本家の居宅である。仕込屋とは、網元や漁師に金品を貸し、代金を数の子や身欠鰊、鰊粕などで返済してもらい、これを売る商売のことを指す。
 創業者の橋本与作は、自分の出身地・福井県の本家の庄屋宅を模し、全建材を集めるのに3年、建築に4年の歳月をかけたという。総工費は当時で7万円を要した。
 床下には防湿のために6百俵もの木炭を敷きつめ、窓は当時ギヤマンと呼ばれたガラスをオランダから取り寄せるなど、贅を尽くした造りになっている。鰊漁に沸いた当時の繁盛振りが偲ばれる建物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/7


フラフ Furafu Furafu

Jp En

 高知では、端午の節句に鯉のぼりや幟(のぼり)とともに「フラフ」と呼ばれる大旗を揚げて祝う。
 「フラフ」とは、旗の意味であるオランダ語の「VLAG(フラフ)」という呼び名が語源であるといわれる。
 フラフは全工程が手作りで作られ、大きさは大きい物で、縦約4メートル×横約7メートル、小さい物でも縦約2メートル×横約3メートルあり、実に豪快で美しい。
 絵は、おとぎ話の金太郎、桃太郎などの元気のよい男の子を描いたものや太閤秀吉や川中島の決戦などの勇ましい武者絵、七福神や宝船などのおめでたい図柄などがあり、いずれも、親や親族からの贈り物として活躍し、五月晴れの土佐路を豪快に賑わせている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/22


古賀人形 Koga-ningyou 

Jp

 長崎県に古くから伝わる「古賀人形」は、京都の伏見人形、仙台の堤人形と並んで日本の代表的な土人形のひとつである。どこか懐かしい、素朴で情緒豊かな作風が特徴である。
 はじまりは江戸時代。今から400年ほど前に、諸国を廻っていた京都の土師が古賀村(現古賀市)に立ち寄り、大村藩主の小川家に土器製作の技法を伝えた。その後文禄三(1592)年、京都伏見人形の流れを汲んだ土人形を作るようになったのがはじまりとされる。
 長崎は古くから、外国文化の影響を色濃く受けてきた街で古賀人形も、他の土地とは違い、オランダや唐などの外国文化を取り入れた独特のモチーフで作られてきた。
 色鮮やかで愛らしいこの古賀人形は今でも多くの人々を魅了し、全国から注文が殺到している。今では中里町藤棚在住の小川亨氏ただひとりで伝統の灯を守りつづけている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/5


長崎くんち Nagasaki-kunchi 

Jp

 長崎市内にある諏訪神社にて行われる祭礼行事であるが、県内外から多数の観光客が見物に訪れる長崎を代表する秋の大祭となっている。
 毎年10月7日から3日間、町を挙げて催され、国指定重要無形民俗文化財にも指定されている。
 龍踊(じゃおどり)、鯨の潮吹き、太鼓山(コッコデショ)、阿蘭陀万才(おらんだまんざい)など、ポルトガルやオランダ、中国などの影響を受けた南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな出し物(奉納踊)を特色とする。
 地元では「くんち」と呼ばれ「お」を付けないのが一般的。くんちには宮日、供日という字があてられることがあるが、その名称は旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来するという説が有力。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/23


大川総桐タンス Ookawa-soukiri-tansu Okawa Paulownia Chest

Jp En

 大川総桐タンスは、福岡県大川市にて作られる伝統家具である。
 大川市は、発祥から470年余りの歴史を誇る、日本一の家具生産地である。
 筑後川の下流である大川は、木材の集積地であった。室町時代、榎津久米之介が船大工の技術を生かして指物を始め、江戸後期には田ノ上嘉作が唐やオランダの技術を学び、大川家具の礎を築いた。
 総桐タンスは、木目の美しさ、防湿性のよさ、水をかけると燃えにくいなどの特性をもつ。
 更に大川産の桐タンスは、内部が泥棒よけのからくり仕掛けになっており、金具などにも独特の工夫を施している。
 桐板の中でも最上の柾目板を使ったこのタンスは、堅牢でどっしりした重量感が持ち味である。
 大川総桐タンスは、高級感あふれる伝統の逸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/21


博多どんたく Hakata-dontaku 

Jp

 博多どんたくは、福岡県福岡市にて毎年5月3日と4日に開催される祭りである。
 どんたくの語源はオランダ語で、休日という意味である。よく使われる「半ドン」も、半分ドンタクが省略された言葉である。
 筑前国続風土記によると「松ばやし」という祭りの始まりが、今から約800年前の治承3(1179)年であると記されている。
 どんたくの名称は、明治時代に一時禁止されていた松ばやしを復活させる際に使われた。
 現在では出場者約3万人、見物客約200万人で、ゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りといわれるようになった。
 博多どんたくの起源であり中核といえる博多松ばやしは、選択無形民俗文化財とされている。
 博多どんたくは、年に1度の無礼講であり、見るものに勇気を与えてくれる祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/1


会津漆器 Aizusikki Aizu Lacquerware

Jp En

 会津漆器は、福島県会津若松市にて焼かれる伝統工芸品である。
 天正十七(1590)年、会津領主となった蒲生氏郷が、日野から木地師や塗師を呼び寄せ、産業として奨励した。
 これによって会津塗の技術は飛躍的に進歩を遂げ、漆の栽培から加飾までを一貫して手がける一大産地となっていった。
 江戸時代には中国、オランダなどへも輸出され、隆盛を迎える。
 幕末の戊辰戦争において大打撃を受けたが、明治の中期には日本有数の漆器産地として復活した。
 錆絵(さびえ)を使った渋い鉄錆塗、米のもみ殻で模様を出す金虫くい塗、木目の美しい木地呂塗と、多彩な塗り技法が特徴である。
 会津漆器は、日本人好みの縁起の良い図案や、多彩な加飾が楽しめる、400年という時を超えて生き抜いた伝統の工芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/31


尾張七宝 Owari-shippou Owari Cloisonne

Jp En

 愛知県に伝わる伝統工芸品の焼物。
 尾張七宝は、1800年代に尾張国の梶常吉という人物が創始者といわれている。オランダから来航した船の荷物に「七宝皿」があり、それを研究。皿を破砕分析し七宝焼の一番の特徴である「銅胎植線施釉」の構成を会得、製作に成功した。
 その後、七宝町の林庄五郎に受け継がれ、代々引き継がれ現在に至っている。七宝町という地名も、この七宝焼きへの愛着からついた名である。
 製品の素地には陶器のような土ではなく銅板を使う。それぞれの形に整えた後、下地の絵付けを行い、銀線とよばれる金属を下絵にそって植え付け、釉薬で配色し焼いていく。
 主な製品には、花瓶、額、飾皿など。尾張七宝、気品と豪華さを誇る逸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数10件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter