NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/10


義経・弁慶伝説 Yoshitsune-Benkei-densetsu Legends of Yoshitsune and Benkei

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 最上地域には、義経・弁慶に関する伝説が多く残っている。室町時代に書かれたとされる「義経記」によると、兄源頼朝の追手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治3(1187)年に最上地域を通ったとされている。

 なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音などの義経主従にまつわる数々の伝説、旧跡が残されている。
 「瀬見」という名の由来には、弁慶が使っていたなぎなたの名が「せみ丸」であったから、亀若丸が落人の身であることを知って一度も泣かなかったので「泣かぬ蝉」から、キズを負っている蝉が、温泉の上の木に止まって湯煙で湯治をしていたから、など諸説ある。
 最上町瀬見の義経・弁慶にまつわる観光地には、産湯を探して谷川を下った弁慶が、なぎなたで岩を砕いたところ、温泉がわきでたとされる「薬研の湯」や、亀若丸の名をつける時、弁慶がすずりとして墨をすったといわれる「弁慶の硯石」などがある。
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2007/1/22


倶利伽羅不動尊 Kurikara-Hudouson Kurikara Fudouson

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 栄寿二(1183)年の平家と木曾義仲の戦いで有名な倶利伽羅峠の近くにある不動尊。日本三大不動尊ともいわれている。
 養老二(718)年、元正天皇の勅願でインドの高僧善無畏三蔵法師がこの地で修法。感得した剣に巻き付いた黒龍の姿を彫刻して、倶利伽羅不動尊と名付けたとあり、それが奥の院の本尊といわれている。
 その一〇〇年後、弘法大師がこの倶利伽羅不動尊にたどり着き、三蔵法師作の不動尊とほぼ同じ像を刻み、護摩法を行った。その像は本堂に祀られている。
 栄寿二年の源平の合戦で、一部を消失したが、源頼朝の寄進で再興、江戸時代には加賀藩の長楽寺と称した祈祷所があった。
 倶利伽羅とは、インドの言葉で「黒い龍」を意味する。
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2007/1/12


江戸くみひも Edokumihimo Edo Braiding

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 江戸くみひも(東京くみひも)は、渋い味わいと気品の高さが特徴の、東京の名産品である。
 日本は世界でも珍しいくらい紐の発達した国だと言われる。単に物を縛ったり継いだりするだけでなく、結び方、結ぶ紐の色、結びの配置などにより吉凶・性別・身分までを表現するものであった。
 起源は江戸時代以前に遡る。中国や朝鮮を経て伝えられ、幕府の開設で武具の需要が高まり、生産が盛んとなった。やがて、わび・さびの要素を加えて精緻なものへと発展していく。
 その用途は広く、現代帯締めや羽織ひもなど、今でも日常生活には欠かせないものとして広く使われている。
 江戸くみひもは、お経の巻き物や袈裟、貴族の礼服の添帯、兜や鎧のおどし糸や刀の柄巻など、多方面に活用される、わび・さびを感じさせてくれる工芸品である。
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