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2007/10/31


霊亀山 天龍寺 Reikizan Tenryuu-ji 

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 霊亀山天龍寺(れいきざんてんりゅうじ)は、臨済宗天龍寺派の大本山で、本尊は釈迦如来である。
 暦応二(1339)年、後醍醐天皇が崩御したとき、その菩提を弔うため、夢窓疎石(むそうそせき)が足利尊氏に進言し、創建された寺である。
 至徳三(1386)年に、京都五山の第一位を占め、大いに繁栄したが、度々の火災により堂宇を焼失してしまった。現在の諸堂は、明治以後に再建されたものである。
 大方丈前にある夢窓疎石がつくった池泉回遊式庭園は、室町様式を現在に伝える上で重要な役割をしており、国の特別史跡名勝の第一号に指定された。平成六(1994)年に世界文化遺産に登録された。
 標高三七五メートルある嵐山は、元は天龍寺の境内であった。後醍醐天皇の霊を慰め、吉野より多数の桜が移植されたことから、今では全国的に有名な桜の名所となっている。
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渡月橋 Togetsu-kyou 

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 「渡月橋(とげつきょう)」は、京都嵐山の桂川に架かる、全長一五五メートルの橋である。
 別名「嵐橋」とも呼ばれるこの橋は、承和三(836)年、弘法大師の弟子である道昌(どうしょう)が、大堰川(おおいがわ)修復のとき架橋したものである。
 亀山上皇が、曇ひとつない夜空に、まるで月が橋を渡るかのような風景をみて「くまなき月の渡るに似る」とひと言もらしたことから「渡月橋」の名がついたといわれている。
 この橋は、応仁の乱での焼失や洪水などで幾度か再建されたが、慶長一一(1606)年に角倉了以(すみのくらりょうい)によって現在の位置に架けかえられた。
 現在の橋は昭和九(1934)年に鉄橋として改修されたものだが、橋の欄干(らんかん)や桁隠しやは木製を使い、昔の面影を今に伝えている。
 渡月橋の南には、桜の名所で全国的に有名な標高三七五メートルの嵐山がある。お花見や新緑、紅葉や雪景色など、まさに四季折々の素晴らしい景観が楽しめる場所である。

 
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2007/10/11


肱川あらし Hijikawa-arashi 

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 「肱川(ひじかわ)あらし」は、愛媛県西部を流れる肱川(ひじかわ)の冬の風物詩で、毎年11月から3月上旬のよく晴れた早朝に発生する。霧を伴った冷たい強風が、肱川下流を吹き抜ける現象で、特に開閉橋の長浜大橋付近では風速15km以上が観測され、霧は沖合い数kmにまで達する。
 大洲(おおず)盆地と瀬戸内海の気温差が原因で、放射冷却により盆地で発生した霧が、肱川下流の特異な地形によって一気に海方向へ流れ出す。ゴーゴーと激しいうなりを上げて吹き抜ける様は、世界でも類を見ない。河口近くの小高い山の上には「肱川あらし展望公園」があり、肱川あらしを見下ろすことができる。
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2007/10/9


寸沢嵐石器時代遺跡 Suwarashi-sekki-jidai-iseki 

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 寸沢嵐石器時代遺跡(すわらしせっきじだいいせき)は、神奈川県相模原市相模湖町寸沢嵐にある縄文時代後期の遺跡である。国指定の史跡とされる。
 道志川と相模川の合流点近くの山すそに存在しており、石斧、石皿などの石器や、土器などが発掘されている。
 ほぼ完全な状態で発見された、正六角形の炉を中心にして、平らな河原石を長径4・3mの楕円形の範囲に敷き並べられた「敷石住居」跡である。
 近隣には、自生のカタクリ10万株が群生している「さがみ湖カタクリの郷」があり、毎年三月中旬から四月中旬にかけて公開されている。
 寸沢嵐石器時代遺跡は、新石器時代の暮らしが伺える貴重な史跡である。
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2007/10/5


香嵐渓もみじまつり Kourankei-momiji-matsuri 

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 香嵐渓(こうらんけい)は、国道153号線にかかる巴橋から上流約1・2キロの巴川が作り出す渓谷美と、ご飯を盛ったような山容を見せる飯盛山からなる地域で、愛知高原国定公園の一角を占める。紅葉やカタクリの花が特に有名で、毎年県内外から数多くの観光客が訪れる。
 昭和五(1930)年に当時の町長と香積寺住職らが、大阪毎日新聞社社長来町の際に命名を求め、香積寺の「香」飯盛山からの薫風が運ぶ嵐気の「嵐」から、「香嵐渓」と名付けられた。
 香嵐渓のもみじは寛永一一(1634)年に香積寺住職の三栄和尚が植えたのが始まりといわれ、大正から昭和の初めにかけて、地元住民の手で大補植が施された。今ではもみじの本数は4千本を超える。一一月中は「もみじまつり」が開催され、日没から午後9時までライトアップされるほか、お茶会や和太鼓競演などの各種催事も行われる。
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2007/8/17


播州歌舞伎 Banshuu-kabuki 

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 播州歌舞伎は、江戸時代の元禄年間(1688〜1704年)に、兵庫県加西市北条の高室地域ではじまった高室歌舞伎の流れを組む、千三百年の歴史を持つ「農村歌舞伎」である。
 高室座は昭和十二年頃に廃れたが、現在では兵庫県多可郡中町に本拠を置く嵐獅山一座がその伝統を受け継いでいる。
 播州歌舞伎の魅力はなんと言っても、練りに練ったオーバーアクション。斬られて死ぬ場面でも、ちょっとやそっとでは死なない。「播州歌舞伎は泥臭いもの。観客と役者がわあわあと楽しむ。それが大衆演劇だ」と、播州歌舞伎の継承者、中村和歌若氏は語る。
 現在では、「播州歌舞伎」は嵐獅山一座のブランド名となり、全国にもその名が知られている。昭和四八年には、東京の国立劇場にも出演した。
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2007/8/6


岡崎市 飯盛山 Okazaki-shi Iimori-yama Mt. Iimoriyama

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 岡崎市の飯盛山(いいもりやま)は、愛知県豊田市足助町にある標高254mの山である。日本の紅葉百選に選ばれている。
 名勝・香嵐渓(こうらんけい)の一部であり、秋には矢作川の支流・巴川と足助川の両岸から飯盛山山頂にわたって、約4000本のカエデが紅葉して、素晴らしい景観になる。
 飯盛山全体がモミジに覆われているため、秋には葉が地面に落ち厚く積もるが、遊歩道は常に綺麗に整備され歩きやすくなっている。
 また、巴川にかかる朱色の待月橋(たいげつきょう)の上から眺める飯盛山の紅葉はまさに絶景で、周辺には史跡などもある。
 山には明治まで足助八幡宮の奥の宮があったが、今は痕跡もない。
 南西山腹には香積寺(こうしゃくじ)があり、春は白いカタクリの花が見事に群生する。
 岡崎市の飯盛山は、四季折々の景観が素晴らしい山である。
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香嵐渓 Kouran-kei Korankei Gorge

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 香嵐渓(こうらんけい)は、愛知県豊田市足助町飯盛にある景勝地である。
 寛永一一(1634)年、足助にある香積寺(こうじゃくじ)の三栄(参栄)和尚が、京都の嵐山にならって、巴川から香積寺に至る参道に楓、もみじの木を植えたのが始まりとされる。
 渓谷の名称は、昭和五(1930)年、香積寺の「香」と、渓谷に発する嵐気(らんき)の「嵐」をとって、香嵐渓と付けられた。
 巴橋から上流約1・2kmの巴川がつくる渓谷美と、ご飯を盛ったような山容を見せる飯盛山からなる地域である。
 紅葉の名所として知られており、四千本のもみじが黄や紅に染まる様は、まさに圧巻といえる。
 香嵐渓は、山野草の宝庫でもある、大自然の息吹を全身に感じられる名勝である。
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