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室町時代初期、本州から渡来した和人豪族が築いた館の跡。
松前藩の史書「新羅之記録」中に、康正二(1456)年からの「コシャマインの蜂起」、永正九(1512)年の「アイヌの蜂起」により館が陥落したという記述があるが、志苔館の創建はこれらの記録より古い14世紀後半から末頃と考えられている。
また館内から中国製の陶磁器や越前の珠洲焼などが出土している。
この館跡は、四方に土塁が巡らされ、沢地形を利用した空壕が掘られ、郭内の広さは、東西70〜80m、南北50〜65m、約4・10平方m。国指定史跡。
函館市街地と津軽海峡の風景も美しい。
松前藩の史書「新羅之記録」中に、康正二(1456)年からの「コシャマインの蜂起」、永正九(1512)年の「アイヌの蜂起」により館が陥落したという記述があるが、志苔館の創建はこれらの記録より古い14世紀後半から末頃と考えられている。
また館内から中国製の陶磁器や越前の珠洲焼などが出土している。
この館跡は、四方に土塁が巡らされ、沢地形を利用した空壕が掘られ、郭内の広さは、東西70〜80m、南北50〜65m、約4・10平方m。国指定史跡。
函館市街地と津軽海峡の風景も美しい。
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