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大正一一(1922)年兵庫県生まれ。織物師。
昭和一二(1937)年、十五歳の時に京都西陣の織物師、波多野諦観に師事。綴れなど、各種の織の技術を学ぶ。
昭和二四(1949)年には独立、綴織工房を立ち上げる。その後は喜多川平朗や森口華弘に指導を受けながら、社団法人日本工芸会に所属し、綴や絽、紗、交織など様々な織技法作品を日本伝統工芸展を中心に発表していく。
そうした活動の中、昭和三九(1964)年には日本伝統工芸染織展にて日本工芸会会長賞、昭和六十年には日本伝統工芸展で同賞に輝くなど、その匠の技術は高く評価され、平成九(1997)年に綴織の重要無形文化財保持者に認定、人間国宝となった。
綴織は日本人の持つ指先の感覚が重視される技法だといわれる。
氏の作品は、永年培われたそうした高度な製織技術の確かさの中に、現代的で気品に満ちた温雅な作風を感じられる逸品として、高く評価されている。
匠の手により、今日もまた伝統が綴られていく。
昭和一二(1937)年、十五歳の時に京都西陣の織物師、波多野諦観に師事。綴れなど、各種の織の技術を学ぶ。
昭和二四(1949)年には独立、綴織工房を立ち上げる。その後は喜多川平朗や森口華弘に指導を受けながら、社団法人日本工芸会に所属し、綴や絽、紗、交織など様々な織技法作品を日本伝統工芸展を中心に発表していく。
そうした活動の中、昭和三九(1964)年には日本伝統工芸染織展にて日本工芸会会長賞、昭和六十年には日本伝統工芸展で同賞に輝くなど、その匠の技術は高く評価され、平成九(1997)年に綴織の重要無形文化財保持者に認定、人間国宝となった。
綴織は日本人の持つ指先の感覚が重視される技法だといわれる。
氏の作品は、永年培われたそうした高度な製織技術の確かさの中に、現代的で気品に満ちた温雅な作風を感じられる逸品として、高く評価されている。
匠の手により、今日もまた伝統が綴られていく。
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