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2007/9/28


飛騨春慶 Hida-syunkei Hida Shunkei Lacquer Ware

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 飛騨春慶(ひだしゅんけい)は、岐阜県高山市、飛騨市に伝わる伝統工芸品である。
 慶長一一(1606)年、高山城下で神社・仏閣の造営にあたった大工の棟梁・高橋喜左衛門が、たまたま打ち割ったさわらの柾目(まさめ)を発見した。
 そこから美しい枇目(へぎめ)の盆が塗り上げられ、色調が茶器の名品で加藤景正の飛春慶に似ているところから、春慶塗と名付けられたと伝えられる。
 透明で木肌の持つ美しさをそのまま活かすところに特徴があり、軽やかな風合いと気品の高さが好まれ、光を当てると透明の漆を通して木目が黄金色の光を放ち、使用するにつれてその光沢が増していく。
 飛騨春慶は、線と円とで立体的な美しさを表現する、優雅で繊細な伝統工芸品である。
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2007/7/27


台ヶ森焼 Daigamori-yaki 

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 そのお湯は刀傷に効くといわれ、仙台藩伊達家の湯治場の一つとなっていた台ヶ森(だいがもり)。
 そこに侍達のための療養所が建てられ、その後各種方式の窯を築き、仙台北部の吉田川上流に位置する台ヶ森から取れる陶土と亜炭鉱質の粘土を上薬として様々な焼き物が生まれていった。それが台ヶ森焼(だいがもりやき)の始まりだといわれている。
 台ヶ森一帯は昔から石炭鉱として知られ、採掘も行われていたこともあり、亜炭や鉄、銅などの様々な含有鉱物が織り成す複雑な色合いが、焼き物の肌に味のある美しさを映し出す。
 鉄分が放つ美しさと偶然から生まれる銅のはしりが調和した、落ち着いた印象の焼き物は、手に取るものに安らぎを与えてくれる。
 付近からは遺跡として窯が出土されるなど、古来から周辺では陶芸が盛んに行われていたことを伺わせ、この地の土が焼き物に適していることを今に伝えている。
 湯治にやってきた侍達も、この時ばかりは戦を忘れ、のんびりと陶芸をして余暇を楽しんでいたのかもしれない。
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2007/5/11


青谷上寺地遺跡 Aoya-kamijichi-iseki The Aoyakamijichi Ruins

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青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡は、弥生時代から大和時代にかけての遺跡。鳥取県鳥取市青谷町に所在する。
 平成三年に青谷羽合道路建設のための調査中に偶然弥生時代の土器が出土したことから発掘が開始された。その後、試掘調査により大規模な遺跡であることが判明し、平成十年から本格的な発掘調査を開始。日本初を含む多くのものが出土、弥生時代を知る貴重な遺跡として注目を集めている。
 出土品は数万点にものぼり、日本初の出土となる「弥生人の脳」や、高い技術を示す木製容器、海外からもたらされた鉄器、戦闘で傷ついたと推測される殺傷の痕の残る人骨が発掘された。このことから、弥生時代に日本人は既に大陸との交易を結んでいたことや国内の戦乱が存在したことなどが窺える。この新たな発見は、太古の歴史を深く知るとともに、新たな可能性を感じさせる。
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2007/3/12


屯鶴峰 Donzuru-bou Donzurubo

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 屯鶴峰(どんづるほう)は、奈良県香芝市穴虫の、二上山北西にある景勝地である。
 屯鶴峰は、穴虫峠にある、標高70mほどの白色の小高い峰が広がる美しい景観の地である。
 白い鶴がたむろしている様に見える事から、その名が付いたといわれている。
 1500万年前に二上山が大噴火した時に、火砕流が堆積してできたといわれる。かつては山麓から金剛砂が採掘された。
 屯鶴峰は地質や植物生態を研究するのに重要な地域であり、県の天然記念物となっている。
 白い岩が眩しい程目に焼付く奇岩の名勝地であり、はじめて訪れる者を驚かせずにはいられない特異な場所でもある。
 屯鶴峰は、自然による偶然と神秘を感じられる奇景地である。
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2007/2/5


真玉海岸 Matama-kaigan 

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 春には潮干狩り、夏には海水浴客で賑わう事でも知られている国東半島の角にある真玉海岸。遠浅のこの海岸は、干潮の時に美しい干潟を見ることができる。
 一日の終わりがやってくる頃、刻々と紅に染まる空と海、そして干潟の模様がシルエットと化した一瞬(ひととき)。自然が織りなすこの美しさは多くの人々に感動を与え、「真玉海岸の夕陽」として日本夕陽百選にも選ばれている。
 尾鷲地区から臨む夕陽の姿は、全国的にも珍しい夕陽と干潟のコントラストは、写真愛好家やカップルなどの人気のスポットにもなっている。
 この自然がかもしだす絶妙のハーモニーは、幾つもの偶然が重なり合って、はじめて瞳にやきつける事が出来るものなので、いつまでも変わらぬ景色を見せてもらいたい。
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2007/1/28


西京橋 Saikyou-basi The Saikyo Bridge

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 大分県中津市山国町中摩には、西京橋(さいきょうばし)と呼ばれる、橋梁となっている自然物がある。長い年月をかけて岩肌の風化が進み、岩石に大きな穴があき、ちょうど石橋のように見えるという奇岩であり、自然の偶然の神業とも言うべき景観地である。
 西京橋は、別名仙人梁とか仙人岩、天の岩戸などとも呼ばれている。その正体は、巨大な竜が横たわっているような怪奇漂う天然岩である。
 入り口1mほどの洞があり、それが天の岩戸の名の由縁である。中に入ると高さ奥行き共に約2.5mほどの空洞で、かつて修験者が使っていたものかとも思える。
 大自然と悠久の時が作り上げた「天然岩の橋」。
 人の時の流れと地球の時の流れの圧倒的な差を突きつけられる場所である。
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2007/1/25


志賀島 Sika-no-sima The Island of Shika-no-Shima

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 志賀島は、福岡県福岡市東区にある島で、博多湾の北部に位置し、砂州により本土と陸続きになった陸繋島である。
 志賀島は、周囲約11km、全戸数約790戸、人口約3000人余り。このような形態の島は、全国的にも珍しい。
 天明四(1784)年、2人の農民がこの島の田んぼで偶然「漢倭奴国王」の金印を発見した。
 中国の後漢書に、57年、光武帝が奴国の使者に金印を渡したと書いてあり、これがその金印だと言われている。歴史的にも貴重な品で、国宝である。
 この金印は日本の歴史の始まりを示す品であり、今は福岡市博物館に展示されている。金印がなぜこの志賀島に埋没していたかは今でもよく解っていない。
 志賀島は、古代日本の大陸・半島への海上交易の出発点であり、古から続く歴史的舞台である。
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2006/12/19


龍渓硯 Ryukeisuzuri Ryukeisuzuri ink-stones

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 長野県上伊那郡辰野町の西方に位置する横川の山中に産する「龍渓石」(黒雲母粘板岩)から作られるのが、「龍渓硯」だ。
 今から170年ほど前の江戸時代、高遠藩は基盤産業に乏しく財政難に苦しんでいた。鉱山でたまたま硯に適した良質な石の存在を知った藩主は、独自に御用硯工を招いて硯の製造技術を育んだのであった。こうして鍋倉沢の砥石が硯石へと変わっていったのである。
 明治時代になると、鉛筆・ペン・万年筆などの普及により、硯の使用が少なくなり存亡の危機に陥った。この硯が再び脚光を集めるようになったのは昭和のはじめ。時の県知事によって「龍渓硯」と名付けられ、その質の高さと、手間暇を惜しまぬ伝統技法が全国に伝えられ、書家たちの注目するところとなった。
 龍渓硯の石質は緻密でほどよい固さを備え、墨のおりと発色がよい。全国の書家、画家、コレクターたちに愛される所以である。
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