NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/10


百舌(モズ) Mozu 

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 百舌(もず)はスズメ目モズ科に属する鳥で、全体的に茶色い、雀よりやや大きい鳥である。
 ホオジロやシジュウカラ、ヒバリ、メジロ、カワラヒワなど、さまざまな鳥の声が百舌の求愛の唄声に混じるという。この複雑な鳴き真似から、漢字の「百舌鳥」という漢字があてられたという説がある。
 単独行動をする鳥で、縄張り意識が強く、猛禽類のように鋭いくちばしと脚の爪で、昆虫や蛙など捕らえた獲物を木の枝先に突き刺す習性を持つ。これは百舌の速贄(もずのはやにえ)と呼ばれ、秋に多く見られる百舌の特徴的な習性である。後で食べることもあれば、食べないで放置する場合もあり、この習性については詳しくはわかっていない。
 鳥は切手のデザインにも多く使われており、百舌は一二〇円切手のモチーフになっている。
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イタヤ細工 Itaya-zaiku 

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 イタヤ細工は、寛政年間(1790年頃)に角館の農村部で始まった手仕事で、生活の中から生まれた。イタヤカエデの若木の幹を帯状に裂いて編み、穀物の殻などを振って吹き飛ばす箕(み)や、カッコベと呼ばれる腰かごなどの農具を中心に作られてきた。
 現在はかご類、花器、バッグ、イタヤ馬、イタヤ狐などの民芸品が多く作られ、秋田県の伝統的工芸品に指定されている。
 細工は、原木から細い帯状の材料を得る工程と、その材料を編む工程とに分けられるが、そのほとんどが手作業で行われる。イタヤカエデの持つ木肌の素朴さと相まって、その深い味わいに人気がある。
 イタヤ馬とイタヤ狐は郷土玩具として注目されている。イタヤ馬は、馬が走っている姿をモチーフにしたもので、頭を左に向けた縁起の良い「左馬」という形に編まれる。一方のイタヤ狐は、原木をナイフ一本でキツネの立ち姿に加工したもので、イタヤカエデの幹の白さと繊維の緻密さがよく分かる。
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優佳良織 Yuukara-ori 

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 優佳良織(ゆうからおり)は、北海道の美しい自然、風土をモチーフに手織りで制作されている工芸品で、昭和三五(1960)年に、北海道旭川市で一人の染織作家により生み出された。
 誕生当初はアイヌ語で叙事詩や伝承するという意味を持つユーカラという言葉を用い、「ユーカラ織」と呼ばれていた。
 その後の昭和五五(1980)年に版画家の棟方志功により、「優しく、佳く、良い」という意味で現在の優佳良織に改名された。
 その特徴は色の多彩さにあり、これは四季折々に変化する微妙な自然の色彩に、油絵のような色と色との重なりに似た美を見出したことによるものである。
 素材に羊毛を用い、一つの作品に二百から三百色の色が、「すくい、杉綾、浮き柄、平、綴れ」などのあらゆる織の技術を駆使して織り込まれ、流氷やミズバショウなどの北海道の美しい自然と風土を表現している。
 誕生から四十数年とまだ日は浅いが、逆に伝統に束縛されないことを恩恵として新しく生み出された、独自の織物である。
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2008/2/25


面根付 Men-netsuke 

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 面根付(めんねつけ)とは、根付のうち、お面の形をしたものをいう。大黒様や恵比寿様といった七福神、般若や翁といった能面などがモチーフに選ばれる。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 大きさは数センチ程度のものが多い。材質は、堅い木や象牙などがよく用いられる。時代と共に実用性に加え装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外への輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は、古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、特に海外からの評価が高い。
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近藤悠三(人間国宝) KondouYuuzou 

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 こんどう・ゆうぞう。明治三五(1902)年二月八日~昭和六〇(1985)年二月二五日。日本の陶芸家で、陶磁器染付の最高峰と称される。
 京都生まれ。一二歳のときに京都市立陶磁器試験場付属伝習所に入り、卒業後は同試験場で助手として勤務した。一九歳の頃、イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉の助手として師事。 素地や釉薬(ゆうやく)などの技法だけでなく、製作に対する心構えについても修行を積んだ。三年後に独立、生家近くに構えた窯でひたすら研究を積み重ね、技を磨いた。五四歳で岐阜県多治見市で、美濃焼の一種である志野焼を研究。以降は染付の製作に専念した。
 「つけたて」と「ぼかし」を基調とした筆遣いによって濃淡を表し、ザクロや梅などをモチーフとした絵画的な作品を生み出した。さらにその後、赤絵や金彩の技法を用いるようになり、華麗で品のよい独自の作風を確立した。
 昭和五二(1977)年、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定された。
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2008/1/17


大津絵 Ootsu-e 

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 大津絵(おおつえ)は、滋賀県大津地方の代表的な郷土みやげ品で、伝統民画と呼ばれる。その大半は、強烈な人間風刺がテーマになっている。
 江戸時代初期、東海道近江国追分あたりの名もなき画工が軒を並べ、街道を往来する旅人らに、信仰の対象として仏画を描き売ったのが始まりという。時代の変遷と共に世俗画、風刺画、人物画、風俗画へと転じ、また教訓的な和歌を添えたものも登場するなど、そのモチーフは百種類以上にのぼる。
 江戸時代を通じて東海道大津宿の名物となった大津絵は、文化・文政期(1804~1829)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、そこから「大津絵節」が生まれ、全国へと伝播していった。
 シンプルでのびのびとした描線、どこかユーモラスで風刺のきいた絵柄、そして独特の鮮やかな彩色が見る者を惹き付ける。現在は、紙に描かれたもののほか、絵馬やひょうたん、皿や掛け軸などもある。人間風刺という普遍的なテーマゆえに、いつの時代も民衆の心を捉えて離さない。
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2008/1/15


雉(キジ) Kiji 

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 雉(きじ)は日本の国鳥である。
 雄は長い尾を持ち、体は全体的に深緑色をしており、目の周りには赤い肉腫がある。きれいな緑と赤のコントラストがとても美しい鳥である。走るのは速いが、飛ぶのが苦手ともいわれている。
 紙幣のモチーフに選ばれたり、桃太郎などの昔話に登場したり、ことわざや慣用句にも多く登場する。また、白い雉は吉祥として古来より大切にされ、飛鳥時代の650年には、長門国(山口県の西)より白雉が献上され、「白雉」と改元された。
 「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」という予知能力なども、昔からの言い伝えとして今も残され、古事記には、雉を「きざし」と呼んでいる箇所がある。
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2008/1/8


彩絵檜扇 Saiehiougi Saie-Hiogi Fans

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 彩絵檜扇(さいえひおうぎ)は、平安時代に誕生した美術品。檜の薄板で作られた扇で、豪華絢爛な彩色が美しい。
 主に宮中においての儀式に際し、公家の男女が正装する際に装身具のひとつとして用いられた。位により板の枚数が異なる。現在は熱田神社に1握、厳島神社に5握、熊野の阿須賀神社に1握を残すのみとなっている。
 糸巻の檜の薄板の表裏に、胡粉(ごふん)の下地を施し、雲母(きら)を塗る。上に金銀箔、野毛砂子(のげすなご)を贅沢に散らし、濃厚な岩絵具を使って絵柄を施す。花鳥風月や公達(きんだち)、女房などの人物をモチーフに軽妙な筆致で彩色、絵巻物のような実に華やかな趣をかもし出している。
 彩絵檜扇は国の国宝および重要文化財に指定されている。
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