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2008/7/17


津軽凧絵 Tugaru-Takoe 

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 津軽凧絵(つがるたこえ)は、青森県弘前市を始めとした津軽地方に伝わる伝統民芸品である。日本三代凧のひとつとされている。
 天保年間(1830~1843)、津軽藩の城下町弘前の空には、いくつもの凧が揚げられていたことが記録されている。
 津軽凧絵は日本画に始まるが、中央の文化が導入され、この地で育くまれる事により味付けが変わり、郷土の民画となっていったという。
 凧絵が武者中心になったのは明治以降の事で、その画風は葛飾北斎の影響を強く受けているといわれている。凧絵を確立したのは柴田某で、小田桐岩蔵によって完成された。
 津軽凧絵は、津軽特産のヒバ材を使用した骨組に、浮世絵や三国志、水滸伝などの挿絵をもとにした武者絵を特徴としている。
 津軽凧絵は、畳二丈ほどもある凧に描かれた武将絵も勇ましい、郷土の伝統民芸品である。
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2008/4/4


能代凧(べらぼう凧) Noshirodako(Beraboudako) 

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 能代凧(のしろだこ)は、秋田県能代市にて発祥したとされる凧で、別名べらぼう凧(べらぼうだこ)と呼ばれている。
 坂上田村麻呂の蝦夷討の時(780~802)、空高く揚がった能代凧を目印に入港したという伝説が伝わる。
 全国の凧に比べて人物の顔が大きく描かれており、空高く揚がっても一目でそれと分かる。また、男女の絵柄がある事も大変珍しく、大きな特徴とされる。
 男べらぼう凧は、目のまわりに歌舞伎のくまどりが塗られ、頭には芭蕉の葉っぱの柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 女べらぼう凧は、牡丹の花の柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 他に、べらぼう顔以外にも、歌舞伎絵や武者絵など20種類以上という多種の絵柄が存在している。
 能代凧は、アッカンベーをしたユニークな絵柄と鮮やかな色彩が目を引く、面白い凧である。
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2008/1/23


土佐凧 Tosa-dako 

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 土佐凧(とさだこ)は手漉き土佐和紙を使用、正方形を45度回し角を立てた特徴的な形をしている。
 力強い墨の線に、魔除けの赤色を基調とした華麗な彩色は雅で、大変に美しい。
 凧は用途別に3種類に分けられ、絵凧と呼ばれる凧には武者や姫だるま、鶴を、定紋凧には家紋を、祝凧には「祝」などの慶祝文字をあしらう。
 凧は古代中国で兵器や宗教的な占いの為に作り出され、平安時代に日本に渡来したと言われており、土佐では、長曽我部氏が戦国時代の四国平定に、空とぶ兵器としてこれを用いた。 それが江戸時代になってからは男児出生を祝う行事となり、また、還暦の祝いに凧揚げをする風習も出来たと言われている。
 現在では香南市香我美町の1軒のみで作られ続けている。
 子どもの遊び道具としてももちろん、装飾用の美術工芸品としても大変に貴重で価値がある工芸品である。
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2007/8/24


旧正凧揚げ大会 Kyuushou-takoage-taikai 

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 毎年二月一一日に行なわれている土佐・野市町の「旧正凧揚げ大会(きゅうしょうたこあげたいかい)」は、その凧の大きさで有名である。
 実際に揚げられる凧は45cm程度のものから様々あるが、圧巻は何と言っても百畳はある土佐の大凧である。重量270kg、胴の長さが16・5mにもなる大凧が、ゆらりゆらりと大空へ揚がってゆく様は壮観である。
 土佐凧の特徴は、正方形を45度回転させて角を上にし、手描きで直接絵を描いたもの。
 図柄は、男子出産祝い・還暦祝いの時の「祝凧」、家紋をあしらった「定紋凧」、武者絵・姫だるま・鶴などの「絵凧」の3種類に大別できる。
 戦国時代、土佐においては長曽我部氏が凧を「空飛ぶ兵器」として用いたと言われているが、江戸時代になってからは、凧揚げは男児出生を祝う行事となり、後に還暦の祝いに凧を揚げる風習も出来たといわれている。
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2007/8/10


こうた凧揚げまつり Kouta-takoage-matsuri 

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 東海地方は古くから凧あげが盛んな地域である。
 幸田(こうた)の凧は昭和五二(1977)年頃から幸田町の正月行事の一つとして一月三日に開催されていた。
 当初幸田町には個人的に凧の技術・技能を持っている人はいても組織的に活動している団体は無かった。講師を招いた凧作り講習会などを行っているうちに町内の凧好きの有志が集まり、平成元(1989)年に「三州幸田の凧の会」を発足させた。
 発足当時「幸田の凧揚げ」と「三州幸田の凧揚げ」は日時を別にして行われていたが、平成一〇(1998)年より両組織が合体して「こうた凧揚げまつり」を毎年一月に開催するようになった。
 歴史がまだ浅いながらも、町外からの参加者や見物客も年々増え、町の冬の伝統行事として定着してきている。畳十畳分ほどの大凧、奇抜なデザインの凧など100点以上の凧が新春の大空に舞い上がる光景は見事である。
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いかざき大凧合戦 凧踊り Ikazaki-oodako-gassen Tako-odori 

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 県無形民俗文化財に指定されている四〇〇年の歴史を持つ伝承行事。
 もともと大凧合戦は、生まれてきた子どもの健やかな成長と幸せな将来を願い大凧に子どもの名前を書いて空高く舞いあげたのが始まりといわれている。毎年五月五日の「初節句行事」として、また内子町最大の伝承行事として引き継がれている。
 合戦は町の中央部を流れる小田川の豊秋河原で五十崎側と天神側に分かれて行われる。
 「ガガリ」とよばれる凧糸に仕込んだ刃物一つでそれぞれ相手の糸を切り合う、という約千統の大凧が空中に乱舞する勇壮な光景はまさに圧巻である。
 また奴の化粧をした若者たちによるユーモラスな「凧踊り」も合戦には欠かせない祭事である。
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2007/6/29


琉球玩具 Ryuukyuugangu Ryukyu Toys

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 琉球玩具は、ユッカヌヒー(旧暦の五月四日)にたつ玩具市にて、縁起物として売られる張り子などがその代表である。
 張り子の技術は17世紀以降に日本から学んだもので、最初は上級士族の子女が対象だったのだが、明治になって普及し、庶民の子供達の手に届くようになった。
沖縄の張り子は、琉球王朝の影響や中国大陸の影響をうけつつ、島独自の文化が混じった独創的な形や豊かな配色のものが多い。
張り子に限らず、アダンの葉でできた風車やソテツの実を使った操り人形、大陸文化の影響を感じさせる蝶型の凧など、琉球玩具には素朴な味わいが感じられる。
 やがて登場したセルロイドやブリキの玩具に子供達の人気は取って代わられたが、今でも琉球玩具は、各々の作品が持つ表情やほのぼのとした温もりが伝わり、多くの人に親しまれている。
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2007/6/26


稚内 大沼 Wakkanai Oo-numa 

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 稚内(わっかない)にある大沼(おおぬま)は、北海道稚内市中北部にある周囲約10km、最深1.5mの沼である。
 アイヌ語ではウグイの沼を意味するシュプントウと呼ばれている。
 数年前には一羽の白鳥もいなかったが、今では数千羽の白鳥がくる場所として有名になった。
 沼の近くに住む漁師が、白鳥とふれあう中で生きものを愛し、みんなに自然を大切にする心が育ってほしいとの願いをこめて、白鳥を呼び寄せる事を決意した。氷割り、鳴き声、おとりのダミー、白鳥の凧など、さまざまな方法を試し、苦労と努力の結果、ようやく今日のように定着してきた。
 白鳥のほかマガン、アオサギ、オオワシなど通年100種以上の野鳥が観察でき、またミズバショウをはじめ季節毎に色とりどりの花が目を楽しませてくれる。
 稚内の大沼は、道内有数のバードウォッチングスポットである。
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