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2007/10/31


西琳寺 Sairin-ji Sairinji Temple

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 西琳寺は、大阪府羽曳野市古市にある高野山真言宗の寺院である。本尊は薬師如来立像。
 欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺を起源とし、7世紀前半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基したとされる。
 出土品の瓦などから、飛鳥時代の創建が裏付けられているが、境内の庭に置かれた高さ2メートル近い塔礎石は重量27トンを超え、塔礎としては飛鳥時代最大のものである。また、当時の伽藍の資材について記された資料では、679年には七堂伽藍が完成し、743年まで七堂伽藍を揃えていた事が確認されているが、戦国時代の兵火と明治の廃仏毀釈により堂塔のほぼ全てを喪失した。
 河内飛鳥七福神の1つに数えられ、風折烏帽子に狩衣、釣竿を肩にかけ、こわきに鯛をかかえた姿の恵比寿神も祀られている。
 西琳寺は、長い歴史と伝説を持つ、古代寺院である。
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2007/10/12


野上八幡宮 Nokami-hachiman-guu Nokami Hachimangu Shrine

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 野上(のかみ)八幡宮は、和歌山県海草郡起美野町に所在する古社。創建は、欽明天皇の時代、550年代まで遡るとされる。
 日本三大八幡宮のひとつ、京都の石清水八幡宮の別宮として、何百年もの間、多くの人々が信仰を寄せてきた由緒ある神社だ。
 桃山時代に建築された本殿をはじめとして拝殿、摂社武内神社本殿、刀剣など国の重要文化財を多数保有していることでも有名。見事な朱塗りの社殿は昔日の名残を今もとどめている。
 毎年10月中旬の日曜日には秋祭りの獅子舞が盛大に執り行われ、近隣の人々でにぎわう。
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2007/10/4


馬見岡綿向神社 日野祭 Umamioka-watamuki-jinja Hino-matsuri Hino Festival at Umamioka Watamuki Shrine

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 馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社である。祭神は、天穂日命(あめのほのひのみこと)、天夷烏命(あめのひなどりのみこと)、武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)。
 欽明天皇六(545)年、綿向山の頂上に祠を建てたのがはじまりと伝えられ、延暦一五(796)年、里宮として現在の地に遷して祀られた。
 日野祭(ひのまつり)は、馬見岡綿向神社で毎年五月二~四日の間に行われる祭りである。
 嘉応二(1170)年から始まった春季例大祭で、3人の神稚児や3社の神輿、日野商人が贅の限りをつくして仕立てた絢爛豪華な16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく繰り広げられる祭礼は、県の無形文化財に指定されている。
 馬見岡綿向神社の日野祭は、古代の儀式と慣例を今なお引き継いだ伝統を持つ、湖東地方最大の華やかな祭である。
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2007/9/10


霧島神宮 Kirishima-jinguu 

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 霧島神宮は、鹿児島県霧島市霧島田口にある神社である。祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。国指定の重要文化財とされる。
 欽明天皇の御宇(540年)、高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。
 火山の麓にあるため度々炎上し、天暦年間(938~956年)には高千穂河原に遷されるが、ここでも噴火の巻添えで炎上する。
 文明一六(1484)年、現在地に兼慶が神社を再建した。
 正徳五(1715)年、現在の社殿が完成する。
 修験僧による霧島山を中心とした、霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしている。
 社殿はいずれも朱塗りの華麗なものであり、特に本殿は内部も豪華に装飾され、贅をこらしていて、西の日光とも言われる。
 霧島神宮は、神代からの長い伝統を誇る古社である。
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2007/4/23


葵祭り Aoi-matsuri 

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 葵祭り(あおいまつり)は毎年5月15日に行なわれる賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭のことである。
 京都の三大祭の一つであり、欽明天皇の御世に行なわれたのが始まりとされる。賀茂祭、北の祭とも称された歴史の古い祭りとして知られる。
 路頭儀、社頭儀に分かれており、道中の儀である路頭儀は500人におよぶ平安貴族の衣装をまとった行列で、馬、牛車を従えて京都御所から下鴨神社、上賀茂神社を巡る。
 行列が上、下両社に到着した後は御祭文の奉上、御幣物を奉納し「あずまあそび」の舞を修める社頭儀が行なわれる。
 長さ1キロにおよぶ典雅な平安行列はさながら王朝絵巻のようであり、市民や観光客を楽しませている。
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2007/4/20


神奈川 江島神社 Kanagawa Enoshimajinja 

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 神奈川の江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にあり、祭神は、宗像三女神で、江島大神(田心姫神・市杵島姫神・湍津姫神)と呼ばれている。
 欽明天皇一三(552)年、勅命で島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが創祀と伝えられ、奥津宮・中津宮・辺津宮それぞれに女神を祀っている。
 宗像三女神は、神仏習合では、弁財天とされ、ここ江島神社は厳島神社・竹生島神社と並ぶ、日本三大弁天の一つに数えられる。
 神仏習合の時は、金亀山与願寺といい、江戸時代には弁財天信仰が高まって江ノ島詣の人で大変な賑いを見せた。その後、神仏分離により仏式を廃し、江島神社となった。
 近年は龍神信仰も高まり、平成6年には龍宮(わだつみのみや)を建立。
 江島神社は、七福神巡りも盛んで、今も昔も変わらず参拝者の絶えない神社である。
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上賀茂神社(世界遺産) Kamigamo-jinja(Sekai-isan) 

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 上賀茂神社とは、京都府京都市北区にある賀茂別雷(かものわけいかづち)神社の通称である。祭神は賀茂別雷大神とされ、世界文化遺産に登録されている。
 創建は、神武天皇の頃、賀茂山に賀茂別雷命が降臨したとか、玉依日売が加茂川で懐妊し、賀茂別雷命が生誕した、など諸説ある。
 国史では、文武天皇2(698)年、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出である。
 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つである葵祭は、両社が合同で行う例祭として有名で、欽明天皇5(545)年に始められたとされている。 一の鳥居から二の鳥居まで一面に芝生がひかれ、社殿60棟が並び、国宝の本殿と権殿は三間社流造りの雅やかな姿を見せている。
 上賀茂神社は、様々な伝承を持つ京都最古の神社である。
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長野 善光寺 Nagano Zenkou-ji 

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 長野の善光寺は、長野県長野市にある寺院である。本尊は絶対秘仏の一光三尊阿弥陀如来とされ、本堂は国宝に指定されている。
 善光寺の本尊は、欽明天皇13(552)年、インドから百済、日本へと伝わった日本最古の仏像といわれ、廃仏派の物部氏により海へ捨てられたのを、本田善光が信濃国へ運んだという。
 皇極天皇3(644)年、勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたのが開基である。
 仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であるので、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられており、天台宗と浄土宗の別格本山ともなっている。
 信州善光寺は、天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営される、「牛に引かれて善光寺参り」で有名な信州随一の名刹である。
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